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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈四〉

 やっと、金屋の皆が作った花火を見られる。ついにこの日が来た。


 もちろんいい花火だとは思っているけれど、上手く割れないまま闇を照らさずに落ちてしまうことだってある。

 見事に打ち上げられた花火を見届けるまで終わりではない。


 楽しみな半面、皆を送り出す際には不安もある。


「花火を無事に打ち上げるのも大事ですけど、皆さんが怪我をしないことの方が大事ですから」


 力強く、勢いと熱と轟音を立てて空へ上がる花火には危険がつきものだ。皆、本当はどこか怖い気持ちとも戦っているのだと思う。

 治兵衛が怪我をして花火作りが思うようにできなくなったこともあり、金屋の花火師は十分に気をつけているはずだけれど、絶対に間違いないとは言えない。


「行ってくる」


 銀治は素っ気なく言い、恒に背を向けた。

 まだ日の高いうちから道具を抱えて鉄助と半平も笑顔で出ていく。百蔵は仏頂面で。

 治兵衛も打ち上げの際に手は出せないが口は出すとのことである。


 恒と七五三太は店に取り残された。片づけをひと通り終えたら花火を見に行ってもいいと言われている。

 日が暮れるのを待ち遠しく思い、そして七五三太と一緒に出かけた。

 七五三太は弟のようなものだから、年長の自分が面倒を見てあげなくてはと張りきった。


「七五三太さんも金屋の花火を見るのは初めてなのよね?」

「へい。奉公に上がってからは初めてで。それまではどの花火がどのお店のかなんて気にして見ておりやせんでした」


 縁あって金屋の丁稚になったのであって、七五三太はもともと花火師になろうとしていたわけではないのだった。


「そう。でも、そのうちに船に乗って打ち上げる方に回るんだから、こうやって眺めていられるうちに見ておかないとね」


 これを言ったら、七五三太が身震いした。いつもほんのり赤い頬の色が褪せる。


「うぅ。おいら、そういうの向いてねぇんですよぅ」

「でも、上手く打ち上げられるようになったら誇らしいじゃない?」


 恒はいつでも自分が作った花火を打ち上げる時を思うと胸がいっぱいになる。その時を夢に見ている。

 今は銀治に譲るけれど、いずれはすべて自分でやるのだ。

 初めから終わりまで。それこそが一端の花火師だ。

 今は少しずつ学んでいくしかないけれど。


 そうして歩いていると、大川に近づくにつれて人が増えてくる。屋台の天婦羅のいい匂いが漂ってきて、七五三太は花火よりもそちらが気になるようだった。他にも花火見物の客を狙っていろいろと屋台が出ている。


 川開きとあって、花火を見ようと押し寄せる見物人は多いのだ。恒は人に揉まれながらも七五三太とはぐれないように手を繋いだ。


 やはり、見晴らしのいいところはすでに埋まっていて、恒も七五三太も岸辺の端っこの方からどうにか首を出すしかなかった。

 人の熱気が懐かしい。どきどきと胸が高鳴るのを感じていた。それは恋をした時以上のものだったかもしれない。


 すでにいくつかの花火は見逃したのかもしれないが、仕方がない。次を待とう。

 そして、口上が聞こえた。


「これより打ち上げられまするのは、仲屋吉兵衛の〈紅牡丹(べにぼたん)〉にござい――っ」


 胸の高鳴りが、ひゅっ、と冷え込んだ。よりによってかと。

 それでも、花火には違いないと気を持ち直す。見事な花火であればたとえそれが仲屋のものであっても認めるつもりはある。


 ドンッ、花火の音が響く。

 打ち上げられた花火は、音だけ大きかった。


 筋をつけて空に昇る〈牡丹〉の花火。これを選ぶ花火屋は多い。

 とても見られたものではないとまでは言わないが、ところどころ星が欠けていて広がりもない。素人目にはそこまでの違いは見分けられないのか、やんややんやの大歓声が上がる。


 作る時にもっと気をつけて星を見ればよかったのだ。

 自分なら、おかしなものは使わない。その見極めすらできないのかと虚しく思った。

 もしくは、職人に作らせただけで吉兵衛が仕上げたものではなかったのか。どちらにしても不甲斐ない。


 それですら花火師を名乗れる。勝手に悔しくなって一人で歯嚙みした。

 せっかくの花火見物なのに、考えることで頭がいっぱいになって周囲の声も聞こえていなかった。次に上げられる花火の支度が整うまでの時を楽しめてはいなかった。


 はっとしたのは再び口上が聞こえたからだ。

 次の花火はまずまずだった。偉そうに言うと何様だと思われそうだが、取り分けて目立った粗はなかった。あまり聞いたことのない店だったから、小さなところなのだろう。

 そして――。


「これより打ち上げられまするのは、金屋治兵衛の〈柳〉にござい――っ」


 実際に作ったのは銀治だが、今はまだ主の治兵衛の名で上がるようだ。

 パアン、と打ち上がる音まで心地よく聞こえた。音がよい花火は出来がよいものだ。


 派手さはないけれど見事な、美しい花火。

 なんて潔く、綺麗に開くのだろう。

 光が枝垂れ、空に絵を描くようだ。


 まるで銀治そのものの整った花火。技が人となりを表している。

 これならば鍵屋にだって負けないと恒は贔屓目なしで――贔屓目はあったとしても――思った。


「お恒さん、どうしましたっ?」


 七五三太が慌てている。どうしたのかと思ったら、恒の目から涙が零れていた。

 金屋の花火が思った通りのもので嬉しかった。胸が苦しいくらいにいろんな想いが込み上げる。


 金屋で働けて良かったと感極まって、いつの間にかそれが涙になって表れてしまった。悲しいから泣くのではないから、こんな涙ならいいだろう。


「あんまりにも綺麗だから」


 笑って涙を拭いた。そうしたら、隣にいた見物人が静かにつぶやいた。


「見事なものだ」


 着流しの落ち着いた老爺だった。品があるのに隙を感じさせない。武家の隠居といった風情である。

 しっかりと花火の良し悪しを見てくれる粋人だという気がした。


「あの花火、うちのお(たな)のなんです」


 思わずその老爺に話しかけていた。町人が武家に気安く声をかけていいはずもないのに、つい口が勝手に。

 けれど、その老爺はそれくらいで怒らなかった。


「ほぅ。よい花火師が育っておるな」

「あい。これからもずっと、金屋はみっともない花火なんて上げませんから、見ていてください」


 恒が花火師になるのだから、それは絶対に約束できる。そうでなくとも、銀治がいる。あの人は中途半端な仕事はしない。そこだけは誓って言える。

 老爺は目を丸くし、皺を深めて面白そうに笑った。


「そうか。それは楽しみだ」


 こうした、花火に目のない人はたくさんいる。花火師が作るのは目の肥えた人たちを唸らせる、そんな花火でなくてはならないのだ。


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