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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈三〉

 花火は船の上から上げられる。

 大尽や芸者を乗せた屋形船、水菓子を売るうろうろ船が大川を行き、両国橋の欄干には溢れんばかりに鈴なりの人が見える。


 そんな中、大筒を乗せた花火師の船に注目が集まるのだ。芸者のかき鳴らす三味線や小唄、騒がしい中でも張りのある口上が聞こえる。


 この時ばかりは空の星も端役に成り下がる。一等美しいのは人が作り出す火の花だ。

 熱い火の粉を浴びながらも、誇らしげに自分たちが仕上げた花火玉が消えてなくなるのを見届ける。


 パァッと開いて、刹那に散る。

 それでも、人の目に焼きついて離れない、そんな花火を作れたなら本望だと銀治は思っている。


 銀治に限らず、花火師であれば目指すところは同じだろう。目立ちたい、褒めそやされたいと、そんなものではなく、一番厳しい目を持つ(つう)が納得する作品を作りたいのが職人だ。


 作るだけでは十分でない。見事に打ち上げてこその花火だ。

 だから、本来であれば恒の花火も当人が打ち上げなくては意味がないのもわかっている。それでも、そこには危険がつきまとうのも本当だ。


 恒の目と手は確かに職人ではあるのかもしれないが、打ち上げに向いているかと言われるならば否だ。それは銀治自身にも言えることである。

 本音を言えば、銀治も打ち上げが苦手だ。それは、父が怪我をした際のことを覚えているせいでもある。ほんの少しの手元の狂いが事故に繋がるのだ。


 けれど、それよりも何よりも、船が苦手だった。船というよりも、川が。

 川は、世を儚んで身投げした死者がいつまでも底にいる。花火の光に怯んでいるうちは出てこないけれど、すっかり打ち上げ終わった後には水面から手を伸ばしてくる。

 自分しか見えないあの光景が苦手だった。


 いつか川底に引きずり込まれるのではないかという恐れを抱きながら花火を打ち上げる。

 もっと、これ以上はないと納得できる花火を作り上げないままで死にたくはない。跡取りの自分がいなければ金屋は終わる。治兵衛の手がなくなる。

 だから、川が怖い。


 だとしても、恒の花火を立派に打ち上げてやらなければと思う。角太郎の、千鶴への想いを乗せた花火だ。


 ただ、取りかかるのが早かったわけではないから、仕上がるのは川開きの末でやっとだろう。それも晴天に恵まれないと難しい。


 千鶴は、角太郎と恒のやり取りを聞くなり姿が見えなくなった。

 そういうことなら成仏するまで(そら)で待とうとしている気がした。

 千鶴が待ちくたびれてしまわないよう、今年の川開きに間に合えばいいが。




「若っ」


 出かけようとしたら呼び止められた。

 振り返ると、恒が慌ててぽっくりを履きながら言う。


「稲荷に参るんでしょう? あたしも行きます。明日も晴れますようにってお願いしないといけませんから」


 なんの屈託もなく笑う。

 苦労ならしてきたはずの娘なのに、そんなものはなんでもないとばかりに後ろを向かない。

 本当におかしな娘だけれど、恒が来たことで銀治の気が幾分紛れているのも本当だった。


「まあいい。さっさと行くぞ」

「もうちょっと優しく言ってくだすったら、もっと嬉しいんですけど」


 と、今度はむくれられた。

 物怖じとは無縁の、退屈しない娘だ。笑いが込み上げて、銀治は背を向けた。


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