花火師の娘〈三〉
それから、恒の修行が始まった。
とはいっても、毎日父から丁寧に教えてもらえるのは精々が小半時(三十分)くらいのものであった。
父には弟子が二人いて、そちらを育てるのにも忙しかった。恒のことはまだそこまで本気ではなかったのかもしれない。
それでも工場に張りつき、勝手に父の手を見て、漏れ聞こえる言葉を聞いて、息遣いを感じて学んだ。幼い娘が手を真っ黒にして嬉しそうにしているなんて、他の父親ならば喜ばなかっただろう。
とにかく、父と花火作りに携わっている時ほど幸せなことはなかった。
そうして月日は流れ、やっとのことで恒は十三歳になったが、まだ大人ではない。手伝わせてくれる花火は三寸玉まで。大物は手を出させてくれないのだ。
打ち上げにも一切携わらせてくれない。理由は、危ないからだ。
ちょっとしたへまで命を落とす。
自分の命ばかりではなく、仲間の命をも奪う。だから、打ち上げはまだ駄目だと。
こればかりはどうしても強くは言えないのだ。ただし、今のところは。
今はまだ仕方がない。我慢して待ち、大人になったら再び頼もうと思っている。
父を怒らせて花火そのものを取り上げられたくなかったのだ。
いつかは自分が拵えた花火を自分自身で打ち上げる。それを夢見て精進したい。
これが花火師を志す恒の抱く思いだった。
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花火は一発で一両もの金がかかる。
父が小さくとも店を構えられたのは、ひとえに金主――金を出してくれる大尽がいたからに他ならない。鍵屋の職人であった父をこのまま腐らせてしまうのは惜しいと、金を出してくれたのは地本問屋の主だった。
それでも、職人も少なく細々とした商いだ。
だからと言って卑下する必要はない。花火には作り手それぞれのよさがある。
「花火は、どの店か、誰が作ったかによって、同じ細工の花火でも別もんになる。打ち上げた花火を見て、ああ、あれはあの店の誰それの作だなってわかる通がつくようにならなくちゃいけねぇ。そうしたらよ、恥ずかしい花火なんざとても上げられねぇからな」
口癖のように言う父。
火薬の粉を吸わないように口元を手ぬぐいで覆っていても、目元が誇らしげに緩む。父にはそれに見合った技量があるのだ。
「あたし、おとっつぁんの花火なら他にいっぱい打ち上げられても見つけられるよ」
父の花火は群を抜いて美しい。しっかりと思い描いた通りの花を咲かせる。
玉屋市兵衛の才によって霞んでしまいがちだが、父も優れた職人であったのだ。
この店では、花火にほとんどの場所を取られ、暮らす人の方が申し訳程度に縮こまって暮らしている。
しかし、それが嫌だと思ったことは特にない。好きなものに囲まれている暮らしだから、なんの不満もなく、火薬であちこちが汚れてしまうことさえなんでもない。
朝餉をかっ込んで片づけていると、通いの職人たちがやってきた。
「おはようございやす」
給金をそれほど出せるわけではないのだが、二人は見習いとして通っている。父の仕事を見て学びたいのだそうだ。
花火作りの技は職人たちが口伝で伝えていく。一子相伝の秘技だ。だからこそ、学ぼうと思えばまず信用を得ることから始めなくてはならない。
一人は弥八、もう一人は勇吉という。
共に二十二歳であり、二人とも他所で修行してからここへ来たので、基礎はすでにできていた。恒にとっては兄のような二人だ。
弥八の方が落ち着いていて男ぶりはよいが、勇吉の方が話していて楽しい。
そして、花火のことに全身全霊を傾けている父は、どんな時でも店から離れようとしないので、何か用があると父の手となり足となり、動いてくれるのもこの二人だった。
この日、恒は朝早くから近くの稲荷に参った。
〈花火屋はいずれも稲荷の氏子なり〉
そんな川柳が残るほど、花火師は稲荷を信仰している。
鍵屋、玉屋の名も、王子稲荷の境内にある対なす狐の石像が咥える鍵と手にした玉から来ていると聞く。
ちなみに、恒の名も『きつね』である。
この名の由来を知った時は少々驚いたが、父なりに考えたありがたい名なのだと思うことにした。
「お恒ちゃん、支度はできたかい?」
「うん。勇吉さん、今日はよろしくね」
父にはもともと身内と呼べる縁者はなく、母を娶って初めて家族を持ったというようなことを言っていた。母の方は浅草の出で、そこに恒の年老いた祖母がいるのだ。
たまには顔を出しに行かないと、いつ会えなくなるかわからない。だから、勇吉か弥八のどちらかが江戸市中まで買い出しに出る際、ついていって祖母のところでひと晩泊まって帰るのが習わしだった。
父は一度も行かない。
花火に手がかかるからというのを理由にしているが、本当は母を亡くしてから祖母に合わせる顔がないと思っているから会えないでいる気がした。
それでも、恒には祖母に会いに行けとよく言う。孫が行けば祖母は喜んでくれると思っているのだ。
もちろん祖母は喜んでくれる。
けれど、祖母と暮らしている伯父夫婦もそうかと言えば、そんなことはない。露骨に来るなとは言わないが、あまり来てほしくもなさそうだと感じたのはいつからだっただろうか。
それでも、祖母には会いたい。その思いで恒は浅草へ足を向けるのだった。
伯父夫婦は小さな酒問屋を営んでいる。従兄たちはすでに大人で、奉公人たちに混ざって商いを学んでいた。恒と一緒になって遊ぶような子供はいないのだ。
手土産に、少し遠回りをして長命寺の桜餅を買ってから行く。人気があって並ばないと買えないけれど、祖母が喜んでくれるのだ。母もこの桜餅は好きだった。
「お恒ちゃん、もう少し歩けるかい?」
勇吉は幾度も足を止め、気遣ってくれた。師匠の一人娘とあっては大事に扱わぬわけにもいかぬのだろう。
「平気。少しも疲れてないよ」
本当にそう思って言ったけれど、勇吉はやせ我慢と受け取ったのか、先を指さした。
「ああ、あそこの茶屋で一服しようか。うん、そうしよう。喉が渇いたし、足もくたくただ」
まるで自分が疲れているかのようにして恒を休ませてくれた。
江戸の朱引きの中は長閑な向島とは違い、華やかな騒がしさがある。
それに気後れしてしまうけれど、思えば恒は江戸両国の生まれなのだ。今の暮らしが長いから、昔のことはすでにおぼろげである。
浅草諏訪町、酒問屋の提看板を認め、勇吉は恒の背に手を添えながら玄関先で声を張り上げた。
「御免くだせぇ。うちの師匠に頼まれてお恒ちゃんを連れてきやした」
「ああ、よく来たね。さあお上り」
そう言って迎えてくれた伯母の目は少しも笑っていなかったけれど、それに気づかない方がよさそうだった。
奥へと踏み入る。日当たりがいいとは言えないそこが、恒の祖母である関の部屋だ。
「おばあちゃん、恒だよ」
腰高障子の前から声をかけると、中からぼそぼそと声が返った。
「ああ、よく来たね。お入り」
開けた部屋は淀んでいて、なんとも言えない生あたたかさだった。ずっと会いたいと思っていたのに、戸を開けた途端に不安になった。
昼間だというのに蒲団を敷き、横になっている。
「お、おばあちゃん、具合が悪いの?」
「少し風邪をひいてね。移しちまうから、お恒もあんまり長居しないで帰ったらいいからね」
口調は優しい。けれど、それだけ喋ったら急に疲れたようにしてまぶたを閉じた。
「おばあちゃん、早くよくなってね?」
祖母の冷たい手を取った。真冬でもないのに、氷柱のように冷たい手だ。
皺に埋もれた顔は、それでもどことなく亡き母の面影を漂わせている。
「ああ、もちろんだよ。お恒、おとっつぁんはどうしているんだい? 息災かい?」
「うん。毎日花火を拵えてる」
そうか、そうか、と祖母はかすれた声で答えた。あまり無理をさせてはいけないと思い、喋るのをやめて祖母の手を擦りながらそこにいた。
この時は祖母の心配をしていられた。
しかし、本当は自分の方が天に見放されていたのだった。
それを知ったのは、翌朝になって町飛脚が血相を変えて店先に飛び込んできたからである。




