花火師の娘〈二〉
「――ね。お恒、ほら、起きろ」
聞き慣れた呼び声がして肩を揺すられた。そこでようやく、自分は眠っていたのだと気づいた。
起こしたのは花火師である父の勝造だ。十一になった恒は、この向島で父と共に暮らしている。
職人らしく口数は少なく、気の利いたことを言うでもない父だ。ただし、口数よりも仕事で気質を表している。
夜空に咲き誇る火の花を、丹精込めて作り上げる父の指先。いつもその仕事の確かさを見て惚れ惚れとするのだが、この日は眠気に負けてしまった。
いくら春とはいえ、うたた寝していては風邪をひくと、見かねて起こしてくれたらしい。
「いつの間にか寝ちゃってた」
目を擦りながら恒は重たい頭をもたげる。
幼い顔立ちに人目を引く美しさはなく、ごく平凡だ。目の下に泣き黒子があって、これと同じものが父にもある。そんなところまで似るなんてね、とかつて亡き母は笑っていた。
「玉貼り、終わったの?」
火薬を詰めた花火の玉に、細長い和紙を何重にも均一に貼り合わせていく作業を玉貼りという。貼りつける和紙は、反故紙から楮や三椏、そのつど使い分けている。
何度もこの作業を繰り返し、天日に干す。今日がこの四寸玉の最後の玉貼りだった。
「ほら、この通りな」
父は見事なまでに丸い花火玉を撫でた。完璧と言っていい出来である。
打ち上げるまで花火の良し悪しはわからない。ただ、丸くない花火は打ち上がっても歪にしか開かないのだ。
この花火玉は見た目には僅かな乱れもなく、それは丸い丁寧な仕事だった。
だからこそ、悲しくて震えた。
「ここまできて、最後のところを見届けられなかったなんて」
「お前が寝るからだろうが」
「そうだけど――」
花火師の朝は早くて、まだ子供の恒では父と同じほど長く起きていられないのだ。
毎日、眠たい目を擦って齧りつくように作業を見ていたけれど、それが最後まで持たなかったのが悔やまれる。
「今日は終いだ」
暮れ六つを少し回ったかというところだが、今日はここまでだ。
花火師の仕事場には当然、火薬がたくさんある。ちょっとした火ですら命取りだ。
だから油代を惜しむわけではないが、夜間に仕事はしない。日が沈んで手元が暗くなったら仕事終いだ。
「触ってもいい?」
「少しだけだぞ」
父の膝の上にある花火玉を触らせてもらった。貼り立ての和紙は糊の水気を含んでしっとりしている。
見た目が綺麗な球になって見えても、触ればごまかせない。
この滑らかな手触りに父の仕事の確かさを知るのだった。
以前、父は江戸の花火屋である鍵屋の職人であった。
鍵屋といえば江戸随一の、知らぬ者はいない大店である。
そこに一人の天才がいた。
それは父ではなくて、手代であった清吉という男だ。暖簾分けしてもらい、〈玉屋〉という屋号で新たに両国にて花火屋を始めた。
日本橋にある鍵屋とは目と鼻の先という近さである。それだけ鍵屋弥兵衛は清吉に目をかけ、期待していたということだ。
清吉は名を改め、玉屋市兵衛となる。
そして、その玉屋市兵衛に父は腕を見込まれた。
ぜひ、連れて行きたいと鍵屋弥兵衛に頼み込んだのだという。
この時の父は多くの職人を抱える鍵屋でそれほど目立ってはいなかった。
市兵衛は、父にとって兄貴分で義理があった。けれど、それを言うなら鍵屋にももちろんある。
この時、父はどちらも選ばなかった。玉屋を選んだからといって、鍵屋に後ろ足で砂をかけることにはならないはずだが、父はそれをよしとしなかった。
父が玉屋の手を払い除けたのは、妬心からであったのではないかと口さがなく言う者もいた。
結局父は江戸市中を離れ、向島の川沿いに小さな〈辰屋〉という屋号の店を構えた。
何故こうした道を選んだのか、それは父にしかわからず、語る人でもなかった。
幼い恒は深く考えていなかったが、母は違った。
「お前さん、どうして――だって、あんなに――」
「うるせぇ。女が口を出すんじゃねぇ」
「そんな、あたしはただ――」
恒が寝ていると思って、二人はよく口喧嘩をしていた。
理由を母が知ろうとしたのは当然なのに、それでも父は語りたくなかったのだ。その意地を、母が亡くなってから父が悔いたのかどうかはわからない。
母は向島へ越してきて一年と経たずに亡くなった。昔はよく笑う母であったのに。
花火師の値打ちは、両国川開きに華々しく花火を打ち上げられてこそだと、誰かが言った。母はそれを真に受けていた。
「おとっつぁんはね、こんなところで終わる腕前じゃあないんだよ」
母が恒に向け、悲しげにそんなことをつぶやいたのが忘れられない。
そんな母のために稲荷に何度も足を運んで快癒を願ったけれど、母の気力は底を突いてしまったのだ。
向島の水は母には合わなかった。
そうして、父一人、子一人になった。
この時から、父の中で何かが変わったのかもしれない。
幼い娘が仕事終わりの父のための冷酒を用意して差し出した時、父がその酒をちびりと舐めながら言ったのだ。
「――肥前長崎の方にな、津村亀女ってぇのがいたんだ」
「お亀さんって、誰?」
「唐土(中国)風のな、鶉の香炉なんぞを作った鋳物師だ」
「鋳物師? 女子なのに?」
これには驚いた。
鋳物は、金物を熱い火で溶かして型に流して作り上げる。汗みどろになって、火傷をして、やっと出来上がるような代物なのだ。それを女子が、と。
父は珍しくふっと笑った。
「ああ。女がよ、男でもきつい仕事を、そりゃあ見事にやってのけたそうだ」
「すごいお人だね」
「後継ぎがお亀しかいなかったんで、試しに仕込んでみたってぇ話だが」
そこで言葉を切ると、父は恒の顔をさっと見て、それから酒を飲み干した。
ぐい呑みを盆に戻し、つぶやく。
「女だからいけねぇ。本当にそうなのか? もしかすると、お前だってお亀みてぇな才があんのかもしれねぇのにな」
「あたしに?」
「俺はお前が生まれてから、いや生まれる前から火薬に触らなかった日はねぇ。お前はそんな俺の子だ。誰よりも俺の作りてぇ、目指す花火を引き継げるんじゃねぇのか」
この時、父は酔っていたのだろう。
それとも、頑固な父だとばかり思っていたが違ったのだろうか。
女に生まれてしまった以上、花火師にはなれないと思い込んでいた。せめて花火師の女房になって花火に関わっていけたらいいと、そう思って自分を慰めていた。
本当は、自分も火薬に触れたかった。夜空に大輪の花を咲かせることができたなら、こんなにも嬉しいことはきっとない。
「あたし、花火師になりたい。おとっつぁんの跡を継ぎたい」
正直に言ってみたら、父はしばらく黙った。
酔いが醒めてしまったのかとがっかりしたけれど、話はちゃんと続いた。
「火傷をたくさん作って、嫁にもらってくれる男なんざいなくなるぞ」
「花火を作れるのならいい。お嫁になんか行かない」
力いっぱい言ったこの時は初恋も知らない幼子だった。本当の意味では何もわかっていなくて、けれどそれでいいと真剣に思っていた。
「花火師の技は、これと決めた後継ぎ以外には人に漏らしちゃいけねぇ。どんなことがあってもだ。守れるか?」
父には恒を後継ぎとしてくれるつもりがあるのだ。嬉しくて思いきりうなずいた。
そうして、父は恒をじっと見つめた。
それは父親ではなく花火師としての目だったと、長じた後になってもそれを覚えている。
娘の将来よりも何よりも、ただ儚く消えるだけの花火を追求する一刻者の目だった。
この物語はフィクションですので好きにやってますが(え?)女性の花火師は江戸時代にはまったく存在しなかったようです|д゜)
あと、青とかいろんな色のついた花火もこの時代にはまだありません。
玉屋が鍵屋の分家という有名な話も実は裏づけが怪しい部分があり、事実かどうかは……とする説もあるのですが、こちらではそのまま採用させていただきました。
※津村亀女
https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/528320




