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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈一〉

 庭先には鮮やかな青葉が茂り、杜鵑(ほととぎす)が鳴く。

 日差しも強まり、恒は夏の始まりを肌で感じていた。


 夏といえば大川の川開き。

 五月二十八日から八月二十八日の間、夕涼みとして川開きが行われるのだ。


 ここでのみ、花火屋が丹精込めて作った花火を上げる許可が下りる。

 ただし、全盛期はほぼ鍵屋と玉屋の独壇場。他の花火屋などには目もくれなかった。

 その二大勢力の玉屋が江戸所払いとなり風穴が空いた。玉屋は以前ほどの勢いを取り戻せてはいないのだ。

 鍵屋が見事な花火を披露している間も、玉屋の掛け声は消えずに人々は玉屋の花火を懐かしんでいるのだが。


 こうなると、鍵屋と肩を並べられる花火屋は江戸のどこを見渡しても今はない。

 鍵屋弥兵衛(やへえ)――その名は花火師たちには尊いものである。


 とはいえ、金屋も川開きに打ち上げるために花火を作っている。花火屋として加わらずに終えるわけにはいかない。

 今年の川開きは恒にとって特別なものとなる。恒が作った花火があるからだ。


 たった一発だけだとしても、それは角太郎の想いを千鶴に届けるための大事な花火だ。特別でないはずがない。


 これを仕上げる間、百蔵はやはりいい顔をしなかった。皺の寄った顔にさらに皺を刻んで工場にいる恒のことをじっとりと見ていた。

 その目は、いかに恒が場違いであるかを知らしめるような、咎める厳しさがある。


 それでも、やると決めたのだ。

 最初は気になったものの、いつの間にか慣れて自分の手元にだけ集中するようになった。

 そうしたら、百蔵は銀治に矛先を変えた。


「若、本当にお恒が作った花火を金屋の名で上げるってぇんですか?」


 銀治はいつでも落ち着いて真っ向から言葉を受け止めた。年若いのに肝が据わっている。


「ああ、もう決めた。不発だろうと、黒玉(くろだま)だろうと、責めは俺が受ける」


 はっきりと言いきった。銀治は恒が金屋の名に恥ずかしくない花火を作ると信じてくれたのだ。

 そう思ったら胸が熱かった。

 けれど、花火師に水気は厳禁だ。涙は要らない。


「あたし、百蔵さんにも認めてもらえる花火を作りますっ」


 それこそ、この命を賭けたっていい。それくらいの意気込みで作る。

 けれど、そんな熱意は百蔵には伝わらなかった。がっかりしたような冷めた目をしてため息をついている。


「儂はな、金屋の花火を誇ってここまで続けてきた。それを汚すような真似は我慢ならんよ」


 汚すような真似なんてしない。

 それでも、小娘が作ったというだけで花火に値打ちがなくなるというのだ。


 技も心意気も見てもらえず、ただ小娘だから駄目だと。

 いつまでもそれを言われ続ける。いつまでも。


 腹にぐっと力を込めて拳を握った。

 気づいたら唇を嚙んでいて、口の中に血の味がした。


「あたしが女子(おなご)なのはどうしようもありません。それでも挑むか、諦めるかのどっちかです。だからあたしは、諦めない方を選びます」


 面と向かってこれを言ったら、百蔵はゆるゆると首を振る。亀にそっくりな仕草で。


「この頑固者が」

「百蔵さんだって頑固です」


 いつまでも交わらない二人の間で、銀治がぱん、と手を叩いた。


「口よりも手を動かせ。川開きまで間がない。晴れた日ばっかりじゃねぇんだからな」


 百蔵は渋々、へい、と答えて下がった。銀治は恒に目を向け、軽くうなずいた。

 銀治がくれたこの機会は、きっとたった一度きりだ。しくじれば次はない。

 やはり女子に花火なんて作れるわけがなかった、とそれで(しま)いだ。


 だから、もちろん角太郎のためもあるが、どうあっても見事に作り上げなくてはならない。

 恒はただひたすらこの花火のことだけを考えて過ごした。




 本来なら、組み込む掛け星も全部自分で一から仕上げたかったけれど、それをするなら冬から取り組まなくてはいけなかった。

 星はすでにある程度出来上がりつつあるものの中から選ばせてもらって続きの作業を施した。


 ――間断紙(はさみがみ)に書いた文を受け取った時、角太郎の手が震えていた。

 きっと背筋を伸ばして一文字一文字を泣きながら認めたのだと思う。

 これを読む気はなかった。読んでいいのは千鶴だけだから。


 その大事な文で火薬を仕切り、寸分の違いもなく三寸玉を貼り合わせる。

 この玉貼りは、一枚貼って一日乾かす。この繰り返しだ。それも乾き具合によるので、必ずとも言えない。


 残りの日数でどこまで乾かせるかわからない以上、恒の作る花火は八月の川開きも終わりの納涼期に打ち上げるしかない。ここに間に合わなければ今年はもう無理だということ。

 なるべくいい日に恵まれるようにと稲荷に祈願することも欠かさなかった。


 その甲斐あってか、恒が花火の玉皮を閉じてから一度も雨が降ることはなかった。ただひたすら暑い日が続いている。




 川開きで打ち上げられる花火は、それぞれの店の花火師たちの手によるものである。日に二十ほど上げられる。

 中でも鍵屋は圧倒的だった。この長い歳月を最高の番付で走り続けている。この鍵屋を上回るとされていた玉屋の花火をもっと見ておきたかったけれど、今となっては難しい。


 他の花火屋が今の鍵屋に太刀打ちできたものではないけれど、いつかは追いつくと願わずにはいられない。

 ただし、その多くの花火屋の中には恒が目にしたくもない屋号もあるのだった。


「――仲屋」


 もう関わりはない。知らない。

 こちらとしてはそのつもりだけれど、向こうはどうだろう。あんな恩知らずはどうでもいいと言ってほしいところだが。


 ――気にしすぎるのはよそう。せっかくの川開きが台無しになる。

 かぶりを振り、仲屋を頭から追い出した。


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