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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【参】想いを文に

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想いを文に〈九〉

 金屋に戻ると、いつもは元気な皆もさすがに沈んでいた。

 そのせいか、空まで曇っている。


「角太郎は?」


 銀治が尋ねると、半平はため息の後で答えた。


「縁側で」


 千鶴の家でのやり取りはとても角太郎には伝えられない。角太郎は本当に川に飛び込んで千鶴に会いに行きそうだから。


 けれど、本当はその方がいいのだろうか。

 角太郎は千鶴に会いたいのだ。千鶴も角太郎を待っている。


 あの世で二人が添い遂げられるのなら。

 そんなことをふと思い、悲しくなった。


 ただしそれは角太郎の親や銀治といった、この世に遺された縁者たちがさらに悲しむことでもある。

 何が正しいのか、年若い自分には到底わからなかった。

 父が亡くなった時、恒も一緒に()()()に行きたいと願ったことがあるのも本当だ。


 心が定まらないままなのに恒が銀治の後ろについて行ったのは、角太郎のことが気になったからだ。

 角太郎はぼうっと空を見ていた。

 干していた花火は、雲行きが怪しくなってきたから片づけられている。花火に水気は禁物だ。


 縁側から見えるのはただ広い、何もない庭だった。


「角太郎」


 銀治が呼びかける。それでも、角太郎は動かない。魂が抜けたように。


 足音を大げさに立て、銀治は角太郎の横に腰を下ろした。

 そして、吐き捨てる。


「いつまで腑抜けていやがる」


 けれど、それを言った時の銀治の顔は見ていて切ない。

 角太郎は、うん、とつぶやいた。襟もだらしなく乱れて、(びん)もほつれている。一番最初に知り合った時の伊達男ぶりは見られない。


「お千鶴のことを考えてた。多分あいつは、人が誰かに贈れる一生分の想いを、こう短い間にぎゅっと詰め込んで俺にくれていたんだなぁって」


 銀治はただ黙って聞いている。恒も何も言えなかった。

 角太郎の声が揺れて、それでも言葉にして吐き出すことでどうにか持ち堪えているようにも思われた。


「なあ、どうしたら魂だけになったお千鶴に、今の俺の気持ちを伝えられる? お千鶴の体に近寄らせてももらえねぇのはわかってる。無理やり行って、騒がして、葬儀をぐちゃぐちゃにして、それでありがとうも何もあったもんじゃねぇよな。墓に入ってからで間に合うのか? その頃にはお千鶴の魂は極楽浄土にいるんじゃねぇのか」


 何度も目を擦る仕草をしていた。

 銀治はあえて、そんな角太郎を見ないようにしていたのかもしれない。


「お前がここで口に出して言ったこと、ちゃんとお千鶴は聞いてるさ」


 銀治が下手な慰めを口にする。それで角太郎は納得しなかったけれど。


「そうかなぁ――」


 そこでふと、恒は思い立ってその場を離れた。工場へ向かい、()()()()を取って戻ってくる。

 足音が慌ただしいのは許してほしい。


「あ、あの、これっ」


 恒は白い薄紙を角太郎に差し出した。それは、花火を組み立てる時に使う間断紙(はさみがみ)である。

 銀治は不思議そうに口を開けていた。角太郎は間断紙を受け取り、ひっくり返して見ている。


「これは?」

「花火を組み立てる時に使う間断紙です。これで火薬を仕切って、花火に込めるんです。角太郎さん、この紙にお千鶴さんに宛てた文を書いてみませんか?」

「この薄紙に?」

「あい。その文を使って若に花火をこさえてもらうんです。花火は空高く上がりますから、きっと極楽浄土に届きます」


 きっと届く。

 千鶴は今の角太郎の想いを受け止めてくれる。

 そう思いたかった。それは角太郎も同じだったのではないだろうか。


 またしても、つっ、と零れた涙を拭い、腕で両目を隠したまま上を向いた。けれど、その口元だけは僅かに綻んで見えた。


「そうかぁ。今度は俺がお千鶴に文を書く番かぁ」


 たくさん、気持ちの籠った文を受け取ったのだ。それもいいだろう。

 角太郎はごしごしと目を擦り、それを最後に泣くのをやめた。悲しみにやつれた顔ではあったけれど、どうにか引き攣った笑みを浮かべ、間断紙を見つめた。


「ありがとうよ、お恒ちゃん」

「いえ」


 今、角太郎が苦しいのは、自らの行いが悪かったせいかもしれない。

 けれど、角太郎が千鶴に誠実であったとしても、この別れはやってきたのだとしたら、どちらにせよ悲しみは変わらずに深かった。角太郎を責めれば千鶴が浮かばれるわけではない。


 そんな中、人は何を答えとすべきなのだろう。

 角太郎が千鶴との思い出を大事に前を向いていけたら、それが一番いいように思われる。


 銀治は何も言わず、ただ成り行きを見守っている。そんな友をちらりと見てから、角太郎はつぶやく。


「でもよ、銀治には読まれたくねぇや。なあ、お恒ちゃん。お前さんが俺の文を込めた花火を作ってくんな」

「えっ」

「花火師になるんだろ?」


 これを言った角太郎は、最初に会った日の明るさをほんの少し取り戻したようにも見えた。


「あ、あい」


 戸惑いつつも答える。


 銀治は――小さくうなずいた。それでいいということだろう。

 覚悟を決め、恒は拳を握り締めて答える。


「わかりました。あたしが丹精込めて仕上げて、必ず打ち上げて見せますっ」


 それを聞き、角太郎は腫れている目を細めた。


「ああ、ありがとうよ」


 そうして角太郎はよろよろと、酔っ払いのような千鳥足で庭に向けて歩き出す。それでも、自分の足でやっと立ち上がれたのだ。

 銀治はその背中にいつもより柔らかく声をかける。


「気をつけて帰れよ」

「お前さんがそんな優しいことを言ってくれるなんてなぁ」

「馬鹿野郎。お千鶴のやつ、生まれ変わったらもっとましな男を選べばいいんだ」

「違いねぇ。でも、そうなったら今度は俺が追いかけるぜ」


 手を空に向けて突き上げ、そのまま大きく振る。何にも触れることのない手は虚しく下りた。

 銀治は、恒などよりもよほど角太郎を案じている。だから、角太郎が気力を取り戻しつつあって心底ほっとしているのだろう。




 角太郎の去った庭先――。

 ぽつりと銀治は言った。


「大口叩いたんだ。ちゃんと作れよ」

「あい」


 思えば今日はろくに働いていない。七五三太たちに悪いなと思ったけれど、銀治は続けて言った。


「ただし、打ち上げは俺がやる」

「花火は作った花火師が上げるものです」


 そんなことは誰に言われるまでもなく銀治が知らないわけがない。

 とはいえ、恒が打ち上げに携わったことがないのも見通されている。父に花火の作り方こそ教わったけれど、打ち上げはさすがにまだ早いと言われてそれっきりだった。


 女子にできることではない、危ない、と銀治に頭から言われると思って構えた恒だったが、銀治はそれを言わなかった。


「角太郎もお千鶴も俺の幼馴染だ。俺が何もしねぇんじゃ恰好がつかねぇだろ。だから俺に上げさせてくれ」


 恒はきょとんとして銀治の顔を見たが、銀治は相変わらず整った顔をしかめているだけだった。

 その表情は銀治らしいと言えたかもしれない。少し可笑しくなった。


「仕方ありませんね。じゃあ、若にお願いします」

「偉そうだな」

「だって、あたしだって上げたいのに譲るんですからね。それから、あたしが作ったら百蔵さんがいい顔をしませんよ。説き伏せるのは若の役目ですからね」

「そこか。まあ、なんとかする」

「そうしてください」


 そんなやり取りの後、銀治はふっと笑った。一緒に恒も笑った。

 悲しいことがあっても、人はどこかに救いを探し求める。遺された人たちが手を取り合い、一緒に悲しみを乗り越えていくしかないのだ。


 千鶴を知らなかった恒が角太郎や銀治と同じほどの悲しみを抱えたとは言えないけれど、せめて力になれたらと願った。

 ほんの少しでも、それができただろうか。



     〈【参】想いを文に ―了―〉


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― 新着の感想 ―
恒が実際に打ち上げ花火を作れるのかは置いておいて、「作ってくれるまで待つ」と理由を付けて、嘆いている人に生きる目的を与えるのは上手いなと思いました。 やることもなくただ生きるって、意外としんどいもので…
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