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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【参】想いを文に

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想いを文に〈七〉

 角太郎が失意のどん底にいるのはよくわかった。

 死のうとしたわけではないとしても、死んでも構わないとどこかで思っていたのかもしれない。


 死なないと千鶴に会えないから。

 千鶴に会えないと、ずっと謝ることができないから。


 この世で添い遂げることは叶わず、もういない千鶴の面影を抱いて生きるしかないのだ。

 苦しいな、と恒も沈鬱に顔を歪めるばかりだった。


 角太郎は袖から、ぽろりぽろりと文を取り出す。

 細長く折り畳まれた文はいくつもあって、それを震える指で開いていく。


「手文庫に、残ってた、って」


 すべての文を角太郎に届けたわけではなかったらしい。

 千鶴は書いた文を箱にしまい込んでいた。千鶴が亡くなった今、それが角太郎のもとへ届く。


 角太郎が何枚もある文を部屋に広げ始めた。

 銀治がその文を覗き込み、恒も一緒になって目を向けた。


 それは、女らしい手だった。

 流れるような文字が美しいけれど、それが随分崩れてしまっているものもあった。

 その文に、恒が会ったこともない千鶴という女子の心が詰まっている。



 ――旅になど出ないでほしいとはとても言えません。

   わたしもついていけたらどんなによかったか。

   なんて、しつこいことを言って角太郎さんを困らせたくはないのです。

   だから、この想いは仕舞っておきます。

 

   角太郎さんがわたしと祝言を挙げるからには

   立派な男になりたいと言ってくだすったから、寂しくても見送ります。

   旅先については行けませんが、わたしの心だけは連れて行ってくださいね。


 

 ――角太郎さん、お忙しくされていてお体を壊してしまわないか心配です。

   桜の枝に蕾がつきました。角太郎さんと一緒にお花見ができたらいいのに。

 

   でも、角太郎さんがお戻りではないから、

   まだ咲かないでと桜にお願いしておきます。

  

   お会いしたい気持ちは募るばかりですが、

   商いの邪魔にはなりたくありません。

  

   大人しく待っています。

   道中のご無事をお祈りしています。



 ――このところ、起き上がれない日が少し増えました。

   角太郎さんがお戻りの頃にはしっかりとお迎えしたいので、必死です。


   病は気からと申しますから、

   横になっていても楽しいことを考えて過ごしますね。



 ――夢に角太郎さんが出てきてくれました。

   これは角太郎さんがわたしのことを想ってくれているから、

   夢に出てきたんですよね。


   嬉しくて、涙が零れました。

   会えたのに、寂しくなってしまいました。

   声が聞きたいなんて、わがままですね。



 ――あとどれくらいで角太郎さんにお会いできるでしょう。

   こんなにも気弱になってしまうのは、体が弱っているせいです。

   どうしても、無理が利かないのです。


   こんな体で角太郎さんの嫁になれるでしょうか。

   丈夫な子を産めるでしょうか。

   ごめんなさい、角太郎さん。



 本当に優しい、清らかな心が伝わる。

 会いに来ない角太郎を責めるようなことは書かれておらず、それどころか角太郎を信じ切っているのだ。


 角太郎は江戸に帰ってすぐに千鶴に会いに行かなかった。他所で遊んでいた。

 それを少しも疑っていない。

 だからこそ角太郎は、こんなにも心根の清い許嫁を裏切っていた自分のことが心底嫌になってしまったのだ。


 今更嘆くのは勝手なことかもしれないけれど、それでも(うしな)った今になって千鶴がどれほどかけがえのない人であったのかを心が訴えている。

 息も満足にできないほど苦しいのだろう。


 引きつけを起こしたようにしてしゃくり上げる角太郎は、自分でもどうしていいのかわからないようだ。


 銀治の深く長いため息が聞こえた。

 それから銀治は部屋の外へ向けて声を張り上げた。


「七五三太、ちょいと来な」


 どたどたと騒がしい足音がして、七五三太が障子の隙間から顔を覗かせた。


「あい。お呼びでございやすか?」

「角太郎は今晩うちに泊める。ひとっ走り皐月屋に行って、そう伝えてきな」

「あい。行って参りやす」


 いつもは悪態をついているが、銀治も角太郎が心配なようだ。

 この調子ではいつ後追いをするかわからないと思うのかもしれない。




 しばらく角太郎は何も言わず、ただ茫然としていて、時折ふと思い出したように声を殺して泣いていた。そのすすり泣きが障子の裏側まで聞こえてくる。


 あまりに涙ばかり零すから、そのうちに干からびるのではないか。

 恒は湯を沸かし、今度はぐい呑みに白湯を注いで持っていく。その時には、角太郎は疲れ果てて横になっていた。


「角太郎さんは眠ったのでしょうか?」


 畳の上で膝を滑らせつつ、角太郎を起こさないように小声で尋ねる。

 銀治は眉根を寄せてうなずいた。


「ああ、泣きながら寝るなんざ餓鬼(がき)みてぇだな」

「仕方ありませんよ、こんなの――」


 白湯の載った盆を横に置き、恒もしょんぼりと項垂れる。

 部屋に散った千鶴の文が物悲しい。それをかき集めながらつぶやく。


「もしお千鶴さんが今の角太郎さんを見たら、嬉しいでしょうか?」


 文を拾った手が、まるで二人の想いに触れたみたいに小刻みに震えてしまった。

 銀治は何も答えない。ぼうっと虚空を見つめている。だから恒だけが話す。


「こんなにも悲しんでもらえて、嬉しいでしょうか。それとも、帰ってきていたくせに、すぐに会いに来なかったと知って怒っているのでしょうか」


 自分ならばどう思っただろう。

 死んで事実を知った時、愛しい許嫁にがっかりせずにいられただろうか。


 多分、無理だ。恒の初恋――勇吉の時のように、ふっと冷ややかな気分になったのではないか。

 それならば今、幽霊になった千鶴がいたなら、角太郎を冷たく見下ろしているのかもしれない。


 そう思ったけれど、二人を知る銀治は違う考えのようだ。緩くかぶりを振っている。


「嬉しくねぇし、怒ってもいねぇよ。ただ、詫びてる――」

「詫びて?」

「生きてりゃ、怒ることもできた。それから、許すことも。お千鶴は待てなかったことが悲しいんだ」


 それこそ、千鶴のせいではないのに。

 そんな人もいるのか。

 生前の千鶴に会ってみたかった。きっと、とても可愛らしい人だったのだろう。


「角太郎さんはそんなにも想われて、自分がどれだけ恵まれていたかを今の今まで知らなかったんですね」


 銀治は、そうだな、とだけ返してやはりぼうっと上を見上げた。


補足:手文庫は手紙などを入れておくための箱です。

   文庫本に挟んであるとかではないです(^^;)

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