想いを文に〈四〉
「――若、あのお人の許嫁ってどんなお嬢さんなんです?」
なんだかとても気の毒に思えて仕方がない。
そうしたら、銀治は軽く嘆息した。
「紙問屋の娘でな。そりゃあ可愛がられているんだが、世間ずれしてねぇってのか――角太郎に惚れて、懸命に二親を説き伏せて許嫁になったんだ。お千鶴はいつも、角太郎が無事帰ってくることを願って待つばっかりだ」
「ひどいです。若も本当のことを教えてあげたらいいのに」
「角太郎も、根っからの悪人じゃねぇからな。祝言を挙げたら大事にするつもりはあるんだろうが、今はあの調子だ」
それだけ好きな人が見境なく女遊びを繰り返していると知ったら、その許嫁は寝込むほど傷ついてしまうのかもしれない。
そんなことにはならない方がいいのか、それとも、いっそ見切りをつけて角太郎が捨てられてしまえばいいのか、どちらだろう。
もしかすると、勘づいているけれど好きなので何も言えないという気もする。
この時、銀治はちらっと恒の方を見やった。
「あいつはいつでも、誰にでもああだから、真に受けるんじゃねぇぞ」
これにはつい、冷ややかに笑ってしまった。
「あたし、もうそんなに子供じゃあありませんよ」
あんな表向きだけいい顔をする男に憧れたりするほど子供ではない。色恋は自らの足を引っ張ると学んだのだ。
そう、勇吉への思慕がなければ、もっと早くに仲屋を見限って抜け出せていたはずなのに。昔の自分はとことん愚かだった。
銀治はこの言葉にぎょっとしたような、意味を受け取り損ねたような複雑な顔をしていた。そんな銀治に遠慮なく尋ねる。
「お千鶴さんってお人は若とも幼馴染なんでしょう? 角太郎さんよりは若の方がまし――いえ、まとも――ええと、いい人? だと思うんですけど、選ばれたのは角太郎さんなんですね」
今度は呆れられたようだ。根っから正直な性分なので仕方がない。
「お前はもう少し気を遣うことを覚えろ」
「あっ、もしかして若、お千鶴さんに袖にされました? 嫌なことを思い出させてごめんなさい」
銀治なら見た目だけで女子が寄ってくる。
けれど、この愛想のなさでがっかりされ、それを乗り越えた女子だけがその奥にある優しさにも気づくのだろう。気の長い話なので、そこに行き着く前に去られるということも十分にあり得た。
なんてことを考えていると、銀治に睨まれた。
「誰がいつそんなこと言ったっ?」
しかし、むきになるのもみっともないと思ったのか、少し顔をしかめただけだった。
「お千鶴は小せぇ頃はあんまり丈夫じゃなくってよ、ほとんど家の中にいたんだ。それが、俺にくっついてきた角太郎と知り合ってからは一緒になって外に出てくるようになって、それで随分丈夫になった。――角太郎は人を褒めるのが上手ぇからな。あいつの言葉を受けて顔も明るくなって、ひたすら嬉しそうで、誰が見てもお千鶴は角太郎しか見てねぇのがわかっただろうよ」
口の上手い角太郎だから、たくさん褒めてくれて千鶴も嬉しかったのだろう。
けれど、その言葉の数々には実があっただろうか。空っぽで、立派なのは上辺だけではなかっただろうか。
そんなふうに疑ってしまう自分は、もう千鶴ほど無邪気ではないのだ。
「でも、角太郎さんって誰にでも愛想がいいんでしょう? 今だって女子だったら誰でも褒めましたよ。お千鶴さんは素直すぎるお人なんですか?」
千鶴は昔の自分のようだ。可愛い、優しい、いい子だ、と柔らかな言葉に包まれて気をよくして相手を好いた子供。
思い出して少し腹の中がずしりと重たくなる。
それなら、そのうちに目を覚まして気持ちが消えることもあるのかもしれない。祝言の前に気づいた方がいいのにと思ってしまう。
けれど、銀治はそう考えてはいないようだった。
「いいや。お千鶴は角太郎を認めさせるのに家のもんを根気よく説き伏せたんだからな。優しげで大人しく見えて、あれでなかなか頑固だ」
「ああ、なるほど」
大事な娘を嫁にやるには角太郎では不安だろう。
それを認めさせたのなら、千鶴は確かに芯の強い女子のようだ。
そこでふと銀治が少し笑った。
「お千鶴が言うには、角太郎は女を見ると誰にでもあの調子だが、それでも一番の気持ちは自分に向けてくれているってよ。大した自惚れだなって皮肉に言ってやっても、本気で嬉しそうに照れて返してきやがった。まあ、当人がそう思えるのなら、それで幸せなんだろうよ」
相手がどんなでも、本気で好いた人と祝言を挙げられたら幸せなのだ。
周りがとやかく言うことではなかった。
会ったこともない千鶴の心配よりも自分の心配をするべきなのかもしれない。
「わかりました。じゃあ、お稲荷さんへ急ぎましょう。すっかり遅れてしまいましたから」
「あぁ」
自分で振っておきながら雑に流したせいか、なんとなく銀治は不機嫌に答えた。一緒に稲荷へ向かい、久方ぶりに拝むと心が洗われる思いだった。
それ以来、恒はあっさりと角太郎のことなど忘れてしまったのだった。




