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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【弐】弔い花火

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弔い花火〈六〉

 店じまいをして夕餉の支度を終えた後、恒はそれを食べずに抜け出した。皆には疲れたので少し横になると言っておいた。

 夕餉の後片づけは戻ってからするつもりだが、少しだけ外へ出たかったのだ。


 松吉は暖簾を外された店の中には入れず、通りにぼうっと立っていた。

 外へ出て、手に持った提灯の明かりに照らされながら恒は微笑みかける。


「松吉さん、お待たせしました。ちょっと歩きましょう」

「あ、ああ?」


 よくわからないながらに松吉は一緒に来てくれた。

 そして、橋の下になった砂利の川原へ松吉を連れていく。


「ええと、ですね。ここで弔いの花火をしましょう」

「はぁ?」


 松吉が素っ頓狂な声を上げたのも仕方はない。

 それでも、袂から束ねた線香花火を取り出して見せた。


「この線香はあたしが作ったんです。ねえ、知ってますか? 線香花火ってのは、火をつけてから四つに変わるんですよ」

「四つだって?」


 きょとんとしたままの松吉に向かい、勝手に講釈を垂れる。


「牡丹、松葉、柳、散り菊――その四つは春夏秋冬で、この線香一本が燃え尽きる時が一年なんです」


 小さな玉から細い線がちりちりと現れる線香花火。

 この火花を春夏秋冬になぞらえるのだと父が教えてくれた。


 まだ何が始まるのか呑み込めていない松吉に尋ねる。


「松吉さん、何年連れ添ったんですか?」

「――八年だ」

「じゃあ、線香八本ですね。さあ、始めましょう」


 どうぞ、と言って松吉に線香を一本渡した。


「最初の一年はどんな年でした? そもそも馴れ初めは?」


 川原にしゃがみ込む。松吉も足を広げて座った。

 こんな子供騙しに付き合えるかと怒らないでいてくれる。


「馴れ初めな。餓鬼(がき)の頃から知ってたんだ。あいつ――お()()とは同じ長屋で生まれて、ひとつ年下だから俺が兄貴みてぇなもんだと思って面倒を見てて――でも、おつうの二親(ふたおや)があいつを連れて夜逃げして、一度は縁が切れた。それが、ふと大人になってからばったり会ったんだ。俺はあいつがわからなかったのに、向こうはすぐに俺だってわかったって言って」


 提灯を置く。中の火が消えないように、風の当たりにくい橋の下を選んだ。

 ふわりと優しい明かりからもらい火する。最初の一本が鮮やかに火線を飛ばし始めた。それに合わせて松吉が語り続ける。


「俺は稼ぎの少ねぇ棒手振(ぼてふり)だってのに、おつうは俺の嫁になりてぇって言ってくれて。嬉しかったが、幸せにできる気がしなかった」


 ばちん。


 音を立てて火玉が砂利の上に落ちた。

 そっと二本目を差し出すと、松吉が受け取ってまた火をつける。

 うつむき加減の松吉の顔が提灯の明かりで和らぐ。


「二年目。貧しいのは変わりなかったが、おつうも繕い物をして、二人で細々と暮らした。思えば、一番楽しかったのはこの時かもな」

「二人でいられたら幸せだったんですね」


 ばちん。


 大きく膨らんだ火玉が爆ぜた。


「三年目。おつうのおとっつぁんがどこから聞きつけたのかやってきて、金をせびり始めた。飲んだくれの屑だった。おっかさんもよく殴られて、おつうも小せぇ頃には痣をこさえていた。あんまりにもしつけぇから堪り兼ねて金を渡した俺に、おつうは怒って、泣いた」

「そんなことが――」


 ばちん。


 上手い言葉が出て来なくて、ただそっと四本目の線香を手渡した。

 線香の先を舐める火を見つめて花が咲くのを待つ。


「四年目。おつうのおとっつぁんがしょっちゅう騒いで、長屋に居づらくなった。仕方がねぇから住まいを変えた。二人でいられりゃどこでもいいと思ってたが、そう楽なもんじゃなくてな、水が合わねぇってのはこういうことかと。周りにも馴染めず、気づけば二人、喧嘩ばっかりだった」


 ばちん。


 聞いていて、とても他人事とは思えなかった。

 向島に移り住んでから、ずっと昔の暮らしに戻りたがっていた母。それを受け入れない父。

 夜になるとよく口喧嘩をして、母が悲しそうにしていた。


 思い出すと切なくなる。

 けれど、今は松吉の女房のための弔い花火だから、自分の家のことは挟まないでおいた。


「五年目。ずっとできなかった子ができた。もうできないもんだと諦めてたのにな。おつうは子ができないのをずっと気に病んでいて、やっとできたって何せ嬉しそうだった。まだ膨らみのない腹を何度も(さす)って笑ってやがったな」


 松吉の話は明るい方へと向かわない。女房が死を迎えることを知っているのだから。

 ただその場で、恒は腹に力を込めて話の先を聞いていた。


 ばちん。


 そうして、六本目の線香に火がついた。


「六年目。おつうは子が流れた後に気落ちして寝込んだままになった。子ならまたできると言っても静かに泣くだけでな。それでも、少しずつよくなって、どうにか床抜(とこぬ)けした」


 ばちん。


 あと二年。

 松吉は深々とため息をつくと、線香を握り潰す勢いで受け取った。火をつける手が震える。


「七年目。あいつは親しんだ故郷に戻りてぇって言い出した。この頃になると、おつうの親父も諦めたか弱っていたのか、俺たちに構うこともなくなっていた。だから、ここへ戻ってきた。おつうの願いがひとつ叶ってほっとした」


 ばちん。


 石の上に落ち続けた線香の玉が点々と焦げ跡を作っている。


 ――最後の一本。

 八本目の線香を手にした時、松吉の目からぽたぽたと涙が零れていた。


 火が消えてしまうと思ったけれど、大の男が小娘の前で惜しげもなく涙するほどには悲しいのだ。その心中を思うと胸が締めつけられる。


「八年目。おつうはよく咳をしていた。そのうちに治ると言って、俺もそう思っていた。それなのに、治るどころか立てなくなった。――長く患うことはなかった。手を握っておつうを励ます中、あいつは言ったんだ。夏になったら花火が見てぇって。小せぇ頃、俺と一緒に見た花火を今も覚えてるって」


 ばちん――。


 そうして、松吉の女房の夏は二度と巡ってこなかった。


 松吉は、火の消えた線香を握ったまま拳を作り、それを何度も自分の胸に打ちつける。

 夜気の中、焼け焦げた臭いが切なく漂う。


「俺はもう、おつうに何もしてやれねぇ。本当は生きているうちにもっと亭主らしくおつうを助けてやらなくちゃならなかったのに、俺はどうしようもねぇぐずで、みすみす死なせちまったんだ」


 死の間際に女房と話した花火のことだけが松吉の中に色濃く残って、ずっとそればかりを考えていたのだろう。

 何年もかけて金を貯め、そうしてやっと打ち上げ花火の代金が用意できたのだ。

 銀治はそれを受けないと言った。松吉はどんなに落胆したことだろう。


 はらはらと松吉の目から涙が零れ続ける。

 こんなに想っているのに、女房を大事にしていなかったなんてことがあるだろうか。


 松吉の女房はきっとそんなふうには思っていない。松吉と夫婦になれてよかったと思いながら逝ったのではないだろうか。

 それを他人が口にすると陳腐になってしまうけれど。


 今、自分はこの人に何をしてあげられるだろう。それを考えて言葉を選んだ。


「――松吉さん、あたし、花火師見習いなんですよ」


 とんとん、とむせび泣く松吉の背中を叩きながらささやいた。この時、自分も一緒に泣いていたかもしれない。


「花火師? お前さんが、かい?」


 言葉を詰まらせながらも松吉が返してくれたから、うなずいてみせた。


「この線香もあたしが作ったって言ったでしょう? まだこんなことしかさせてもらえませんけど、いつか松吉さんとおつうさんの打ち上げ花火を作らせてください」


 くたびれた松吉がゆっくりと振り返る。そんな松吉に向け、どうにか笑顔を作ってうなずいた。


「今すぐは無理ですけど。その一両をそのまま仕舞って、気長に待っていてくれませんか?」


 女子が馬鹿なことを言うなと怒られはしなかった。

 松吉は驚いた表情のまま固まってしまったけれど、それが解れた時、泣きながら――笑った。


「お恒さんの打ち上げ花火か。そいつぁきっと見事な出来なんだろうなぁ」


 そんなふうに言ってくれた。やはり、松吉は優しい人だ。


「あたしのおとっつぁんは立派な花火師でしたから、あたしもおとっつぁんに恥ずかしくない花火を上げてみせます。約束です、松吉さん」


 松吉は、出会った頃とはまるで別人のように穏やかに、うん、とつぶやいた。


「ありがとうよ、お恒さん。楽しみに待たせてもらうよ」


 その言葉が恒の背を押す。

 必ず花火師になって、二人のための花火を上げなくてはならない。

 できませんでした、なんて諦めは許されない。


 そこで松吉は心を落ち着けるためにか、少し上を向いて長く息を吐く。それから恒に尋ねた。


「線香八本いくらだい?」

「ええと、四文です」


 川原に散らばった線香の屑を見て、松吉は声を立てて笑った。


「こりゃまた安いなぁ」


 一両の花火を買いに来て、四文で一区切り。

 これならば銀治だって文句は言わないはずだ。


「線香がこんなに綺麗だなんて、今まで思ったこともなかったな。ありがとう、お前さんのおかげだ」


 ――何かがしたいと思った。

 ちっぽけな自分にも僅かながらにできることがあって、今、松吉は笑っている。それが嬉しかった。

 悲しくてつらい(うつつ)にも、ほんの少しの救いがあればいい。


 間違いなく火の粉をちゃんと消してから、提灯を手に来た道を戻った。


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