花火師の娘〈十二〉
恒は夜着に包まって涙を堪えていた。
今までこんなふうに倒れたことなんてなかったのに、仲屋を離れた途端に気が緩んでしまったのだ。情けない。
これからこの金屋で働きを認められなくてはならないのに、初っ端から上手くいかない。
こんなことではいつになったら花火に触らせてもらえるのやら。
けれど、金屋の人たちはただの女中にまで優しい。まだここへ来て日も浅いのに。
仲屋でこんなふうに寝ていたら何を言われただろう。考えるだけでぞっとする。
あそこでは花火の技も漏らさず、その上女中として役に立たなければなんの値打ちもないという扱いを受けた。
それでも、父の技と引き換えにして優しくしてもらいたいとは思わなかった。それくらいなら、厳しい仕打ちに耐えた方がましだった。
ここは、どうなのだろう。
同じ跡取り息子でも、国吉と違って銀治は花火に真剣だ。にこりともしないけれど、花火に真摯に向き合う人が悪い人間だとは思わない。鉄助も半平もちゃんとした職人だ。
干してある花火を見たらわかる。
雑な仕事をすれば、すぐに現れるのが花火だ。地味で根気のいる作業でも丁寧な仕事ぶりだと思えた。
――この時、すぅっと障子戸が開いた。
七五三太だと思って顔を出したら、部屋に入ってきたのは治兵衛だった。
またしても飛び起きようとしたら治兵衛に手で制された。
「倒れたってぇ話じゃないか。少しは楽になったか?」
「あいっ。もうすっかり」
「嘘だな。そんなにすぐよくなるなら倒れたりしねぇだろう。若ぇからって軽く見積もるんじゃあねぇ」
荒っぽいような、それでいて落ち着いた口調で話す。治兵衛の人柄が伝わるような、心地よい声だった。
「あいすみません」
寝たままで素直に謝ると、ややあって治兵衛は粋に口の端をくいっと持ち上げてから言った。
「お恒のおとっつぁんも花火師だったと言ったな? どこの店だ?」
「もうないんですけど、向島で辰屋って屋号でした」
向島に移ってからは大川で華々しく上げられることもなく、ひっそりと営んでいた。誇らしげに胸を張る口上もないから、それを聞いても治兵衛は思い当たらなかったようだ。
「前は鍵屋さんにいました。おとっつぁんは鍵屋さんのところから出たんです」
「暖簾分けか?」
「いえ、独り立ちという形で」
金屋も、玉屋や鍵屋と比べてしまえば目立たないかもしれないが、それでも江戸を賑わす花火屋のひとつだ。治兵衛から見ると、恒にとっては誰よりも優れた職人である父でさえ、その腕前は大したことがないのだろうか。
ふと、そんな不安にも襲われる。
――いや、娘の自分だけは父の腕を信じなくては。
父は立派な花火師だったと。
「お前さん、花火を作りてぇんだったな?」
治兵衛の言葉に、恒は身を乗り出すようにして答えた。
「あいっ」
その勢いに、治兵衛はくっと笑う。
「それじゃあ、まずは体を治して、もうちっと丈夫になってからだな」
これは治兵衛の優しさだろうか。
元気づけるために思わせぶりなことを言うだけなのかもしれない。
それでも、頭から駄目だと言わないでいてくれるのが嬉しい。
「ありがとうございます、旦那さんっ」
「そんな呼び方はうちじゃ誰もしねぇ。親方だ」
「あい、親方」
まだ数えるくらいしか口を利いていなくともわかる。治兵衛は懐の深い人だと。
だからといって甘えるばかりではいけないけれど、治兵衛の下にいられて嬉しいと思った。
そんなやり取りがあって心があたたかくなったからか、体も心と一緒に元気になっていく。
一日寝かせてもらって、それで倒れる前よりもずっと体が楽になった。
朝になって井戸から水を汲んでいると、ふと銀治が縁側に立っていた。
腕を組んでむすっとした顔ではあるけれど、怒ってはいない。
「若、おはようございます。すっかりよくなりました。ありがとうございます」
前垂れで手を拭きながら笑っておいた。
そこでふと、銀治は険しい表情から力を抜いた。
「そうらしいな」
銀治がそう言ったように、傍目にも顔色がよくなっていたのだろう。昨晩、半平と七五三太が炊いてくれた粥をたっぷり食べたのがよかったと思われる。
「あたしが元気になったら、花火作りを手伝わせてくれるって親方が」
「んなもん、信じるなよ」
「えぇっ」
「そう容易く触らせるわけねぇだろうが」
「そ、そんな」
夜着の中で、口約束だからと思いつつも、もしかすると手伝いくらいはさせてくれるかもしれない、なんて期待を膨らませてしまっていた。だから、この時になってまた少し落ち込んだ。
恒がしょんぼりとして見えたせいか、銀治は似ていないはずの父親にどこか通ずる笑みを浮かべた。
「まあ、工場に入って作業を見るくらいは許してくれるかもな」
花火師の技は門外不出なのだから、見るだけでも大変なことである。
道に面した見える場所で作業をすることもあるが、あれは客寄せのためであり、見られて困るような秘伝の花火は作らない。
見せてくれるのだとしたら、それは恒がここの人々に信用されているということ。
まだここへ来て日の浅い自分を、金屋の人々は身内として受け入れてくれるつもりがあるのだ。
「見たいですっ。あたし、工場に入れるならおまんまも要らないですっ」
「駄目だ。それは食え」
「もののたとえです」
「本気だろ、お前」
呆れたように言われたが、こんなやりとりも嬉しかった。
誰かが自分を案じてくれるなんてことはもうないのだと思っていた。
それが、知り合って間もない人たちがちっぽけな自分を仲間に入れてくれる。
自ら一歩を踏み出したから、変わったのだ。
あのまま埋もれていくだけの生ならなくていい。ここへ来て、恒は生まれ変わった。
虐げられるだけの自分ではない。自分のしたいことを通し、生きていることを感じたい。
ここならば、それができる気がした。
〈【壱】花火師の娘 ―了―〉




