5 ユナ
「ユナ・クレイブスです」
栗色の髪に明るい栗色の瞳をした、ややエキゾチックな顔をした青年はそう名乗った。
「アントロノープを辞めたのはなぜだね?」
マツバラが穏やかな顔で聞く。
アントロノープはA国の新進企業で、AI の開発では世界最先端を行っていると言われている。そんなところを辞めてまで国防省などに就職しようとしたのはなぜか? マツバラはそのあたりを聞きたい。
「安全なAI しか創らせてもらえないからです」
青年はさらっと言ってのける。
身辺調査はしてある。そこそこの愛国心もあり、外国勢力とのつながりもない。ミシマのような鬱屈した感情も持っていないことも心理テストで確認できたと臨床心理部門からも報告を受けている。
「それがどうして国防省という選択肢に?」
相変わらずマツバラは温厚そうな顔を崩さない。
「1年半ほど前に、世界中で同時にシステム障害が起こった事件がありましたよね? 何者かによるサイバー攻撃と言われましたが、あれ1回限りで、しかも侵入の痕跡が見つけられなかった。」
マツバラは何も言わずにかすかに微笑んだ表情のままで聞いている。
「私はあれは人間のハッカーではなく、開発中のAI による事故ではないかと思ったのです。しかしその後、犯人も何もわからないままになってしまった。表向きには……。安全保障上の大問題であるにもかかわらず、各国とも通り一遍のことしか言わない。ならば…‥」
青年は目を輝かせた。
「国防省に入れば、その情報に触れられるのではないか。私のスキルがあれば遅かれ早かれ、その超絶的な技術に関われる機会があるのではないか——と思ったのです」
なるほど。とマツバラは思った。
彼がここに推薦されてきたわけだ。
「ふむ。なかなかいい洞察だ、クレイブス君。君がそのAI が我が国のものであると思っている点を除けば」
マツバラが温厚な表情のままで青年に語りかける。なんだか親戚のおじさんが甥っ子に話しているような声調子だ。
「君の言うとおり、あれはある天才科学者が作ったAI による事故だったのだよ。そこから先の話は、君がその契約書にサインしてからになる」
ユナの前に契約書の紙がある。
内容は事前に聞かされていた。これにサインすれば、そこから先の世界に入ってゆける。
しかし、ペンを持ってからユナは一瞬怯んで躊躇した。
その契約書は数枚だけの簡潔なものだが、そこには容易ならぬことが書いてある。
身命を賭して国家に忠誠を誓うこと。活動には非合法なものも含まれること。もしそれが表沙汰になったら、国家は躊躇いなく君を裁くこと。任務中に命を落としても「戦死」扱いにはならないこと。任務における生命の保証はできないこと。
……等々。
しかし、サインしなければここから先には行けない。
あの超絶的な技術に触れるためのチャンスは、今ここにしかない。
ユナは意を決して紙の上にペンを走らせた。
「おめでとう。これで君も今日から我々の仲間だ。君にはデジタル面でのスキルを期待している」
マツバラが先ほどとは違った笑顔で手を差し出してきた。ユナも笑顔になって、その手をしっかりと握り返した。
「それでは、君が知りたがっていた先ほどの話の続きを聞かせよう」
マツバラがそう言って話し出した内容は、ユナの想像をはるかに超えた話だった。
「あれをやったのはAI ではない。イオという人工意識だ。AI の性能も持っているが、世界で初の人工意識なのだ。それを作ったのがイソザキ博士という天才科学者だ。作り方は彼の頭の中にだけしかない」
現在イオとイソザキ博士の行方はわからないが、どうやらE国の庇護下で潜伏しているらしいこと。それをR国が奪い取ろうと動き出したらしいこと。R国に先を越されることなく、我が国がイオとイソザキ博士を見つけ出して我が国に連れてくること。
これがどうやら任務であるらしい。
「イオとイソザキ博士はデジタル世界に存在しない」
「どういうことです?」
「あらゆる監視カメラの映像やデジタル記録をどうにかして消し続けているらしいのだ」
目を見張ったユナにマツバラが真剣な顔で言った。
「君に期待したいのは、そのスキルでなんとか彼らを捕捉してほしいのだ。荒事は我々がやる」
「マツバラさんをデジタル的に消すくらいは私でもできますよ。……しかし、その逆となると……」
簡単ではない。




