2 存在しない者たち
「JBがイオを押さえているのか?」
床に放り出されて怯えたように唸り声をあげるシーズーを無視して、マツバラがディクスンに聞く。
ディクスンは、体にビリッと電気が走ったような感覚を覚えた。マツバラの顔が往年のそれに戻っている。
「いえ。そこまではまだ確認できていません。しかしあの事件では協力関係にあったらしいことは状況証拠からほぼ間違いないか——と」
「取り戻すぞ、ディクスン。イオは、あれは私の……A国のものにしなければならない。あんな危険なものが我が国のコントロール下にないというのは、我が国の安全保障上の大きな脅威だ」
マツバラが中央情報局に戻って最も喜んだのは、マツバラを査問委員会にかけたかつての上司スティーブ・ローズだった。
再びそこに戻ってきたわけだが、ローズには負い目がある。
「いや、戻ってくれて嬉しいよ。君をあんな事で失うのは本当に辛かったのだ」
媚びたようなローズの笑顔にマツバラは温厚そうな微笑を返すだけだ。
そうだ。
とディクスンは思う。
数々の手柄を立てていた往年のマツバラさんはこうだった。こんな表情のままで、あらゆる策謀も荒事もこなしてきたのだ。
この人がいたればこそ、我が国はR国やC国に出し抜かれることがなかったのだ。
「我が国もサイバー防衛AI は開発してはいるのだけれどね——。イソザキの作り上げたあのAI は化け物のようだった。今我が国が開発している『ミノタウロス』は、まだまだ実戦で使えるレベルにまでは達していない。なんとかしてイソザキを我が国で確保したいのだ」
「もちろん」
マツバラは穏やかにそう言っただけだった。いかなる感情も、そこからは見えない。
ローズは少し不安になったが、しかしこの男にこれ以上何かを求めても何も出てこないこともよくわかっている。査問委員会でもそうだった。
同僚を自らの手で射殺したというのに、まるで事故で友人を亡くしたかのようなやや悲しげな表情をしていただけだった。
結局ディクスンの証言との不整合は見つからず、軽い処分を受けただけだったが、なぜかその後この有能なエージェントは退職してしまった。
その心事はスティーブにはわからない。
今、イソザキを見つけるために再び国家のために働いてくれるというなら、それで満足するべきだろう。
「イソザキは、デジタル世界でいかなるサーチをかけても見つからない。まるでそんな男は存在しないかのようだ。JB と同じだ」
ローズがすがるような眼差しをマツバラに向けてくる。
「何度か JB と実際に渡り合った君なら、なんとかできるんじゃないかと期待しているんだ。R国なんかに先を越されないでくれ」
「承知しました」
マツバラは相変わらず穏やかな顔で、ただそれだけを言った。
「どこから手をつけます?」
ディクスンがマツバラに聞く。
R国はデジタルで先行するA国と違って昔ながらのヒューミントを得意とする。
だからこそ、そのR国のエージェントの1人が実際にイオとイソザキを目撃したのは大きなアドバンテージだろう。
やつらはそこから「人」の情報をたどってイソザキたちの居場所にたどり着くに違いない。
古巣の中央情報局が一度は査問にかけたマツバラに戻ってほしいと懇願してきたのはそういうわけだ。と、マツバラもディクスンもわかっている。
ディクスンなどは「ざまあみろ」という気分だ。
「まずは昔のチームメンバーを集めてくれ。あの戦いでリコとロイを失った。穴を埋められる人間も欲しい」
この広い世界のどこかに、イオがいる。
私のアトムがいる! 生きているのだ!
よくぞたばかったものだ、イソザキ。見事な演技だった。褒めてやろう。
必ず見つけ出してやるぞ、イオ。——私の、アトム。




