月の輝く夜に4
『自分は何があってもお前さんより長生きするだろう』
とフューシャは以前言っていた。
その言葉に特別な意味があるなんて思いもしてなかった。
「フューシャ……人間じゃないの?」
「―――ああ。もう自分以外残ってないがハヤミミという種族だ」
「……誰も、いないの?ひとりぼっち?」
「同族はいないが、ひとりぼっちじゃないさ。マージャがいる」
「…………っ…」
その言葉を聞いた途端、もう何も考えられなくなった。
泣きたいような、苦しいような、そんな気持ちでいっぱいになって。
思いきりフューシャにかきついていた。
「フューシャ…!一緒にいていい?ずっと……ここにいても」
「当然。嫁に行くまでお前さんはうちの子供だ」
ほろりと花がほころぶような奇麗な笑顔が向けられる。
マジェンタが今まで見た中で一番奇麗なフューシャの笑顔だった。
「フューシャ大好き…」
「奇遇だな、自分もマージャの事は好きだ」
その年の冬はとても穏やかな時間が流れた。
日を追うごとにマジェンタの表情から翳りが薄れ、年相応の明るさと無邪気さを取り戻していた。
時折夜空の奥に白い翼の影を見る事があっても、もうその姿を追って泣く事はしなくなり、今はまだ迎えの刻ではないと決めているようだった。
塔に籠るこの季節、マジェンタはフューシャに色んな事を教わった。
暮らしに係わる知識や読み書き計算、それとちょっとした魔法。
暗闇が苦手なマジェンタのために、短い呪文と印で使える【灯火】の魔法をこっそり伝授したのだ。
「フューシャは魔法使いなの?」
「うーん、どうだろうなぁ。別にそれが専門てわけじゃないからな。強いて言うなら“何でも屋”だな」
「“何でも屋”さん?」
「ただしこの町限定のな」
確かにフューシャは何でも出来た。(お裁縫以外は)
特にお医者の役目は重要で、町に怪我人や急病人が出ると塔に知らせが入り、フューシャは昼夜を問わずに駆けつけていた。
町中白い雪に覆われた静かな夜。炉端でフューシャが擂り粉木を手に石鉢を突く音が響くと、部屋中にふわりと木香や香辛料の香りが広がる。
硬い実や木片を砕いて薬にしたりお茶や雑香を作るための下拵えの作業で、マジェンタはこれをすぐ傍で眺めるのが好きだった。
フューシャの白い掌が規則正しい音を刻み次々と不思議な物を作り出す。
いつも夢中になって見ているうちについうとうと寝入ってしまい、知らぬ間に寝床へ運ばれている事も多い。
「眠いなら寝床へ入ったらどうだ?」
案の定今夜も暖炉脇の椅子でゆらゆら舟を漕ぎ始めたマジェンタに笑い混じりの声がかかった。
「んー…まだ見てる……」
「ダメだ風邪をひく」
「……じゃあ抱っこ」
マジェンタの珍しく甘えた要求にフューシャはしばらく瞬きを繰り返し、まるで重さを感じない動作でふわりと小さな身体を抱き上げると寝台寝かしつけた。
「おやすみマージャ。また明日」
マジェンタが悪夢に魘される事はもう滅多になかった。
雪解けの芽月。
茶色い土が剥き出しのままだった地面は、数日続いたの天気の良さであっという間に柔らかな緑の草の新芽に覆われ始めた。
それこそ『魔法のように』鮮やかな変化だった。
みるみるうちに草丈が伸び雪解けから一月後には、あの懐かしい細波にも似た音が七つの丘に還って来ていた。
「丘の上からだと町がよく見えるね」
この日は春の野草を摘むために二人で朝から北側の丘に足を伸ばしていた。
陽当たりの良い南向きの斜面には食用や加工して薬にもなる品種が群生していて、まとめて採取するには格好の場所になっている。
久しぶりの外にはしゃいだ様子で丘を歩き回るマジェンタに離れた位置からフューシャが注意を促す声を掛けた。
「あまり頂上に近付き過ぎると魔方陣を踏み越えてしまうから気をつけるんだ。何処へ跳ばされるか分からないぞ」
「え……」
驚いたマジェンタは慌ててフューシャに駆け寄りその腕にぎゅっとしがみついた。
既にふるふると半泣きで目尻に涙さえ溜まっている。
あんまり必死な様子が可愛くてつい甘やかすような言葉が口をついて出る。
「―――もしそうなっても必ず自分が見つけ出してやるけど」
「ほんとに…?」
「ああ、絶対」
「うわぁ、ラブラブ~春だねぇ」
すぐ近くで間延びした声が聞こえて、マジェンタはキョロキョロと声の主を探した。
「やぁやぁ、おはよ~良い天気だねぇ」
マジェンタからは見えないがどうやらフューシャの影になった位置に人がいるらしかった。
当のフューシャは振り向きもしないが、とっくに気配には気付いていたはずだった。
「いやぁ~、食堂で使うお茶っ葉切らしちゃってさ。
塔に仕入れに行くとこだったんだけど、二人が【祖父の丘】の方に歩いてくのが見えたから追っかけて来たんだよ。ついでに届け物もあったし」
ひょいと顔をずらして目に入った人物は何度か顔を合わせた事のある青鹿亭のジジだった。
表情も言動もゆるゆるの割に、だらしない印象を受けないのが不思議な人物だ。
「お届け物?」
これこれ、と目の高さに布の包みを掲げてニカリと笑う。
「早いな。もう仕上がったのか」
「フューシャ?」
「……とりあえず戻るか」
「うわぉ、初体験~」
見張り塔の内部まで案内されたジジは、ヒュウと口笛を吹いて部屋を見回した。殺風景な石造りの壁には明るい色調の織物が掛けられ、衝立で仕切られた寝室とおぼしき一角には柔らかな布の天蓋がちらりと見えている。そして窓の脇には花を活けた花瓶。
「中はこんな感じなんだ、へぇ~。案外乙女?」
ふむふむと顎に手を当てて感心するジジの頭を容赦無く叩いて黙らせたフューシャがマジェンタに向き直ってニッコリ笑う。
「この覗き魔は後で棄てて来てやるから、それ開けてみな」
「うん。―――あ!」
『届け物』の中身を見てマジェンタは歓声を上げた。
「可愛い!」
中身は春物の華やかな子供服だった。
シンプルなデザインでリボンがアクセントになった菜の花色のワンピースとフリルをたっぷり使ったピンクのベビードール。
「前に約束してただろ?気に入るといいんだが」
「嬉しい!ありがとフューシャ、大好き!」
目をキラキラ輝かせて素直に喜びを表したマジェンタが、いつものようにぴょんとフューシャに飛び付いた。
「うっふっふ~」
端で見ていたジジが奇妙な笑みを浮かべる。
「マジェンタが気に入ってくれて嬉しいよ~。ソレ俺が縫ったんだ」
「…そうなの?」
意外に何でも器用にこなすジジは中でも裁縫は得意な方だ。
「料理の腕はイマイチのくせに、何故かこっちの方は上手いんだ」
フューシャが面白くもなさそうに呟く。
まじまじとジジの顔を見つめたマジェンタは、次の瞬間全開の笑顔を見せた。
「ジジ、ありがとう!」
ぱっと蕾が開いたような明るい笑顔に直撃されて、何故か赤くなった二十代後半の男はポソリと呟いた。
「―――なんかイイ」
「心の潤いってやつ?和むなぁ~。イイよホント!」
でれでれと締まりのない表情のジジとは逆にフューシャの顔つきは段々と険しくなってゆく。
「そーだ将来俺の嫁に……」
「―――ジジ、覚悟は良いか」
「えっ、何ナニ?その拳は!?えぇ―――やーめーてぇぇ!」
この後「嫁に……」の次の台詞が発される事はなく、大量の茶葉を持たされて退場となって以来ジジは見張り塔立ち入り禁止となった。




