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七つの丘  作者: 遠夜
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月の輝く夜に3

銀砂を撒き散らしたような秋の夜空を【月の舟】は滑るように進む。

粛々と粛々と。

月そのものはただの象徴に過ぎないが、満ち欠けを繰り返すその姿は、生命の流れ行く有り様を如実に顕しているとも言える。

人間達の言う『死者の都』や『天国』が何処にあるのかは不明だが。

【烏】にとっては然るべき魂を在るべき流れに乗せる事が全て。

迷走する魂を流れに導き、やがて自らもその流れに乗る刻を待つ。

―――そういう存在だ。



あの夜、鋭い獣の爪のようだった月はここ何日かでふっくらと丸みを帯び、いつもと変わらぬ熱の無い光を静かに地表に降り注いでいた。

毎夜せわしなく飛び交っていた【烏】の群れはいくらか形を潜め、里の内側は静寂そのものに保たれている。


見張り塔の寝室の窓からは『風の辻』がよく見えた。

丘の天辺にぽつんと立ったトネリコの木には、つい先程まで白い羽根の烏が停まってこちらを見ていた。

手を離した子供の事が気にかかっているのだろう。

あれが【烏】としては変わり者の部類に入るのは間違いない。

生者の命を気遣う時点で【烏】の役割からは大きく逸脱している。


フューシャは自分の隣で猫の仔のように丸くなって眠る子供の髪を撫でた。

柔らかい羽毛の様な手触りが心地良く、さらさらと何度も指ですいて感触を楽しんでいると、子供がころりと寝返りをうって懐に転がり込んで来る。

毎晩眠るまで震えながらしがみついてくる様子が痛々しく、やっとのことで得た安らかな眠りを遮ってしまったのだろうかと一瞬汗をかいたものの、子供はそのまますうすうと寝息を立てて起きる気配は無かった。


自分が誰かと同居するのは随分久しぶりの事だ。

もしかしたら同族の仲間が絶えて以来かもしれない。

ハヤミミ最後の子供は身に過ぎた能力と引き換えたように、『種』を残す機能が失われていた。

そして当然のように己の伴侶を求める情動も。

ハヤミミがこの里を拓く以前、流れ往く民として旅路に暮らしていた頃。

いずれの場所でもハヤミミの存在は人目を引き、特にその容色が仇となっての揉め事が後を絶たなかったという。

そういった煩わしさを避ける点でも子供の形は都合が良かった。

実際魔力の調整がどうとかは取って付けたような理由で、この姿でも不自由は何も無い。

ただ無用な面倒事を避けるにはいつもの姿に戻るのが一番いいだろう。

そう思っていても、頼るべき大人を必要とするマジェンタの事を考えるとすぐにいつも通りとはいかない。

こうなったら長期戦の構えが必要になるかもしれなかった。



霜降月

冬に向かう七つの丘では冬支度が大急ぎで進められていた。一年を通して温暖な地方ではあるが冬ともなれば子供の背丈程の雪が辺りを覆い尽くすため、冬場の燃料の確保や保存食作りは最重要事項になる。

今年から住人が二名になった見張り塔でも、冬越しの準備には余念がなかった。

相変わらずマジェンタはフューシャの傍を離れたがらなかったが、それでも少しずつここでの暮らしに馴染もうとする努力が見え、自分から進んで家事の手伝いをする機会が増えていた。

「今日は午前の天気が良いうちに摘んだ薬草を干してしまおう。午後は雨だ」

「そうなの?」

「ああ、だから手早く済ませて昼には取り込む。出来るだけ日光に当てる方が良いんだ」

「わかった!じゃあ大急ぎね」

「ああ、頼む」

もう一月近くを一緒に過ごしているだけに大分打ち解けた様子で笑顔もかなり見られるようになった。

元来素直で明るい性格らしく普段は何の屈託も見受けられない。

まだ幼いだけに時折生まれ育った家や家族を思い出して泣く事もあるが、戻りたいと訴えた事は一度も無かった。

子供ながら自分の家族が無事であるとはもう考えてはいない様子が不憫でならない。

実を言えばマジェンタを保護した後、深夜に何度か『門』を潜り外の様子を窺いに出た。

そこで目にした光景は凄惨なものだった。

黒々と焼け爛れた野原に獣や鳥に荒らされた亡骸が正視に耐えかねる有り様で放置され、かつて人であったものの残骸がそこかしこに無数に散乱していた。

この荒れ野をたった独りで小さな少女が彷徨ったのだ。

幾日も、幾日も。

あの変わり者の烏と出逢わなければおそらく、マジェンタもあの屍の群れに混じっていたに違いない。


「フューシャ終わったよ?次何するの?」

ふいに明るい声が響いて、暗い物思いの淵からフューシャを引き上げた。

「―――もう終わったのか、じゃあ今度は備蓄用のスミモドキを袋詰めしとこう」

「??? 」

「その楕円形の実だよ。薪の代わりになるやつだ」

―――過ぎた時間に囚われている場合ではない。

少女をこの光の当たる場所に留めてやるのが自分の役割だとすれば、まだまだ気を抜くわけにはいかないのだから。



その日の午後からはフューシャが予想した通りの雨模様となった。

「ホントに雨だ……」

午前中が快晴に近い天気だっただけにマジェンタはポカンとした表情で空を見上げていた。

今までもフューシャの天気予報は外れた事がない。

「あんまり窓際に寄っていると濡れるぞ」

見張り塔の窓には硝子が入っておらず、古式ゆかしい内開きの頑丈な鎧戸が取り付けてあるだけ。完全に閉じてしまうと部屋の中が暗くなるので、今も開けたままになっている。

「この天気だ、午後はゆっくりするといい」

「……フューシャは?」

「塔の中にいるよ。備蓄倉庫の点検をして冬越しに足りない物を書き出しておかないと」

「…私も手伝う」

「マージャは少し休むんだ。疲れてるだろ?」

「平気だもん!」

「……置いて行かないよ。何処にも行かない」

宥めるような声音とそろそろと頭を撫でる手の熱に泣き出したくなって、マジェンタはきゅっと唇を噛んだ。

我が儘を言ってフューシャに嫌われたくはなかった。

「倉庫の中は暗いから、無理しなくていい」

自分が今でも暗がりを怖がる事をフューシャは知っているのだ。



一人で二階の居間に残ったマジェンタは長椅子に膝を抱えて座ると、ぼんやりと部屋の中を見渡した。

見慣れた部屋がやけに広く感じる。

窓の外は絹糸のような雨が静かに降り続き、余計な物音が何一つ聴こえてこない。

ほんの一時でも一人になるのは久しぶりだった。

マジェンタがこの家で暮らし始めてからというもの、フューシャは殆どの時間をマジェンタと共に過ごしてくれている。

だからついうっかりと、家族のような親密さに自分がフューシャのお荷物に過ぎない事を忘れてしまう。

だから怖い。

ここにいても良いとは言ってくれたけれど、自分は何の役にも立っていないから。

いつか要らないと言われてしまいそうで、怖い。

ごくありふれた中流家庭の子供だったマジェンタは、勤め人の父と近所の裕福な家庭に奉公人として通いで働く母、そして年の離れた兄との四人家族だった。

就学年齢に達していなかったマジェンタは一人で留守番をする事が多く、いつも家で一人遊びをしていた。

寂しかったけれども夕方には皆が帰って来て、夜には一緒の食卓を囲んだ。

必ず帰って来ると分かっていたから寂しくても待つ事が出来た。

だけど。

こんなに長い時間を一緒にいてくれたフューシャでさえもまだ、少し離れるだけで怖くなる。

ほんの一瞬手を離しただけで、二度と逢えなくなる事があると知ってしまったから。

暗闇の中、滑り落ちた指先はまだ凍りついたままでいる。


もやもやした考えから抜け出せないままずっと蹲り続けていると、いつしか雨足が強くなり鎧戸を開け放した窓からは風に煽られた滴が吹き込み床を濡らし始めていた。

「……窓、閉めないと…」

ノロノロと緩慢な仕草で立ち上がり鎧戸に手をかけようとした瞬間の、閃光。

「――――っ!!!」

続く、轟音。

突然の落雷だった。

空は灰色を通り越して真っ黒になり、まるで夜さながらの暗さに辺りが包まれている。

「―――――やっ…!!……いやぁ…」

まるで直に雷に打たれたような衝撃にマジェンタは身を竦めた。

ガタガタと身体が震えだし、呼吸が乱れてひゅうひゅうと喉が引きつった音をたて始める。

―――――こんな夜があった。

炎に混乱し逃げ惑った夜。

がむしゃらに走りながらいつしか、繋いでいた手をうしなった、夜―――。


身体中冷たい汗が流れ、目の前がゆわんと歪む。

このままあの夜に引き戻されるような気がした。


「マージャ!!」


床に倒れ込む寸前、肩を揺さぶられ温かい掌が頬に当てられた。

「大丈夫だから、落ち着いて!」

「………フュー…」

「喋るな…!ゆっくり呼吸して」

懐に包み込むように抱き込まれ、繰り返し掌で背中を擦ってもらううちに、凍えそうだった身体の真ん中にじんわり熱が生まれるのを感じた。

ほっと息を吐き出した途端、張り詰めていたものが一気に全部崩れるみたいに、涙が溢れて止まらなくなった。

「―――やっ…怖い……こわいよぅ…もうヤだぁ……」

「悪かった……」

倉庫が暗いためにフューシャは天候の変化に気付かず、マジェンタの叫び声を聴いて駆けつけたようだった。

(…でも、来てくれた…)

マジェンタはフューシャの背中に腕を回してぎゅっと力を込めた。

こうしてると怖いのがちょっとだけ平気になる。

フューシャの腕の中はいつも森の香りがする。



「落ち着いたか……?」

とんとんとあやすように背中をたたいていた手が、今度はマジェンタの金茶の髪をさらさらと撫で始めた。

散々ぐずって泣いた後、我に返ったマジェンタは自分が長椅子の上でフューシャにいわゆる“お膝抱っこ”でしがみついている事に気がついて急に恥ずかしくなり思わず身を捩った。

「おりるっ…!下に下ろして」

「急にどうした?」

「だって…赤ちゃんみたいで恥ずかしいよっ!」

「何を今更」

フューシャは花色の頭を傾げて不思議そうな顔をした。

「みたい、と言うよりそのものだろ?七歳なんてお子様は自分からみたら充分赤ん坊さ」

ぷうと頬を膨らませたマジェンタを面白そうに眺め、その後さらりと衝撃の発言を口にした。

「四百年も生きてりゃ人間の子供なんかは皆“赤ん坊”に見えるってことだ」

「…よんひゃくねん?」

マジェンタは口の中で咀嚼するように言葉を繰り返した。

いったいどういう意味の言葉をなのか。

もしかして言葉通りの意味なのか。

フューシャは普通の人よりちょっとお耳が大きいな、とは思った事があるし、髪の色もとっても珍しいけど。

いきなり事実を知って混乱したマジェンタが口にしたのは。

「フューシャ……おじいちゃんなの?おばあちゃんなの?」

だった。


カミングアウト!の巻でした。

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