第38話 拗れた家族を救うひと
ゆっくりと意識が浮上して、サチは目を開く。
誰かの腕に抱かれている、ようだった。焦点が定まるまで、それが誰なのかわからなかった。だけどサチを抱きしめるその手が、サチより小さいことだけは分かった。
「タイ、チ……?」
タイチは、心底驚いたような表情で、サチの顔を見た。
「お姉ちゃん…僕が分かる、の?」
何言ってんの、この子?
あんたがタイチだって、分からない訳なくない?……
そこまで考えて、サチは急に全てを思い出した。
封印が解除されてからの記憶は、かなり曖昧だった。世界は白黒で、まるで色が失われたようだった。
だけど、ぼんやりとだけど、覚えている。
自分の能力を使って、ルキヤがアザイ家に仕掛けた攻撃を。そして、……
ふと、周囲がバタバタしている気配に気づく。大人達が何かを叫びながら、走り回っているようだった。
「……わた、し……」
サチの瞳が揺れる。
「わたし、なにを……」
タイチは、思わずサチを強く抱きしめた。
「お姉ちゃん…お帰りなさい。もう、大丈夫だから。」
*****
後から駆けつけてきたサトルによって、ルキヤは大した抵抗も見せずにあっさりと捕縛され、地下牢に収監された。
負傷したハルは、アザイ家の他の負傷者と共に本家の広間に急拵えされた救護所に運び込まれ、手当を受けた。そのそばには、ユウジとミナミもぴったりと付き添っていた。
ゲンドウとタケルもミオリの治癒能力によって一命を取り留めていたが、タケルはいまだに昏睡状態が続いていたため、別室で手当を受けていた。そのタケルの代わりに、回復したゲンドウが指揮を取って、一連の事態の収拾を図った。
タイチがサチを背負って本家に運ぶと、ミオリはサチの姿を見て、涙を流して喜んだ。ひと通り診察して大きな外傷はないと判断されたものの、連続して増幅能力を行使させられた反動なのか、あるいはルキヤの術が抜け切っていないのか、サチの意識はいまだにぼんやりしたままであった。
「静かなところで休ませてあげて」とミオリに命じられて、タイチはサチを別室の客間に敷かれた布団に運ぶ。その部屋には、タケルも寝かされていた。
青白い顔で昏々と眠り続けるタケルの姿を見て、サチは息を呑んだ。
「お父、さん……?」
タケルに手を伸ばそうとするサチを、タイチが制した。
「お姉ちゃんも、横になって。…まだ、休んでないとだめだ。」
言いながら、促してサチを布団に横たわらせる。
「…何が、あったの…?」
サチがタイチを見上げて、ぽつりと尋ねた。
タイチは押し黙っている。
「……私、記憶がぼやけてて……でも、何となく、覚えてるの。」
サチの声が、震えている。
「……私の、能力のせいで……
…お父さんは、こうなったの……?」
タイチは、目をつぶって首を振った。
「…お姉ちゃんのせいじゃない。」
「嘘…つかないで」
タイチは大きく息を吐く。
「お姉ちゃんは、…あいつに利用された、だけだ。
あいつの術で父さんが意識を失ってる間に、あいつが父さんの背中を刃物で刺したんだ。」
サチは目を見開く。
「背中を……刺した?」
「うん。…でも、ミオリさんがすぐに治癒に当たってくれたから、傷自体は致命傷を免れたみたい。だけど、意識だけ戻らない。……おそらく父さんは、まだルキヤの術中にいるんだ。」
ルキヤの術。
タケルは、まだ悪夢から醒めていない。
「……父さん、言ってた。自分は心が弱いから、ルキヤの術に容易に飲み込まれてしまうだろう、って。」
「お父さんの、心が…よわい?」
タイチは頷く。
「僕は今まで、父さんという人を全然理解っていなかった。…本当に、子供だった。
父さんやお姉ちゃんが抱えている苦しみを分かち合ってあげられるのは、僕だけだったのに。
……ごめんなさい。」
「タイチ……」
しばらく、沈黙がおりる。
「…お姉ちゃんも、疲れてるはずだ。まずは、しっかり休んで。僕は、ずっとお姉ちゃんのそばにいるから。」
タイチはサチの手を握った。
*****
その夜。
タケルとサチが眠る部屋に、タイチも布団を敷いた。
2人の様子に変化があった時にすぐに気づけるように、ずっとそばに付き添いたかったのだ。
2人の間に挟まるように寝転び、ふとサチの方を見る。
サチはあの後ずっと、泥のように眠っていた。しかしサチの掛け布団がかすかに規則正しく上下するのを見て、ああ、生きてるんだ、とタイチは胸が熱くなった。
(本当に、帰ってきてくれたんだ。……お姉ちゃん。)
サチが去ってからずっと、タイチの心は深く沈み込んでいた。でも今、こうしてサチが隣で呼吸をしているだけで、それだけでタイチの心は満たされていった。
今度は、振り返って反対側のタケルを見る。
タケルも身じろぎもせず、眠り続けている。
タイチは、血の海の中で倒れ込んでいたタケルを思い出す。
『タケルは弱いんじゃない。優しすぎるんだ。』
サトルの言葉も思い出す。
「父さん……今まで、ごめん。お姉ちゃん、帰ってきたよ。早く目を覚まして、安心させてあげて。」
タケルは囁くように、タケルに話しかけた。
これまで自分たち家族は、本当のところできちんと気持ちを通じ合わせることができずに、ここまで来てしまった。
ユキの心が生きていれば、きっと状況は違っていたのかもしれない。だけど、橋渡しになる人が不在のまま、少しずつ3人は、すれ違い続けてきてしまった。そしていつの間にかその隙間が、容易には埋められない程に大きく膨れ上がってしまったのだ。
タイチは、3人で出かけたテーマパークを思い出していた。あの日、初めて親子3人で、屈託なくはしゃぎ回って、笑い合った。絶叫系のアトラクションで気持ち悪くなってしまった自分を、タケルとサチの2人が心配しつつも可笑しそうに笑っていたのを思い出す。能力者とかアザイ家とか関係なく、あの日3人は、確かに「家族」だった。
仰向けになって天井を眺めながら、タイチは不意に涙が溢れてきて、止める事ができなかった。
タケルとサチは血が繋がっていない。でも自分は、タケルともサチとも血が繋がっている。だから本当は、母親のユキがいない代わりに、自分こそが2人の橋渡しにならなければならなかった、のに。
「……っ、……」
息を殺しながら、タイチは嗚咽を漏らした。
子供だった自分が、憎らしい。
後悔しても、後悔しきれない程に。
僕は、何も、理解っていなかったんだ。
何にも。
その夜タイチは、両隣のタケルとサチの手を握ったまま、眠りについた。
*****
夜更け。
タケルとサチ、タイチの3人が深い眠りについている客間の襖が、音もなく開く。
畳を擦るように、誰かがするりと入ってきた。
その人物は、3人の頭側におもむろに座り込み、じっと3人の顔を覗き込んだ。
それは、
奥座敷に寝ているはずの、ユキだった。




