第31話 封印の代償
最初は、ただの風邪かと思っていた。
なんとなく体が怠くて、全身に筋肉痛みたいな嫌な痛みがある。それが徐々に、ひどくなっていった。
朝サチがなかなか起きてこないので、心配してミナミが部屋を訪れた。
「サチさん…?大丈夫ですか?」
「あ…もう、朝か。寝坊しちゃって、ごめんなさい。
すぐ、朝ご飯てつだう、ね。」
のそりと起き上がろうとするサチの顔色が真っ青なのを見て、ミナミは驚く。
「サチさん、体調が悪いんですか!?起き上がらないで、寝てて下さい。いま、ルキヤさんを呼んできます。」
呼ばれて、ルキヤが駆けつける。体温計を渡されて測ると、微熱だった。
「疲れが出たのか、風邪か…。とにかく、今日はゆっくり休んで下さい。ミナミ、後でサチが食べれそうな物を持って行ってあげて。」
ミナミは心配そうに頷いた。
その日サチは一日中寝ていたが、怠さはなかなか良くならない。
それどころか、背中の痛みも出てきた。
……背中?
サチはふと気がついた。痛むのは、ちょうどあの封印の紋がある所だ。
いや、気のせいだろう。風邪で、ちょっと触覚が敏感になってるのかも。
しかしその後、背中の痛みはどんどん強くなっていった。
少し体勢を変えようとするだけで、ズキズキと痛む。
「……っ!……」
サチは思わず、苦悶様の表情を浮かべる。ルキヤが異変に気づく。
「サチ…?どこか痛むのですか?」
サチは涙目になりながら、ルキヤを見上げた。
「せなか、が…」
「背中?…まさか、」
ルキヤはミナミを呼んだ。
「サチ…申し訳ないのですが、もう1度背中を見せてもらえますか?」
ミナミに付き添われながらサチは上半身の衣服を脱いで、またベッドにうつ伏せになる。
途端に、ルキヤが息を呑む。
「……これは……」
封印の紋様の周辺が、火傷をしたように赤くなっている。
ちょっと失礼、とルキヤが断りを入れて、サチの背中に触れる。
「……紋様が熱を持っている。……これは、もしかして……」
ミナミに手伝ってもらいながら、サチはまた服を身につける。
しばらく沈黙した後、ルキヤが静かに切り出した。
「これはあくまで推測ですが…
おそらくサチの封印は、既に綻びかかっています。」
「…え?」
「サチの精神エネルギーが成長と共に増大して、封印に圧がかかっているのでしょう。…オーラの流れが不自然に堰き止められた状態が長く続いて、鬱滞を起こしているのかもしれません。」
「じゃあ…ルキヤさんに精神エネルギーを増幅してもらわなくても、勝手に封印が外れる?」
ルキヤは肩をすくめた。
「それは…どうでしょうか。内因性の自然なエネルギー増大だけで、封印を打ち破るだけの力があるかどうか。あの封印は最上級の術ですから、そうは言っても簡単には外れないはずです。」
「でも、どうしてこのタイミングで、急に…」
「……これも憶測ですが、私が、サチの感情に干渉したことがきっかけかもしれません。」
タケルへの不信の増大。
「それ以外にも、何かきっかけに心当たりはありますか?」
それ以外。
思い返すと、ここ2週間ほどの間にあまりにも多くの事が起こり過ぎて、サチは眩暈がした。
ふと、アザイ家を出てきたときの事を思い出す。
そういえば、最後に、母に会ったんだった。…
「…関係があるかどうか、分からないんですが…」
サチは、指輪の事をルキヤに話した。
ルキヤは考え込む。
「おそらくその指輪は、サチの母親がまだ現役の能力者だった時に、増幅能力を抑え込むための物だったのでしょう。…確かに、それを外した事で、タガが外れた可能性はあります。」
「……私は、これからどうなるんでしょうか…」
サチは不安げに尋ねた。
「封印が綻びかかっている中途半端な状態が続けば、それだけサチの体に負担がかかります。
…サチ。この間お話しした、私の仮説ですが…。
あれを試してみるかどうかは、本来サチに決定を委ねようと思っていました。
しかし、状況が変わった。」
ルキヤはサチの額に手の平を置く。
「オーラの鬱滞を起こしている現状を打破するには…試してみるしか、選択肢がありません。」
サチは息を呑む。
負の感情を、増幅させる。
先日見せられた悪夢だけでも、かなりきつかったのに。…耐えられるのだろうか。
「……少し、考えさせてください。」
サチは、絞り出すように言った。
*****
サチの状態は、悪化する一方だった。
高熱が出るようになり、食欲も落ちて、起き上がるのも支えが必要になった。解熱鎮痛剤が効いている間は少しましだが、効果が切れると、背中に激痛が走った。
ミナミをはじめ、アジトの仲間達は入れ替わり立ち替わり、サチを看病した。辛そうなサチの様子を、皆が心配そうに見守った。
ルキヤも頻繁にサチの様子を見に来た。ルキヤが唱えた仮説は真実だろうと、今やサチは確信していた。でも、…サチには、決心がつかない。自分が正しい判断を下せるのか、自信がなかった。
ある晩。
ふとサチが目を覚ますと、ベッドサイドにルキヤが座っていた。
「サチ、目が覚めましたか。…少し、何か水分を摂って下さい。飲めますか?」
サチは焦点の合わない目で、ぼんやりとルキヤを見つめる。
「……こわいんです。」
ぽつり、とサチが呟く。
「負の感情が、もっともっと増幅したら……わたしは、どうなっちゃうんだろうって。」
ルキヤは、黙ってサチの言葉の続きを待った。
「ごめんなさい。こんな事言ったら、ルキヤさんに怒られるかもしれない、けど…。……私、またあの家に帰りたいと、思ってるんです。」
お父さんと、話をしなくちゃ。……
サチは、ギュッと目をつぶる。
「だけど、もし増幅した負の感情に取り込まれてしまったら……わたしはもう、元のわたしに戻れなく、なっちゃいそうで…」
ルキヤは、黙って頷いた。
「でも…このままじゃ、そもそも体が持たない。…分かっているんです。…」
そう言って黙り込んだサチに、ルキヤが口を開いた。
「サチ。私が一緒にいます。」
サチはルキヤを見た。
「あなたがどうなったとしても、…私は絶対に、あなたを見捨てない。必ず、助け出す。」
「…………」
「サチ。私は今、アザイ家にかつてないほど憤りを感じています。今回の事がなくても、いずれ早晩、あなたの中で成長し続けるエネルギーに負けて封印は綻び始めていたでしょう。幼いあなたの能力を無理やり封印する事で、あなたの身にこういった危険が及ぶ可能性を、彼らは予見していたのか。……」
「……でも、そんな事、誰にも…」
「分からなかったとしても、です。彼らのやり方は、見たくない物に蓋をして、先延ばしにするだけの幼稚な手段だ。それで彼らは安心したのでしょう…その代償に、あなたに危険が及ぶ事にも気づかずに。」
ルキヤはサチの手を握る。
「サチ。私は、あの家の人間の誰よりも、あなたを愛している。単なるおためごかしではなく、本当にあなたのためになる事を、真剣に考えている。
…私を信じて。ずっと、あなたのそばにいますから。」
高熱のせいで、サチの頭はうまく働かなくなっていた。
ただ、ルキヤの言葉を聞いて、なぜかぼんやりとタイチの事を思い出していた。
『お姉ちゃん、ずっと一緒にいるよ』
『お姉ちゃん、僕から離れないで』
『お姉ちゃんのことは、僕が守るから』
可愛い弟の顔を思い浮かべて、サチは一瞬だけ頬が緩んだが、すぐに胸が締め付けられた。
あんなに、私の事を慕ってくれていたのに。
どうしてタイチに何も言わずに、あの家を出てきてしまったんだろう。
タイチはきっと、今頃……
サチは、家を出た事を初めて後悔した。
このまま、ルキヤを信じていいのか。
全てが巧妙に仕組まれた罠、のようにも思える。
私の封印を解除して、増幅者の能力を享受したい、きっとそれが本音だろう。
でも…
その時。
ガタン、とドアの外で音がした。
「誰ですか。」
ルキヤが短く問うと、ドアが少しだけ開き、おずおずとミナミが顔を覗かせた。
「ご、ごめんなさい…。聞き耳を立てるつもりは、なかったんです…。」
ミナミは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ミナミ。私はいまサチと大切な話をしている最中です。席を外しなさい。」
「はい。……」
ミナミはドアを閉めようとしたが、思い直したように、ドアの隙間から体を部屋の中に滑り込ませた。
「ミナミ?聞こえなかったのですか、」
「わ、わたし、もっ」
ミナミがルキヤを遮って言った。
「わたし、も、サチさんのそばに、います。何があっても、絶対に、助けます。……」
俯くミナミの頬に涙が伝い、こぼれ落ちる。
「サチさんのこと、…救世主様とか、そういうことじゃなくて…、すきなんです。」
ミナミは絞り出すように声を上げた。
「サチさんが、少しでも楽になるなら…、サチさんが、笑ってくれるなら…っ、わたし、何でもします、から」
ベッドサイドにうずくまって嗚咽を漏らすミナミを、サチは抱きしめた。
「……ありがとう、ミナミ。……」
サチも、涙を流していた。
もう、何が正解なのか、サチには分からない。
騙されているのかもしれない。
だけど、ミナミの流した涙は、信じられる。
信じたい、と思った。
サチは、左手首のミサンガを見た。
タイチ。マサヤ。ナホちゃん、カホちゃん。
本当に本当に、ごめんなさい。…私、間違っちゃった、かもしれない。
でも。……
「ルキヤ、さん。」
ルキヤが、サチの目を見る。
「私の封印を、解いて下さい。」
生きるために。
サチは決意した。




