第29話 仮説
「あ、…あのぅ…、ひとつ、お願いがあるんですが。」
サチが、恥ずかしそうに俯きながら言う。
「どうしましたか?」
「えっと…部屋が明るいと、ちょっと恥ずかしいといいますか…」
「ああ…そうですね。少し明かりを落としましょうか。配慮が足りなくて、申し訳ありません。」
ルキヤが目線で仲間に指示して、照明が落とされる。部屋は卓上ランプの薄明かりのみになった。
「う……これはこれで、ちょっとムーディー過ぎるというか…」
ぶつぶつ呟くサチに、ルキヤが問いかける。
「サチ…やはり今日は、やめておきましょうか?」
「あっ、いや、ごめんなさい…。いま、脱ぎます…。」
ベッドに座りながら、ルキヤ達に背を向けてもぞもぞとTシャツの袖から腕を抜いていく。ミナミがシーツで視線を隠してくれている間に、サチは上半身の衣服を全て脱ぎ、そのままベッドにうつ伏せになった。
「ど、どうぞ…」
失礼します、と断って、ルキヤがサチの背中をつぶさに観察する。
「ユウジ。例の本を。」
ユウジと呼ばれた、タイチと同じくらいの年齢の少年が、分厚い本を手にルキヤに近づく。
ペラペラとページをめくるかすかな音が聞こえるが、サチはうつ伏せになっているので、ルキヤ達の様子を見る事ができない。
(うぅ……恥ずかしい。…っていうか、これ無防備過ぎて、大丈夫なのか?私……)
サチは左手首のミサンガを見る。
ああ、私は何をしているんだろう…。サチは急に不安になり、ギュッと目をつぶった。
そのまま5分ほど経っただろうか。
おもむろに、ルキヤが声を上げた。
「……あった。ありました。……」
ルキヤはサチの背中にバスタオルをかけてあげる。
「もう大丈夫ですよ。…不安な思いをさせて、すみませんでした。さぁ、服を着て。」
「……それで、何が分かったんですか?」
サチは服を着た後、皆が待つ会議室に入り、ルキヤに尋ねた。
ルキヤは、先程の分厚い本の、とあるページをサチに示す。
「あなたの背中に彫り込まれた紋様は、これと同一です。」
サチは本を覗き込む。そのページには、幾何学的なパターンのシンボルが載っていた。これまでサチ自身は当然ながら自分の背中を直接見る事がなかったため、改めてこんなのが背中についてるのか…とぼんやり眺めた。
「えっと、…これって、」
ルキヤは少し考え込む様子を見せた後に、サチに説明を始めた。
「この本は、封印者が封印を行う際に使用する紋の種類が書かれている禁書の類です。その封印が何を封印しているか、どれ程強固なのか、解除可能な封印なのか、そしてシーラーの流派によっても、紋様は異なります。」
「し、しーらー?」
「一般に、他人の能力を減弱あるいは封印する能力を持つ者です。」
「エンハンサーの、逆ってこと?」
「確かに。言ってみれば、そういうことですね。」
ミナミがまた、氷たっぷりのアイスティーを運んできてくれる。サチは礼を言って、グラスを受け取った。
「…それで、私の封印は、解除できるんでしょうか?」
ルキヤは目を閉じて、首を横に振った。
「……あなたにかけられている封印は、最上級クラスの術です。そして、残念ながらその封印は、原則として不可逆的です。」
「…解除できない、という事ですね。」
「ええ。あなたの祖父と父親は、よほどあなたの能力恐れていたと見えます。…やはり、あなたも増幅者だと考えると、辻褄が合います。」
「でも…封印が解除できないとなると、私は非能力者と同じって事ですよね。…」
それでも、いいか。とサチは思い始めていた。
以前タイチが、サチに能力が目覚めなくても、一生当主として面倒を見ると息巻いていたのを思い出す。
お父さんとおじいちゃんが恐れていたのは、私の力が悪用される事だろうか?それとも、…
「……1つだけ、方法があるかもしれません。」
ルキヤが口を開いた。サチが顔を上げる。
「私はこれまで、あなたの封印が解除不可だった場合の可能性に備えて、あらゆる文献を調べ尽くしてきました。そこで、1つの仮説を立てたのです。」
「…仮説?」
「はい。サチさんはそもそも、我々異能力者の力がどこから来るのかは、ご存知ですか?」
サチは、アカデミーで習った事を思い出す。
「えーと…能力者は自分の生命エネルギーを別の形に変換する力を持つ、とかでしたっけ?」
「その通り。発現の形はそれぞれ違いますが、原理としては皆同じです。そして生命エネルギーは、いわゆるオーラと呼ばれるものですが、意志の力、精神エネルギーとも言い換えられる。」
「……?」
「封印者は、自らの精神エネルギーを封印の紋に結集させて、対象の人物の精神エネルギーの外部への放出を塞ぎます。物理的な穴とは違いますが、イメージとしてはバケツの穴を栓で塞ぐ感じですね。」
サチにとっては、初めて知ることばかりだった。
「ただし、イメージしてみると分かると思いますが、
もしバケツの中の水圧が大き過ぎたら、当然栓は圧に耐えきれず、外れてしまいますよね。」
「えっと、…つまり、」
ルキヤは頷く。
「そうです。サチ、あなたの精神エネルギーを増大させれば、封印の力を打ち破ることができるかもしれない。」
「それは……理論上はそうかもしれませんが、でもどうやって?」
ルキヤはサチをまっすぐ見つめる。
「私の能力は、精神感応です。あなたもご存知の通り、他人の夢に干渉することもできる。ただ、私の能力の本質は…他者の意識に作用して、負の感情を増幅させること、です。」
「負の感情を、増幅…?」
サチは、部屋に軟禁されていた時のことを思い出す。
毎晩繰り返された悪夢。もしかして、あれも…
「…あなたのお父さんに対する不信感を利用して、その感情を増大させました。」
ルキヤが、サチの心の中を見透かすように言った。
「それについては、悪かったと思っています。…ただ、あなたをあそこから連れ出すには、それしかなかった。それに…
私が増幅できるのは、既にある負の感情だけです。ゼロから生み出すことはできない。具体的なイメージを指定して、見せることもできない。
つまり私は、あなたの中にすでに芽生えていた父親への不信感を、少し後押ししただけということです。」
タケルへの不信感。
自分の知らない間に能力を封印されて、予知能力者だと嘘をつかれていたこと。
お母さんの指輪を、特に断りなく私に贈ってきたこと。
双子の予知夢に過剰反応して、私を地下牢に閉じ込めたこと。
…そして、本当の父親の死に関わっているのに、今までそのことを隠してきたこと。
ひとつひとつが積み上がって、それがルキヤによって増幅され、不信が決定的なものになった。
「つまり、私の仮説はこうです。私の能力を使ってあなたの精神エネルギーを増大させ、内部から封印を強制的に破る。
…ただしこの方法には、大きな危険が伴います。」
ルキヤは一息ついた。
「ひとつは、私が増幅できるのは負の感情のみだということ。サチの負の感情を極限まで増大させたら、あなたの心は耐えられないかもしれません。
もうひとつは、そもそもこの方法をこれまでに試した文献がないこと。未知のリスクを孕む可能性も、否めません。」
サチは黙り込んでしまった。
あまりにも多くの情報が雪崩のように押し寄せて、パニックに陥っていた。
「…サチ。大丈夫ですよ。
すぐに答えを出さなくてもいい。
今日は疲れたでしょうから、もう、休みましょう。」
ルキヤは、サチを労るように、優しく提案した。




