第27話 思いがけない平穏
「そうそう、私的なこだわりポイントとしては、ちょこっと味噌を入れるんだよねぇ。」
事務所の一角にある小さなキッチンで、サチはにんじんの皮を剥いていた。隣ではミナミが、まな板でじゃがいもを切っている。
「肉じゃがに、お味噌、ですか?」
「そーなの。意外でしょ。でもね、ちょこっと入れると、なんかコクが増すっていうか。」
2人はおしゃべりしながら、てきぱきと調理を進める。
サチが【ゼロ】のアジトに来て、2日目。当初は一体どんな酷い目に合わされるのかとビクビクしていたが、蓋を開けてみるとルキヤの仲間達はサチと同年代の子供が多く、不思議とすぐに皆と打ち解けた。特に、同い年のミナミとはもうすっかり仲良くなった。
夜は、小さな個室に簡素なベッドが1つ置いてある部屋を当てがわれた。シャワーは共有で、みんなで譲り合って使う。寮生活に慣れているサチは、大きな戸惑いもなくすぐに共同生活に馴染んだ。
双子の予知夢を思い出して、夜は身ぐるみ剥がされて何かされるかもしれないと警戒していたが、拍子抜けする程全く何も起こらず、サチは夢も見ずに朝までぐっすりと眠った。
「いつも、ミナミがみんなのご飯を作ってるの?」
サチが牛こまをごま油で炒めながら尋ねる。
「いえ、10歳以上のメンバーで持ち回りで食事当番を回してます。今週は、私。」
「そうなんだ。偉いねぇ。私は基本寮では食事が出るから、家に帰った時に自分が食べたい物を気ままに作るくらいなんだ。」
「寮…?」
「あ、そうか…。えっとね、アカデミーに通ってる生徒は、原則みんな同じ所に寝泊まりするの。ここみたいな感じで。寮だと、完全に男女分かれてるけどね。」
そうなんですか、とミナミは呟く。
「私、ここ以外の所の事、よく知らないんです。変な質問しちゃったら、ごめんなさい。」
「いいよ、私もミナミ達のこと、もっとよく知りたいな。ミナミはいつから、ここにいるの?」
「私は、もともとここで産まれたんですが、両親は【ゼロ】が解体した時に、追手から逃れる途中で自死したと聞いてます。」
「……え……?」
「でも、両親の記憶はほとんどないんです。その時私はまだ、1歳くらいでしたから。」
「………」
「どさくさに紛れて、誰かが私を孤児院に預けて行ったみたいで。その孤児院でしばらくお世話になってたんですが、3年くらい前かな、ルキヤさんが迎えに来てくれて。そこで初めて、【ゼロ】と両親の事を知ったんです。」
それからは、ずっとここで暮らしてます、とミナミ。
「…ごめんなさい。辛い事、聞いちゃって…。」
「いえ、全然気にしないで下さい。ここにいる子達、大体みんな同じような事情を抱えてますから。」
ミナミは困ったように微笑む。
「私は、ここのみんなが好きなんです。リーダーのルキヤさんはとても穏やかで裏表のない優しいひとですし、仲間達も境遇が似てるから、みんな協力しながら仲良くやってます。」
「『能力者による、統治』、だっけ?」
こくん、とミナミは頷く。
「ルキヤさんは、理想郷の実現を目指してます。私は、それ自体が目標というよりは、ルキヤさんの役に立ちたいって感じです。他のみんなも、そう思ってるんじゃないかな。」
切り終わった野菜を鍋に入れながら、ミナミは言った。
「みんな、ルキヤさんの事が好きなんだね。」
ミナミは微笑む。
「ルキヤさんは、いつも救世主様…サチさんの話をしていました。」
「…え?」
「ルキヤさんはサチさんの事を、ずっとずっと前から見守り続けていました。いつか必ず、サチさんを迎えに行くと。いまその念願が叶って、私も嬉しい。」
「…ねぇ。どうしてルキヤさんは、そんなに私に拘るのかな。」
ミナミは、サチの顔を見た。
「それは…サチさんが、直接ルキヤさんから聞かれた方がいいと思います。」
「……」
だし汁を入れて、ぐつぐつと鍋の中で具を煮込む。
「サチさんは、ルキヤさんの事、どう思いますか?」
「え?」
「ルキヤさんの事、好きですか?」
「……っ!?」
サチはふいに夢の中での口づけを思い出して、耳まで赤面する。
好きとか嫌いとか、そういう事を判断できるほどルキヤの事を知らない、というのが実際のところだ。
ただ、最初に思ったほど悪い人ではなさそう、とも思い始めている。少なくとも、サチの事を大切に考えてくれている、と感じる。そして何というか、タイチやマサヤと違い、"大人の落ち着き"みたいなものがある。
考え込んでしまったサチに、ミナミは続けた。
「ルキヤさんの事、サチさんにも、好きになって欲しいです。ルキヤさんはサチさんの事を、真剣に愛していますから。」
「へ…??」
ぽかんとするサチに向かってミナミはにっこりと笑みを浮かべ、それ以上は話をしなかった。
*****
「当主。お願いですから、一度休んで下さい。」
アザイ家本家のタケルの書斎は、実質サチ救出作戦の拠点となっていた。タケルはアザイ家一族だけでなく公安警察のテロ対策チームにも遠隔で指示を飛ばして、双方の指揮を執り続けた。
サチが去ってから、一睡もせずにタケルは働き詰めた。さすがに疲労の色が濃くなってきたのを見兼ねて、分家代表の1人が声をかけたのだった。
こうしている間にも、サチが危険な目に合っているかもしれない。そう思うとタケルは焦燥感で居ても立っても居られなくなるが、疲労で集中力が低下した状態では判断を誤るリスクが上がる事も、もちろん分かっていた。
「…30分だけ、仮眠してくる。何かあれば、すぐに起こして。」
そう言い残して、タケルは奥座敷に向かった。
ユキは布団に横になって、眠っていた。
タケルはその横の布団の上に座って、ユキの頭を撫でる。
「ユキ……ごめん。サチを、守るって約束したのに。………」
ユキの布団の下から、ユキの左手を握る。
と。
「……え?」
違和感を覚えて、タケルはユキの左手を見る。
指輪がある。
「なん、で……」
タケルの顔が、絶望したように青ざめる。
俺は、サチの事を、何も分かっていなかった。
目の前が真っ暗になっていく。
ーーー
『タケル。』
背後から呼ばれて、タケルが振り返る。
まだ心が生きていた頃の、ユキだった。
『ユキ……?』
ユキは微笑む。
『あなたがあなたなりに、今までサチの事を大切に育ててきた事を、私は知ってる。…あなたは、間違ってない。』
大丈夫、とユキがタケルの頬を撫でる。
『ユキ……ごめん、でも……サチが、』
ユキは大きく頷く。
『あなたに足りなかったのは、サチとの対話。サチは賢い子だから、ちゃんとタケルの考えている事を話してあげれば、絶対に理解してくれるはず。子供だから、傷つけたくないから、という理由で、あの子と向き合う事から逃げては、だめ。』
『……ユキ……』
ユキは、タケルを抱きしめた。
『あなたなら、大丈夫。
タケルが誰よりも愛情深い事、私が1番知ってるから。』
大丈夫、大丈夫。とユキは繰り返した。
タケルは、ユキを抱きしめ返した。
心が、すぅっと落ち着いていく。
ーーー
はっ、と目が覚めた。
時計を見ると、3時間も眠ってしまったようだった。
だけど、思考はもやが晴れたようにクリアだった。
ユキが抜け殻になってから、タケルは時折ユキの夢を見る事はあった。だけど今回は、窮地に陥ったタケルを助けるために、ユキが意思を持って夢に出てきてくれたような気がする。
抱きしめたユキの感触が、今もこの腕に残っている。
大丈夫、大丈夫。
ユキの声を、何度も頭の中でリフレインする。
「……よし。」
タケルは両手の平で頬をパシッと叩くと、布団から立ち上がった。
隣で寝ているユキに声をかける。
「ユキ。…見守っててくれ。行ってきます。」




