第24話 植え付けられた不信
いつものように、辺り一面に白い霧が立ち込めていた。
しかし今日は、一向にタケルの姿もユキの姿も現れない。
サチは少しだけホッとしながら、またあてどもなく歩き続ける。
『サチ』
ふいに背後から名前を呼ばれて、サチは固まる。
恐る恐る振り返ると、あのサングラスの男が立っていた。
『……あなた、どうして……』
男は答えずに、サチにゆっくり近づいてくる。
『名乗っていませんでしたね。私の名前は、ルキヤと申します。…あなたは覚えていないでしょうが、私達は昔、顔を合わせた事があるんですよ。』
『…え?』
ルキヤは、おもむろにサングラスを外した。
緋色を含んだ、複雑な色合いの瞳。
その瞳から、サチは目を逸らす事ができない。まるで心の中を、全て読まれているような心地がした。
『あなたがアカデミーに入学してきた時に、私は最終学年に在籍していました。』
『あなた…アカデミーの、卒業生なんですか?』
サチは驚いて言った。ルキヤは微笑む。
『サチの事を、…ずーっと、見つめていました。』
『どういう…事ですか?』
サチは警戒心を強める。
『リヒト様が、私に教えて下さった。あなたが、私達の希望の光だと。だからあなたがアカデミーに入学してきた日から、私はずっと、あなたから目を離せませんでした。』
『…全然、気づかなかった。』
ルキヤが右手でサチの髪を一束掬う。サチはなぜか、抵抗できない。まるで魅入られるように、ルキヤの瞳を見つめてしまう。
『サチ。…もうあなたにも、分かっているでしょう。
あなたの父親は、あなたを愛してなどいない。
それどころか、憎んでいる、と。』
サチの瞳が、動揺したように揺れる。
『あの男は、今まで父親の仮面をかぶって、あなたを監視し続けてきたのです。
…あなたの、本当の能力まで封じ込めて。』
『ほんとうの、能力…?』
ルキヤが頷く。
『ええ。あなたは、予知能力者などではない。…あなたの父親と祖父は、共謀して嘘をついている。
あなたの本当の能力を、恐れているからです。』
『ま、待って…私の本当の能力って、何なの…!?』
ルキヤは、サチの頬にそっと触れる。
『サチ。私は、あなたがあの家に不当に縛り付けられて、能力を押さえつけられているこの状況が、許せないのです。だから、あなたを助けに来た。』
『………』
『私のところへいらっしゃい。そうすれば、封印されているあなたの本当の能力を、解放してあげましょう。あなたは断じて、落ちこぼれではない。』
サチは頭がぼぅっとしつつも、辛うじて首を横に振る。
『…あなたのところには、行けない。』
『どうして?』
『…みんなが……みんなを、裏切れない。』
ルキヤが冷たく笑う。
『みんな、とは?』
『家族とか、友達とか…』
『サチ。先程も言った通り、タケル・アザイはあなたの家族ではない。もちろん、ゲンドウ校長も。
あなたは、これまであの家で受けてきた数々の仕打ちを、もう忘れたのですか?』
『………』
アザイ家で受けてきた仕打ち。
サチのことを、まるで透明人間のように扱う大人達。
『ねぇ、サチ。…あの父親が、憎いでしょう。
本当にあなたを愛しているなら、あなたの能力を無断で封印したり、地下牢に幽閉したりする訳がない。あなたがアザイ家の人間達に冷たい仕打ちを受けている時に、手を差し伸べない訳がない。
あの男はずっと、物分かりの良い父親の仮面を被って、サチを騙し続けてきたのです。』
『……っ、…』
息を呑むサチの耳元で、ルキヤが囁く。
『知りたいでしょう。本当のあなたを。
だから一度、私のところへおいで。…本当の事を知った後、それでもまだあの家に戻りたいと思うならば、戻ればいい。
もっとも、真実を知ったらあなたは、2度とあそこに戻りたいとは思わないと思いますけどね。…あの、血塗られた一族のもとには。』
サチは眩暈がした。
私の、本当の能力。
私は、予知能力者なんかじゃなかった。
ゲンドウもタケルも、ずっと私を騙していた。
この人の言っている事は、どこまでが真実なのか?
吸い込まれるようなルキヤの瞳を見つめていると、これまでサチが信じていたものが、全て虚構だったように思えてくる。
『さぁ、サチ。もう、心は決まっているでしょう。
私に身を委ねて。…絶対に、あなたを傷つける事はしないと誓うから。』
ルキヤはサチの顎を引き上げて、身を屈めてサチの唇にそっと自分の唇を重ねる。
サチは抵抗する事もなく、目を閉じてその口づけを受け入れた。
*****
窓から差し込む光で、サチは目を覚ます。
久しぶりに、朝まで熟眠できた。しかし、夢の中の出来事を、サチは鮮明に思い起こせる。唇に指を触れて、感触を確かめる。
「ふぁー…お姉ちゃん、おはよ。昨日は、よく寝れた?」
タイチも起き上がって、サチに声をかける。
「おはよ、タイチ。…うん、久しぶりにすごくよく眠れたよ。」
そっか、よかった、とタイチが笑うのを、サチは眩しそうに見つめた。
その時、ふいにドアがノックされた。
「サチ…入るよ。」
その声に、サチはビクッと身を震わせる。
1週間ぶりの、タケルの声だった。
ドアが開き、タケルが部屋に入ってきて、ベッドサイドに腰掛ける。
「ずっと、家を空けていて悪かった。
おじいちゃんとも相談して、今日からこの本家の中だったら自由に過ごしていい事にしたよ。…閉じ込められて窮屈だっただろうけど、よく我慢してくれた。」
タケルは穏やかに語りかけるが、サチは返事をしない。
「……サチ?」
タケルが不審に思って手を伸ばすが、サチはその手をパシッと振り払った。
「あ……ごめん、なさい。ありがとう、お父さん。」
サチが青ざめた表情のまま、タケルと目線を合わさずに、絞り出すように言った。
サチの様子に、タケルは既視感を覚えた。
どこかで、こんな表情を見た事がある。……
「タイチ。庭に行こう。…お父さん、本家のお庭なら、出てもいいよね?」
サチが目を伏せたまま、タケルに尋ねた。
「あ、ああ…」
いこう、とタイチの手を取って、サチは部屋を出た。
空っぽになったサチの部屋で、ようやくタケルは思い出した。
あの表情。
不信感を目いっぱいに溜め込んだような。
リヒトが、【ゼロ】の手に堕ちる直前に見せていた顔と、同じだった。




