第22話 悪夢
辺り一面に、白い霧が立ち込めていた。
サチは自分がどこにいるのか分からないまま、あてどもなく歩き続ける。
ふと、濃い霧の向こう側に、人影を認めた。
恐る恐る近づいていくと、女の人がこちらに背を向けて、うずくまっている。
注意深く見ると、時折肩を震わせて、嗚咽が漏れている。静かに、声を殺して泣いていた。
『大丈夫、ですか?』
サチが声をかけるが、女の人には聞こえていないようだった。
サチは回り込んで顔を覗き込み、ハッとした。
母の、若い頃の姿だった。
『おかあ…さん?』
すると、霧の向こうから、もう1人の人影が現れた。
背の高い男性。若い頃の、父だった。
父は母の側に跪いて、宥めるように母の背中をさする。
『ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…』
母は両手で顔を覆い隠し、震えながら小さな声で何度も何度も繰り返し謝り続けた。
『ユキは悪くない。謝らないで。…』
母は首を振る。
『私が…もっと、抵抗していれば…!』
『違う…ユキは、やれる事はやったんだ。
ユキは悪くない。
悪いのは、全部……リヒトだ。』
ふと顔を上げた父が、冷たい瞳で、サチを睨んだ。
サチは、息が出来ない。
『ユキ。お腹の中の子は…俺達に不幸しかもたらさない。
その子には、悪魔の血が流れている。』
父は、サチの目をまっすぐ見据えている。
『お前が、お母さんを殺したんだ。……サチ。』
ーーー
「……っ!!!」
がばっと起き上がる。全身、汗びっしょりだった。
夢、だった。
しかし、こちらを咎めるように射抜くタケルの鋭い視線は、サチの脳裏に焼き付いている。
「…っ、は、…」
サチは自分で自分を落ち着かせようと、何とか呼吸を整える。
ちがう。あれは、本当のお父さんじゃない。
本当のお父さんは、
お父さん、は…
「…うぅん…?」
床に敷いた布団で寝ていたマリが寝返りを打つのを聞いて、サチはハッとした。
マリを起こさないように、そっと再び布団に潜り込む。
しかし、もう眠気が訪れる事はなかった。
*****
翌朝。マリとアラタは、心配そうな表情のままアザイ家を後にした。
「ぜったいぜったいぜーーったいに、毎日メッセージ送るから!電話も!いつでも何でも、話聞くからね!!」
マリは何度も、サチに念を押した。
「結局、昨日の夜は何も起きなかったな。」
2人を見送った後、タイチとマサヤはサチの部屋にいた。
「ほんとに、ナホとカホは予知夢を見たのか?ただ悪夢を見ただけ、とか?」
悪夢、という言葉に、サチは一瞬ドキッとする。
「まぁ、でも用心するに越した事ない。父さんから、ずっとお姉ちゃんの部屋でお姉ちゃんを守るように言われてるから。僕今夜から、ここで寝泊まりするね。…ずっと一緒だよ、お姉ちゃん。」
またさらっと、タイチが不穏な事をのたまってるな…。しかしサチはもはや、ツッコむ気力もなかった。
そこへ、突然ノックの音が響き、サチはビクッとする。
「サチ。私だ。入るぞ。」
ゲンドウの声。
3人は顔を見合わせた。
ゲンドウがサチの部屋に来た事は、思い出せる範囲では1度もなかった。
「おじい、ちゃん…?どうして…」
「タケルから依頼された。お前を監視するようにと。」
「え……?」
「タケルは公安本部に向かった。あいつが不在にしている間は、私が本家でお前を監視することになった。常に部屋の前に見張りをつけるから、部屋から一歩も出るな。」
「じいちゃん。お姉ちゃんは、僕が守るから。…じいちゃんは、自分の家でゆっくりしていなよ。」
タイチが口を挟むが、ゲンドウは一蹴する。
「お前だけでは役不足、という当主の判断だ。お前は意見できる立場にはない。」
はぁー、とタイチがため息をついた。
「マサヤ。お前も、しばらく本家への出入りを禁止する。」
「…分かりました。」
有無を言わさぬ雰囲気のゲンドウに、マサヤは従うほかなかった。
「おじいちゃん…お父さん、監視って言ったの?」
サチの顔が、心なしか青ざめている。
「そうだ。お前がおかしな行動を起こさぬよう、監視する。」
「じいちゃん、それは違うだろ。…お姉ちゃんは狙われてる身で、俺たちはそいつらからお姉ちゃんを、守るんだろ。」
ゲンドウはタイチの言葉を無視して、サチに近寄った。
無言で、立ったままサチを見下ろす。
「………っ、」
その瞬間、サチを久しぶりに、あの感覚が襲う。
何かを、忘れているような。
大切な、何かを。
また、強い頭痛がサチを襲う。
「…サチ姉!?大丈夫!?」
突然頭を抱えてうずくまったサチに、マサヤが声をかける。
ふいにサチは、昨日地下牢で蘇った記憶の断片を思い出す。
ゲンドウと、タケルと、もう1人知らないひと。
背中に、焼け付く様な痛み。
サチは泣き叫んだが、タケルは助けてくれなかった。
『お前が、お母さんを殺したんだ…サチ。』
ああ。
そうだったのか。
お父さんは、もうずっと昔から、私が産まれた時から、私を憎んでいたのか。
ただ、家族ごっこを演じてくれていた、だけだったのだ。
気づくと、いつの間にかまたゲンドウは立ち去っていた。
*****
その夜も、サチはまた夢を見た。
その次の夜も。
夢の中で、毎回タケルがサチを糾弾する。
お前のせいで、ユキは死んだ
お前には悪魔の血が流れている
お前さえいなければ、俺とユキとタイチは幸せに暮らしていた
そしてタケルの傍には、いつもユキが泣きながら謝り続けていた。
ごめんなさい
ごめんなさい
あなたを産んでしまって、ごめんなさい
サチは飛び起きる。
床で寝ているタイチの寝息を聞いて、我に帰る。
その後はもう、一睡もできない。
ただ青ざめた顔で、朝方までガタガタと人知れず震え続けた。
睡眠不足が常態化し、常に目の下にくまを作っているサチを、タイチは心配した。
しかしサチは、大丈夫だから、の一点張りで、夢の事をタイチに話さなかった。
そしてタケルはあの日以来、サチと顔を合わせていなかった。
サチは徐々に、現実と虚構の区別がつかなくなっていった。
じわじわと、サチは追い詰められていた。




