第5話 密閉検査室
五日目、セナ・イオリスが殺されかけた。
場所は第三検査室。内側から鍵がかかり、窓はなく、通気口には封印符。室内にはセナ、壊れた通信水晶、毒を吐く検査機、そして床に倒れた検査員が一人。
セナは扉越しに笑った。
「密室殺人ってやつですね。僕、まだ死んでませんけど」
「黙って呼吸を浅くしてください」
俊平は扉の小窓から室内を見た。毒霧は床を這い、検査機の脇で青白く光っている。コーデックスの表示は乱れていた。
通信痕跡: 外部
毒性濃度: 上昇中
犯人候補: セナ・イオリス 54%、不明 46%
グレンが扉を殴る。
「壊すぞ」
「壊したら毒が廊下へ出ます」
リゼットが鍵束を確認する。
「第三検査室の鍵は三本。私、セナ、検査員エイベルが所持」
「エイベル?」
倒れている検査員の名だ。十五歳。処刑予定者二十九人の一人で、鐘楼街から来た少年。耳が異常に良く、検査機の異音を聞き分ける技能があった。
コーデックスが少年の情報を開く。
対象: エイベル・灰鐘
状態: 仮死偽装
忠誠対象: 不明
恐怖対象: ヴェイン商会
「生きています」
俊平が言うと、室内で少年の指がぴくりと動いた。
セナが咳き込みながら呟く。
「ああ、ばれた。エイベル君、逃げるなら今だよ」
廊下が静まり返る。
グレンの義手が鳴った。
「セナ。お前、知ってたのか」
「半分だけ」
「半分とは便利な言葉だな」
セナは毒霧の中で肩をすくめた。
「僕はエイベル君が何かを運ばされているのは知っていました。でも、誰に脅されているかまでは知らなかった。知ろうとすれば、彼はもっと早く殺されていたでしょう」
「言い訳に聞こえる」
「言い訳ですよ。裏切り者にも、自己弁護くらいは必要です」
俊平は通信水晶を見る。砕けた表面に、敵国の紋章が一瞬浮かんだ。
「セナさん。あなたは外部と通信していましたね」
「してました」
あまりに簡単な肯定だった。
「この都市は戦争を終わらせる気がない。勝ちすぎれば補給を絞り、負けすぎれば欠陥品を流す。黒炉は平和が嫌いなんです。だから僕は情報を流した。均衡を壊すために」
「そのせいで死ぬ人もいる」
「このままでも死にます」
俊平は唇を噛んだ。
セナの理屈は嫌だった。
嫌なのに、完全には否定できなかった。
リゼットが俊平の横で低く言う。
「管理官。彼を庇えば、あなたも外患協力者として処分対象になります」
「庇いません」
「では?」
「処分する前に、使える情報を全部吐かせます」
セナが扉の向こうで吹き出した。
「ひどい。僕、けっこう傷ついてます」
「生きているから傷つけます」
室内でエイベルが跳ね起きる。彼は通信水晶を踏み砕こうとした。
「ごめんなさい、管理官さん」
少年の声は震えていた。
「妹が、商会にいるんです。僕が失敗したら、炉心石にされる」
マルタ・ヴェイン。
俊平の頭に赤い外套の女が浮かぶ。
「リゼットさん、封印符を一枚だけ剥がしてください。グレンさん、鎖を」
「扉は開けないのか」
「開けません。全員助けます」
「欲張りだな」
「管理表にない損失は嫌いです」
リゼットが符を剥がし、細い隙間から記録針を滑り込ませる。グレンの鎖が小窓を割って走り、エイベルの足首に絡む。セナは笑いながら検査機へ身体をぶつけ、毒霧の噴出口を自分の背中で塞いだ。
「僕も少しくらい働きますよ」
毒抜きが終わった時、セナは床に座り込み、エイベルは泣きながら妹の名を繰り返していた。
「セナさん」
俊平は言った。
「通信の件は保留にします」
「甘いですね」
「違います。あなたの裏切りを、管理下に置く」
セナはしばらく俊平を見て、それから乾いた声で笑った。
「信頼より逃げにくいな、それ」
その夜、俊平は新しい帳票を作った。
外部通信。目的。影響。許可条件。裏切り発生時の損失見積。
リゼットがそれを見て言った。
「裏切りまで帳票化する管理官は初めてです」
「僕も初めてです」
机の上で、黒炉の台帳がひとりでに開いた。必要犠牲数は十七から十三へ減っている。
俊平は喜べなかった。
数字が減るたびに、自分が何かを差し出している気がした。
廊下では、エイベルが毛布に包まれて震えていた。
「妹を助けてくれますか」
「約束はできません」
俊平は正直に言った。
少年の目から、期待が消えかける。
「でも、探します。約束できる形にするために」
それは慰めではなく、工程だった。俊平は自分の言葉がどんどん冷たくなっていくのを感じた。




