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異世界工場管理  作者: 好山 雪


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32/35

第32話 終わらない夜勤

いつも読んでくださり、ありがとうございます。


百年分の契約は、市民一人一人の判断へ分散して保全されました。


そして俊平は、自分を将来の対価とした父・冬一の契約から、息子派遣の条項だけを無効化します。


しかし冬一の元世界への帰還記録には、到着確認がありませんでした。


閉鎖された相模工業第一工場では、今も午前零時に夜勤が始まっています。


今回は、帰ったはずの父が工場へ残したものを追います。


それでは、第32話をお楽しみください。

午前零時になると、止まった腕時計の中でタイムカードが鳴った。


がちゃん。


一人目。


がちゃん。


二人目。


顔の見えない作業員たちが、文字盤の奥へ入っていく。


全員、灰色の制服。


全員、胸の名札が空白。


最後に白髪の男が現れた。


相模冬一。


俊平の父は時計の向こうから息子を見ると、人差し指を口へ当てた。


声を出すな。


その背後を、巨大な何かが通り過ぎる。


白い炉。


エリスだった。


だが黒炉になる前の姿ではない。


銀色の外殻。


透明な配管。


青い表示灯。


魔術文字の代わりに、日本語の注意書きが刻まれている。


異常停止時、帰還経路を確認すること。


俊平が文字を読んだ瞬間、腕時計の硝子が内側から割れた。


工廠の床へ蛍光灯の光が落ちる。


油のにおい。


冷却液の甘い臭気。


二つの工場が、同じ床を共有し始めた。




「接続率、十二パーセント」


セナが測定器を腕時計へ向ける。


「上がってる。放っておけば第十三工廠が向こうの設備に上書きされる」


「切れる?」


グレンが問う。


「今切ったら、相模さんの帰還記録も消えるかもしれない」


「俺の記録は保全対象です。工廠全体を危険にしないでください」


俊平は即答した。


「でも切る前に、接続先を確認します」


「結局行くんじゃねえか」


「はい」


「少しは迷え」


「迷っています」


「顔に出せ」


サマラが俊平の肩へ食事札を結んだ。


第十三工廠、夜食一名分。


帰還先を示す、小さな紙札。


「向こうの食堂で何か出されても食べないでください」


「なぜです」


「夜勤の食事は、退勤するまで身体を工場に預ける契約です」


イネスが答えた。


抹消契約簿には、すでに元世界の文字が浮かんでいる。


雇用契約。


安全規程。


時間外労働申請。


こちらの都市契約とは違う形をしているが、人を仕事へ縛る力は同じだった。


「同行者は一人」


リゼットが言う。


俊平の帰還灯単独管理権は停止されている。


七者監査が必要だが、世界間接続を通れるのは二名まで。


残り五名は第十三工廠側から記録線を保持する。


「私が行きます」


リゼットは異世界人でも、技師でもない。


それでも台帳を抱え、迷わなかった。


「向こうに私の帰還先はありません。だから相模さんの記録へ引っ張られにくい」


「逆に、戻る道も弱い」


「そのための食事札です」


サマラがもう一枚を彼女へ結ぶ。


リゼットは札を見て、小さく笑った。


「夜食、二名分」




腕時計の竜頭を午前零時へ合わせる。


リィンが借りた一拍を鳴らす。


シーラの鐘機能が二つの工場の時刻を重ねた。


蛍光灯が点灯する。


俊平とリゼットは、第十三工廠から消えた。




相模工業第一工場は、閉鎖された日のままだった。


壁のカレンダー。


飲みかけの缶コーヒー。


工具箱へ貼られた安全標語。


俊平が最後に置いた点検票。


だが窓の外には何もない。


夜空も、駐車場も、町の灯りも消えている。


工場だけが暗闇に浮かんでいた。


生産ラインは動いている。


顔のない作業員が、白い炉の部品を組み立てていた。


一台。


二台。


完成した炉は終端で分解され、同じ部品が始端へ戻る。


何も生産しない循環。


夜勤という状態だけを維持するための工程だった。


「相模主任」


背後から日本語で呼ばれた。


若い女が立っている。


紺色の作業服。


髪を後ろで結び、胸に記録管理室の腕章。


名札には、森川澪。


俊平の記憶にある顔だった。


品質保証部の後輩。


三年前、設備事故で亡くなったはずの女性。


「森川さん」


「遅刻です。三年と四十七日」


彼女は笑わない。


「夜勤責任者が不在だったので、代理で回していました」


「あなたは死んだ」


「身体は」


森川は自分の腕をめくる。


皮膚の下に血管はない。


細い伝票が何百枚も流れている。


「私は死亡事故報告書から復元された勤務記録です」


ノアの保管人格と似ている。


人ではないと言い切れない。


だが本人と同じとも言えない。


「冬一はどこです」


「ラインの最終検査」


「案内してください」


「その前に出勤処理を」


森川がタイムカードを差し出す。


相模俊平。


夜勤開始、午前零時。


退勤予定、未定。


「押しません」


「押さなければ工場内を移動できません」


「では見学者として記録してください」


「見学者区分は廃止されました」


「臨時監査員」


リゼットが紙を一枚出す。


第十三工廠の書式。


こちらの世界では何の効力もない。


森川は受け取ると、長く見つめた。


「規格外です」


「受入検査をお願いします」


「判定基準がありません」


「なら分類前保全で」


森川の目が初めて揺れた。


決められないものを、不良として捨てない。


彼女が生前、何度も求めていた仕組みだった。


「臨時監査員二名。分類前保全として入場を許可します」


タイムカードに出勤ではなく、訪問の印が押された。




最終検査室には、冬一が七人いた。


一人は若い。


一人は俊平の知る父の年齢。


一人は病床で死ぬ直前の姿。


残り四人は、顔の一部が欠けている。


七人全員が同じ炉を検査していた。


「どれが父さんです」


俊平が問う。


「全部だ」


七人が同時に答える。


「帰還契約は、俺を七つに分けた」


白炉を固定した技師。


ガルムを裏切った者。


元世界へ帰った夫。


俊平を育てた父。


病気で死んだ身体。


息子を対価にした契約者。


工場へ残り、帰還経路を維持する夜勤者。


一人分の人生を、役割ごとに分けて返した。


到着確認が空白なのは、全員が同じ場所へ到着していないからだった。


「家に帰った父さんは本物だった?」


俊平の声が掠れる。


「本物だ」


「ここにいる父さんも?」


「本物だ」


「都合がいいですね」


「そうだな」


冬一は言い訳をしなかった。


「俺は帰るために、自分を分ける契約へ同意した。家族のもとへ戻る部分を選び、責任を負う部分をここへ捨てた」


謝罪をした父。


息子を育てた父。


それでも、最も苦しい役割だけを工場へ残した。


「自分の責任を別の自分へ押しつけた」


「その通りだ」


七人の冬一のうち、若い一人が俯く。


「だから夜勤が終わらない」




リゼットが白い炉の銘板を読む。


ERIS-000。


正式名称、Emergency Return Interface System。


緊急帰還経路接続装置。


製造、相模工業第一工場。


「エリスは、こちらで作られた」


俊平が呟く。


白炉は異世界の魔法ではなかった。


災害現場や隔離施設から、人と情報を安全に帰すための試作装置。


だが試運転中、装置は地球上ではない帰還経路を見つけた。


外縁案内機能。


アデル・ラートが、その道を開いた。


「誰がアデルと契約した」


冬一の一人が、検査台の下から古い発注書を出す。


発注者、相模工業特別企画室。


責任者、久世礼司。


納入先、記載なし。


購入品目、帰還先の存在しない経路一本。


対価、ERIS試作機および技術者一名。


技術者欄には冬一の名がある。


「父さんも売られた?」


「最初はな」


「最初は?」


「こちらへ来た後、俺は条件を変えた。都市を救う代わりに元世界へ帰す。そして将来、息子を送る」


被害者だった父は、生き延びるために次の加害者になった。


その順番を隠し、俊平には最後の部分だけを告白した。


「久世は何者です」


リゼットが問う。


森川が工場の照明を落とした。


暗闇の中で、ライン上の白炉だけが光る。


炉の硝子へ一人の男が映った。


黒い仮面。


顔は見えない。


「初代案内人、アデル・ラートが元世界で使った名前です」


森川の声が震える。


「久世礼司は、人間ではありません。会社という帰還先を得た案内機能です」


案内人は名を返すたび、別の名を得る。


外縁だけではない。


元世界では会社を名乗り、契約と設備を使って道を作っていた。


「今もいる?」


「相模工業は閉鎖されました」


「質問に答えてください」


森川は俊平を見た。


「閉鎖後、会社の資産は別会社へ譲渡されました」


「社名は」


「エリス帰還技研」


終わっていなかった。


工場を閉じ、名を変え、別の会社として続いている。


案内人と同じように。




警報が鳴った。


生産ラインへ赤い文字が流れる。


異常停止。


帰還経路、切断予定。


第十三工廠側で、誰かが接続を切ろうとしている。


「予定より早い」


リゼットが記録線を引く。


反対側から応答がない。


グレンも、セナも、ミルカも。


「燃料局です」


森川が監視画面を開く。


第十三工廠の帰還灯室へ、灰色の制服が押し入っている。


先頭にはゲルト・ハイン。


彼は俊平の不在中に工廠を占拠し、元世界との接続を燃料経路として差し押さえた。


「切断まで四分」


「戻ります」


俊平が出口へ向かう。


七人の冬一が道を塞いだ。


「戻れば、ここは閉じる」


「はい」


「俺たちの帰還記録も失われる」


「保全方法を探します」


「時間がない」


何度も聞いた言葉だった。


「なら俺を連れていけ」


一人の冬一が言う。


息子を育てた父の姿。


「他の六人を置いて?」


「全部は運べない」


「また役割を選ぶんですか」


父の顔が歪む。


「俊平。俺はお前の知っている父だ」


「だから何です」


「家族を選べ」


その言葉は頼みであり、命令だった。


七人の父のうち、他の六人が黙っている。


家へ帰った役割だけが、自分こそ本物だと主張している。


「選びません」


俊平は答えた。


「七人とも保全します」


「できないと言っている!」


「一人を父と呼び、残りを廃棄記録にすることはできません」


「では全員消える!」


「消さない工程を作ります」


残り三分。


ミルカはいない。


セナの計器もない。


こちらにあるのは循環する生産ライン。


七人の冬一。


一人の勤務記録。


そしてERIS-000。


俊平はラインを見る。


完成した炉を分解し、部品を始端へ戻している。


何も生産しない工程。


だが、運搬能力はある。


「製品を変えます」


「何を作る」


「帰還記録の搬送箱」


俊平はERISの外殻を開いた。


白炉そのものを運ぶのではない。


中身も燃やさない。


七つへ分かれた父の記録を、七つのまま一つの箱へ収める。


統合しない。


優先順位をつけない。


到着後、本人たちがどうするか決めるまで分類前保全。


「森川さん。工程変更票を」


「夜勤責任者の承認が必要です」


「責任者は誰です」


森川は俊平を見る。


代理を続けていた。


三年と四十七日。


俊平が戻るまで。


「相模主任です」


「俺は出勤処理をしていません」


「臨時監査員です」


リゼットが言う。


「管理ではなく、緊急保全として変更を承認してください」


森川は一秒だけ迷い、印を押した。


「緊急保全工程、承認」


生産ラインが初めて逆方向へ動く。


七人の冬一が白い光へ変わり、別々の区画へ入る。


家族だった父。


裏切った技師。


死んだ身体。


夜勤者。


どれも消さない。


森川自身も最後の区画へ立つ。


「あなたも来るんですか」


「夜勤を終えます」


「本人の森川澪ではないかもしれません」


「知っています」


「それでも?」


「勤務記録にも、退勤時刻は必要です」


彼女は初めて笑った。




切断まで十秒。


ERIS-000が搬送箱を射出する。


俊平とリゼットは食事札を握る。


夜食二名分。


第十三工廠の食堂。


帰る場所の味を思い出す。


蛍光灯が消えた。




二人は第十三工廠の床へ投げ出された。


帰還灯室は燃料局員に囲まれている。


グレンが三人を壁へ叩きつけ、ミルカは切断装置へ工具を差し込んでいる。


セナが叫ぶ。


「あと一秒遅かった!」


白い搬送箱が俊平の隣へ落ちる。


七つの区画すべてに灯りがある。


森川の区画にも。


帰還記録、八件。


到着確認、第十三工廠。


暫定保全。


「夜勤終了を確認」


リゼットが記録した。


ゲルト・ハインが搬送箱へ手を伸ばす。


「元世界の装置は都市燃料局の管轄だ」


俊平はその手を払った。


「人の記録です」


「一人は死者、七つは複製だ」


「分類前保全です」


「便利な言葉だな」


「捨てるよりは」


ゲルトが笑う。


「なら保全している間、都市が凍るのを見ていろ」


彼は切断命令書を床へ落とした。


黒炉出力、残り四十八時間。


鐘楼網の修理。


前線避難路。


第九施療院の患者保全。


帰還先保管庫の安定化。


すべてが黒炉の熱を消費している。


代替炉はまだ完成していない。


「四十八時間後、評議会は白炉七名の保全を解除する」


ゲルトは告げた。


「七人を返すか、都市を残すか。今度こそ選べ」


燃料局員が退いていく。


俊平は搬送箱の銘板を見る。


ERIS-000。


その下に、元世界ではなかった文字が新しく刻まれている。


代替炉設計、完成率九十一パーセント。


不足部品、一件。


帰還先を持たない熱源。


そんなものが存在するのか。


熱源自身が、どこにも帰りたいと思わないもの。


帰還差分を生まない存在。


搬送箱の中で、七人の冬一の一人が目を開いた。


「ある」


父は言った。


「相模工業は、それを作った」


「どこに」


「お前の中に」


俊平の腕時計が割れる。


文字盤の下から、白い炉心が現れた。


父が息子へ隠していた、最後の部品だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


第32話では、閉鎖された相模工業第一工場の終わらない夜勤へ入りました。


白炉エリスは、元世界で作られた緊急帰還経路接続装置「ERIS-000」でした。


冬一は元世界へ帰る際、自分を七つの役割へ分け、家族のもとへ帰る部分だけで俊平を育てていました。


残された責任や記録は、閉鎖された工場で夜勤を続けていたのです。


俊平は一人だけを本物の父として選ばず、七つの冬一と勤務記録から復元された森川澪を、分類前保全のまま第十三工廠へ搬送しました。


しかし黒炉の出力は残り四十八時間。


代替炉に足りない最後の部品は、俊平自身の中へ隠されていました。


次回は「帰還先を持たない熱源」の正体と、俊平を炉心にする代替炉計画へ進みます。


引き続き読んでいただけたら嬉しいです。

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