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異世界工場管理  作者: 好山 雪


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14/35

第14話 痛みの帳簿

いつも読んでくださりありがとうございます。


第14話では、第13話で明らかになった「痛覚債権」に踏み込みます。


第九施療院から送られてきた、患者ごと炉心石にされた子供たち。


その中には、ヘレナの弟ルカも含まれていました。


俊平は彼らを買い戻すのではなく、痛みに値段をつける契約そのものを無効にしようとします。


けれど、都市の帳簿はいつも簡単には壊れません。


今回は、医療という名で人を削る仕組みと、そこに関わる者たちの言い分を描きます。


救うことと、制度を壊すこと。


その二つが同じではないと知りながら、俊平はまた厄介な工程表を開きます。


第九施療院から送られてきた箱は、隔離室の中央に置かれた。


三つの透明な炉心石。


その中に、七人分の呼吸が閉じ込められている。


石の内側で浮かぶ腕。


かすかに動く指。


咳をしようとして、音にならない喉。


それらを見ていると、俊平は自分の胸の奥まで石になっていくような気がした。


「期限は七十二時間です」


リゼットが言った。


「痛覚債権の制度上の瑕疵を証明できなければ、この子たちは第九施療院へ返還されます」


「返還されたら?」


ヘレナの声は掠れていた。


彼女は箱の前から離れない。


石の中にいる弟、ルカの腕に触れようとして、何度も手を引っ込めている。


「炉心石として処理されます」


リゼットは嘘をつかなかった。


ヘレナはうつむいた。


「私が、ちゃんと払えなかったから」


「違います」


俊平は即座に言った。


だが、その言葉は軽かった。


違う。


本当に違う。


そう言うだけなら誰にでもできる。


違うと証明する帳簿を作らなければ、この都市では何も変わらない。


セナが机の上に第九施療院の契約写しを広げた。


「痛覚債権。正式名称は、施療費未納時代替感覚資産化契約。ひどい名前ですね。長い名前の契約は、だいたい中身が腐ってます」


「内容は」


「治療費を払えない患者は、痛覚、恐怖、後悔、孤独感などの感覚記録を施療院へ譲渡する。譲渡量が支払い額に満たない場合、本人または保護者の労働、血縁者の感覚資産で補填可能」


グレンが斧の柄を握りしめた。


「つまり、貧乏人は痛がれってことか」


「はい」


セナは笑わなかった。


「しかも長く苦しむほど価値が上がる」


ミルカが石に耳を当てた。


「この子たち、ずっと痛いって言ってる。でも、声が外に出ない」


リィンは耳を塞いでいた。


「鐘じゃない。針の音。ちく、ちく、ちくって、数えてる」


「何を?」


「あと何回痛がれば、払ったことになるか」


誰も喋らなかった。


俊平は台帳を開く。


痛覚債権監査。

期限: 68時間12分。

対象者: 7名。

救出成功率: 32%。


低い数字だ。


だが、ゼロではない。


「論点を分けます」


俊平は壁に紙を貼った。


一枚目。


本人同意。


二枚目。


未成年契約。


三枚目。


医療補償移管後の二重請求。


四枚目。


痛覚資産化の安全性。


五枚目。


債権回収者の利益相反。


グレンが眉をひそめる。


「戦の準備か」


「監査の準備です」


「同じ顔してるぞ」


「たぶん、似ています」


サマラが杖で床を叩いた。


「私は何をすればいい」


「第九施療院に行きます」


リゼットがこちらを見た。


「危険です」


「危険なのは、ここで契約書だけ見ていることです。現場を見ないと、帳簿の嘘がわかりません」


ナギが短剣を袖に隠し直す。


「同行する」


「お願いします」


「私はあんたを守るためじゃない。痛みを売った奴の顔を見に行く」


「それで構いません」


第九施療院は、黒炉都市の東区にあった。


白い石壁。


磨かれた階段。


窓辺には青い薬草。


入口には、治療を待つ人々が列を作っている。


第十三工廠の煤と血に慣れた俊平には、その清潔さの方が不気味だった。


清潔な場所で人が削られる時、汚れはどこへ行くのだろう。


答えは、たぶん帳簿の中だ。


受付にいた白衣の女は、俊平の肩書きを聞くとすぐに笑顔を消した。


「第十三工廠の方ですね」


「痛覚債権監査で来ました」


「院長への面会は予約制です」


「では予約します」


「最短で十日後です」


「期限は三日後です」


「こちらの都合ではありません」


リゼットが静かに書類を出した。


「総監代理候補権限による緊急監査です。拒否する場合、拒否者名を記録します」


受付の女は一瞬だけ目を伏せた。


記録される。


この都市では、それは脅しになる。


「少々お待ちください」


待合室の椅子には、咳をする老人、腕を包帯で吊った兵士、腹を押さえる妊婦、顔色の悪い子供がいた。


全員の手首に、薄い灰色の紐が巻かれている。


リィンが小さく言った。


「あの紐、鳴ってる」


俊平はコーデックスを開く。


患者識別紐。

機能: 治療履歴、債務残高、痛覚譲渡量の記録。


老人の手首に表示が浮かぶ。


残債: 銀貨12枚相当。

譲渡済痛覚: 68%。

追加徴収予定: 睡眠時悪夢。


妊婦の手首。


残債: 銀貨41枚相当。

譲渡済痛覚: 24%。

胎児感覚資産: 予約済。


俊平の呼吸が止まった。


「胎児感覚資産」


リゼットの顔色が変わる。


「まだ生まれていない子供の痛覚まで、予約している」


サマラが低く唸った。


「ここは病院じゃない。畑だ」


ナギが言った。


「痛みを育ててる」


その時、奥の扉が開いた。


白い仮面の男が現れる。


第十三工廠へ回収に来た男だった。


「お待たせしました。第九施療院、契約管理医のオルド・セヴェルです」


仮面の奥の声は、丁寧だった。


「院長は多忙です。私が対応します」


「痛覚債権の監査に来ました」


「承知しています」


オルドは廊下を示した。


「では、帳簿室へどうぞ。もっとも、あなた方が期待するような違法性はありません」


帳簿室は、礼拝堂のようだった。


壁一面に、白い棚。


棚には革表紙の台帳ではなく、小さな炉心石が並んでいる。


それぞれの石に患者名、債務額、痛覚濃度、売却先が刻まれていた。


「これが帳簿ですか」


「痛みは紙に残すと劣化しますから」


オルドは誇らしげだった。


「当院では、痛覚記録を原本として保存しています」


セナが小声で言う。


「帳簿が泣いてる職場、初めて見ました」


「冗談に聞こえません」


「冗談じゃないです」


俊平は棚のひとつを見た。


ルカ・灰鐘。


残債: 銀貨0枚。

痛覚徴収: 継続中。

理由: 処置済み炉心石の品質保持。


「残債はゼロです」


オルドは首を傾げる。


「はい」


「なら、なぜ徴収が続いているんですか」


「品質保持です」


「支払いではない」


「支払いではありません。商品管理です」


ヘレナが息を呑んだ。


「弟は、もう借金を返してるんですか」


オルドは穏やかに答えた。


「債務としては完済です」


「じゃあ、どうして」


「一度炉心石処置に移行した患者は、施療材としての管理対象になります。残債とは別です」


ヘレナの顔から血の気が引いた。


俊平は台帳を見つめた。


ここだ。


債務ではない。


商品管理。


痛覚債権は表の仕組みで、患者を炉心石へ移した後は別の契約に切り替わっている。


「リゼットさん」


「記録しています」


「セナさん」


「複写しています。合法か違法かは知りませんが、嫌な匂いはしますね」


オルドが振り返る。


「複写は許可していません」


「では許可申請を後で出します」


「順序が逆です」


「よく言われます」


オルドの声が少し低くなった。


「あなた方は、医療を何だと思っているのです」


俊平は顔を上げた。


「人を治すものだと思っています」


「甘い」


オルドは初めて、感情を見せた。


「治療には資源が要る。薬草、魔力、術師、時間。誰かが払わねばならない。貧しい者を無料で治せば、施療院は潰れる。施療院が潰れれば、もっと多くが死ぬ」


「だから痛みを取ると」


「命を救うためです」


「救ったあとも痛みを取り続けている」


「施療材が不足すれば、次の患者を救えません」


俊平は言葉に詰まった。


理屈としては、わかる。


だから厄介だった。


ここにいる者たちは、ただ人を苦しめたいわけではない。


命を救うために、人の痛みを在庫にしている。


在庫にした時点で、その人を人として見なくなる。


その線を、俊平は何度も踏みかけている。


コーデックスが表示する。


オルド・セヴェル。

職能: 契約医、痛覚抽出、施療材管理。

救命実績: 高。

倫理摩耗: 87%。

隠し事: あり。


「隠し事」


俊平が呟いた瞬間、オルドの仮面がこちらを向いた。


「何か?」


「ルカさんを含む七人の炉心石処置は、誰の承認ですか」


「規定に基づく自動処理です」


「誰の承認ですか」


オルドは沈黙した。


リィンが耳を塞ぐ。


「鐘が、下から聞こえる」


「下?」


「この部屋の下。たくさんの人が、口を閉じられてる」


オルドの声が冷たくなった。


「見学はここまでです」


ナギが短剣に手をかける。


グレンはいない。


第十三工廠に残してきた。


ここにいるのは、俊平、リゼット、セナ、ナギ、サマラ、リィン、ヘレナ。


戦うには足りない。


だが、監査には足りる。


俊平は床を見た。


石造り。


だが一部だけ、わずかに温度が違う。


コーデックスが開く。


地下区画: 非公開。

用途: 痛覚成熟室。

入室権限: 院長、契約管理医、監査局医療契約課。


「痛覚成熟室」


オルドが一歩踏み出した。


「その表示を閉じなさい」


「嫌です」


俊平は台帳を開いた。


「緊急監査対象を追加します。第九施療院地下、痛覚成熟室」


「権限外です」


「未成年者の感覚資産化、完済後の商品管理、非公開地下区画。これだけ揃えば十分です」


「あなたは医療を壊す気ですか」


「違います」


俊平は言った。


「壊れている場所を、医療と呼ぶのをやめさせます」


床下から、低い鐘の音がした。


リィンが泣きそうな顔で言う。


「開けて。下の人たち、もう自分の痛みが誰のものかわからなくなってる」


オルドが仮面の下で息を吸う。


「警備を」


言い終わる前に、サマラの杖が床を叩いた。


「灰の組合、記録開始」


ナギが壁の警報紐を切る。


セナが棚の炉心石に通信水晶の破片を差し込む。


「映像、死者会計局と前線軍務局へ送ります」


リゼットが登録印を構える。


「管理官。地下区画の開示命令を」


俊平はペンを握った。


手首の黒い糸痕が熱を持つ。


黒炉が喜んでいる。


新しい痛みを見つけたからか。


それとも、俊平がまた帳簿を壊そうとしているからか。


「開示」


床が割れた。


白い石の下に、黒い階段が現れる。


そこから上がってきた匂いは、血でも薬でもなかった。


泣きすぎて乾いた喉の匂いだった。


オルドが静かに言った。


「見れば、戻れませんよ」


俊平は階段を見下ろした。


「もう戻れる場所はありません」


彼は降りた。


地下には、無数の透明な管が並んでいた。


管の中には人がいる。


生きている者。


死にかけている者。


もう死んでいるのに、痛みだけを抜かれ続けている者。


壁には大きな工程表があった。


痛覚成熟工程。


初期苦痛。


孤独化。


希望付与。


希望剥奪。


反復。


品質検査。


出荷。


俊平はその工程表を見て、息が止まった。


工場だ。


ここも工場だった。


患者を治す場所ではない。


痛みを育てる工場。


サマラが階段の途中で吐いた。


ナギは何も言わず、短剣を握りしめている。


ヘレナは膝から崩れ落ちた。


「ルカも、ここに」


リィンが震えながら首を振る。


「ルカさんは上。でも、同じ音がする。ここで作られた音が、石に入ってる」


俊平は工程表の前に立った。


コーデックスが表示する。


痛覚成熟工程。

歩留まり: 62%。

死亡率: 38%。

施療材品質: 高。

改善余地: あり。


最後の一行を見た瞬間、俊平は自分の中で何かが冷えるのを感じた。


改善余地。


ある。


確かにある。


苦痛の反復間隔を変えれば、死亡率は下がる。


希望剥奪のタイミングを調整すれば、品質は上がる。


食事と睡眠を最低限与えれば、長期採取できる。


その案が、一瞬で浮かんだ。


俊平は台帳を閉じた。


強く。


指が白くなるほど。


「管理官?」


リゼットの声がした。


「今、見ました」


「何を」


「ここを、もっと効率よくする方法です」


リゼットの顔が青ざめる。


俊平は続けた。


「だから、僕一人で判断してはいけない」


彼は壁の工程表へ赤い印を押した。


第十三工廠総監代理候補権限により、当該工程を即時停止。


停止理由。


人間を原料とした苦痛成熟工程。


医療目的からの逸脱。


未成年者および完済者の違法拘束。


管理官単独判断禁止規定に基づき、労働者監査席、死者会計局、前線軍務局の三者確認へ移行。


地下の管が一斉に鳴った。


警報ではない。


泣き声だった。


オルドが階段の上で叫ぶ。


「止めれば、施療材が不足する! 死ぬ患者が出るぞ!」


俊平は振り返った。


「記録します」


「何を」


「この工程を止めたことで死ぬ可能性がある患者の数も。ですが、それを理由に、ここを続けることは認めません」


「なら、代替案を出せ!」


その言葉に、黒炉が奥で笑った気がした。


代替案。


いつもそこへ追い込まれる。


止めるなら、代わりを出せ。


燃やさないなら、別の燃料を出せ。


苦しませないなら、別の治療材を出せ。


俊平は深く息を吸った。


「第十三工廠で引き受けます」


リゼットが叫んだ。


「管理官!」


「痛みを燃料にしない施療材の試作。黒炉燃料仮説の応用対象に追加します」


「期限は」


オルドが嗤う。


「施療材在庫は三日分だ。三日で代替品を作れなければ、あなたの停止命令で患者が死ぬ」


三日。


また三日だ。


コーデックスが表示する。


代替施療材試作。

期限: 72時間。

成功率: 11%。

失敗時死亡推定: 93名。

管理官責任範囲: 拡大。

人間性摩耗率: 16%。


俊平は笑わなかった。


笑えなかった。


「やります」


地下の管の中で、誰かが目を開けた。


その目は俊平を見ていた。


助けを求めているのか。


恨んでいるのか。


それとも、次の管理者を見ているのか。


わからなかった。


ただ、その視線で、俊平の後ろへ下がる場所がまたひとつ消えた。



ここまで読んでくださりありがとうございました。


第14話では、第九施療院の帳簿室と地下の「痛覚成熟工程」を描きました。


医療という名目で、痛みを資産化し、さらに品質を上げるために育てている場所です。


単純な悪役というより、救命のために必要だと信じている人間たちが、この仕組みを回しているところが今回の嫌な部分です。


俊平は工程を止めました。


ですが、止めただけでは終わりません。


代替の施療材を三日で作れなければ、今度は俊平の停止命令によって患者が死ぬことになります。


次回は、第十三工廠に戻り、痛みを使わない施療材の試作に入ります。


人を苦しめない治療を作るために、俊平がまたどこまで自分を削るのか。


第二部の最初の大きな工程が、ここから始まります。


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