第13話 隣の煙突
いつも読んでくださりありがとうございます。
今回から第二部に入ります。
第十三工廠は閉鎖を免れました。
けれど、それは「助かった」というより、黒炉都市全体の実験場として目をつけられたということでもあります。
俊平が掲げた黒炉燃料仮説。
誰かを燃やすのではなく、未処理の痛みや恐怖を記録し、整理し、別の燃料へ変えられないか。
その実験は、当然ながら第十三工廠だけでは済みません。
第13話では、隣の工廠から最初の火種が届きます。
「守る範囲が広がるほど、人間でいられるのか」
第二部は、その問いから始まります。
総監代理候補という肩書きは、朝礼の鐘より早く工廠に届いた。
誰かが正式に掲示したわけではない。
監査局の通達が来る前に、搬入口の荷札に書かれていた。
黒炉都市総監代理候補管理下。
第十三工廠宛。
俊平はその文字を見て、しばらく黙っていた。
「長いですね」
セナが横から覗き込む。
「肩書きって、伸びるほど責任だけ増えて給料は増えないんですよ」
「こちらの給料体系をまだ知りません」
「知ると傷つきます」
「では、しばらく知らないでおきます」
リゼットは通達を読みながら眉を寄せた。
「第九工廠から、未処理魂情報の移送要請です」
「未処理魂情報」
俊平は言葉を繰り返した。
自分が評議場で口にした仮説が、もう帳票上の項目になっている。
嫌な速さだった。
「第九工廠は何を作っているんですか」
グレンが低く答えた。
「施療用の炉心石だ。病院や軍医に回すやつだな。痛みを吸って、熱に変える」
「聞こえは便利ですね」
「便利なものほど、だいたい誰かが泣いてる」
ミルカが工具箱の上で膝を抱えたまま頷いた。
「第九の煙突、昨日からずっと変な音してる。泣いてるのに、泣き方を忘れてる感じ」
リィンは耳を塞いでいた。
「鐘が、途中で止まるの」
「止まる?」
「死ぬ鐘じゃない。助けてって鳴る前に、誰かが口を押さえるみたいに止まる」
俊平の背中が冷えた。
第九工廠。
施療用炉心石。
病院。
痛みを吸う石。
嫌な単語が、工程表のように並んでいく。
通達の末尾には、バルトロメウスの署名があった。
実験対象拡張の第一段階として、第九工廠の未処理魂情報を第十三工廠にて一時受領せよ。
なお、受領拒否は総監代理候補権限の放棄と見なす。
リゼットが紙を閉じた。
「罠です」
「最近、その言葉を聞く頻度が増えました」
「実際に増えています」
ナギが搬入口の壁にもたれて言った。
「行くのかい」
「受け取るだけなら、向こうから来ます」
「そういう荷は、だいたい自分で歩いてくるよ」
その言葉は、ほとんど予言だった。
昼過ぎ、第九工廠から荷車が来た。
馬も御者もいない。
鉄の車輪が勝手に回り、荷台には黒布をかけられた箱が三つ載っている。
門番が槍を構える前に、荷車は第十三工廠の門前で止まった。
黒布の下から、子供の咳が聞こえた。
誰も動かなかった。
グレンが斧を持ち直す。
「荷じゃねえな」
「はい」
俊平はゆっくり近づいた。
コーデックスが表示する。
移送品: 施療用炉心石 三基
状態: 過飽和
混入情報: 痛覚、恐怖、治療拒否記録
生体反応: あり
「生体反応?」
リゼットの水晶義眼が光る。
「開けます」
黒布を剥がす。
箱の中に入っていたのは、炉心石ではなかった。
いや、炉心石でもあった。
透明な石の内側に、細い腕が浮かんでいる。
その腕は、まだ動いていた。
ミルカが息を呑んだ。
「中にいる」
セナの顔から軽さが消える。
「施療石じゃない。これは、患者ごと石にしてる」
三つの箱のうち、一つが小さく震えた。
箱の側面に、管理番号が刻まれている。
第九施療院。
灰肺患者群。
処置区分: 痛覚吸収後、炉心石転用。
リゼットが低く言った。
「ヘレナの弟がいる可能性があります」
その名前で、周囲の空気が変わった。
ヘレナは第十一話のあと、監査下で鎮魂符を作っている。
彼女の弟は第九施療院に移したはずだった。
治療契約を、第十三工廠の医療補償へ移したはずだった。
俊平は台帳を開いた。
契約状態を確認する。
ヘレナ弟、ルカ。
医療補償: 第十三工廠負担。
移管先: 第九施療院。
現在状態: 不明。
不明。
その二文字が、ひどく軽かった。
「リゼットさん。第九施療院へ照会を」
「すでに送っています」
「返答は」
「ありません」
箱の中から、また咳が聞こえた。
リィンが耳を塞いで泣きそうな顔になる。
「違う。これは鐘じゃない。息を数えてる音」
「何人ですか」
「三つの箱で、たぶん、七人」
サマラが杖を突いて前に出た。
「管理官」
「はい」
「今度は、どこの帳簿に載せる」
俊平は答えられなかった。
人間として扱えば、すぐに救出しなければならない。
炉心石として扱えば、工廠の実験材料になる。
患者として扱えば、第九施療院との契約が必要になる。
被害者として扱えば、責任者を追わなければならない。
どれも正しい。
どれも足りない。
コーデックスが提案を出す。
推奨対応: 第九工廠へ返送。
理由: 管轄外、感染危険、契約不明。
俊平は、反射的にその表示を消した。
「受領します」
リゼットが振り向く。
「管理官」
「ただし、炉心石としてではありません。生存者として一時保護します」
セナが苦い顔をした。
「それ、向こうは絶対に契約違反だって言いますよ」
「言わせます」
「言わせてから殴るんですか」
「帳簿で」
グレンが少し笑った。
「剣じゃ勝てねえもんな」
「勝てません」
俊平は箱へ手を伸ばした。
その瞬間、箱の中の石が黒く光った。
痛みが流れ込む。
肺の奥が焼ける。
息を吸うたびに、針を飲み込むような感覚。
暗い病室。
白い仮面の施療師。
「治療費を払えない者は、痛みだけでも返せ」
子供の声。
「姉さん」
俊平は膝をついた。
リゼットが支える。
「見えましたか」
「ルカです」
ヘレナの弟の名を口にした瞬間、箱の中の腕が震えた。
返事のようだった。
工廠の中に運び込むと、ミルカが機械の音を聞き分け、リィンが呼吸の数を数え、セナが石化を遅らせる回路を組んだ。
ヘレナは呼ばれる前に走ってきた。
彼女は箱を見た瞬間、声を失った。
「ルカ」
箱の中の腕が、かすかに動く。
ヘレナは崩れ落ちた。
「私、ちゃんと働くって言ったのに。給与も補償も、全部そっちに回すって。なのに、どうして」
誰も答えられない。
答えは簡単だった。
第九施療院にとって、彼女の弟は患者ではなく、未払い分を含んだ資産だったからだ。
俊平は台帳を開いた。
第九施療院。
第九工廠。
監査局医療契約課。
ヴェイン商会施療材部門。
関係線が次々と浮かぶ。
その中心に、小さな表示があった。
痛覚債権。
痛みを借金として扱う仕組み。
治療を受けた者は、金で払えなければ痛みを渡す。
痛みは施療石に蓄えられ、軍医や貴族病院へ売られる。
払えない者ほど、長く苦しむ。
長く苦しむ者ほど、価値が高い。
サマラが吐き捨てるように言った。
「ひでえ帳簿だ」
俊平は頷いた。
「はい」
「燃やすより悪いね」
「はい」
「管理官。これは直せるのかい」
俊平は箱の中のルカを見た。
コーデックスが表示する。
救出成功率: 32%
第九工廠敵対化: 確定
医療契約課介入: 高
第十三工廠処分リスク: 上昇
そして、別の案。
痛覚債権の買い取り。
必要費用: 第十三工廠三か月分の医療予算。
成功率: 74%
長期影響: 同制度の追認。
買えば助かる。
だが、買えば認めることになる。
人の痛みに値札をつける仕組みを。
俊平は、ゆっくり息を吐いた。
「買いません」
ヘレナが顔を上げる。
「では、弟は」
「取り戻します。買うのではなく、契約を無効にします」
「できますか」
「今から、できる形にします」
リゼットがペンを構えた。
「根拠は」
「医療補償移管後の債権化。本人同意なし。未成年者の痛覚資産化。第十三工廠の管理下にある技能者家族への契約侵害」
セナが低く笑う。
「喧嘩を売る相手が増えましたね。医療契約課は監査局の中でも性格が悪いですよ」
「性格の良い部署をまだ見ていません」
「それはそう」
その時、搬入口の鐘が鳴った。
来客を告げる鐘ではない。
債権回収の鐘だった。
門の外に、黒い施療服の男たちが並んでいる。
先頭の男は、白い仮面をつけていた。
仮面の額には、第九施療院の印。
男は丁寧に頭を下げた。
「第十三工廠管理官、横村俊平殿。誤配送品の返還に参りました」
俊平は箱の前に立った。
「これは誤配送品ではありません」
「では、何と?」
「保護対象です」
白い仮面の奥で、男が笑った気配がした。
「痛みは、本人より先に契約されています」
「本人はまだ生きています」
「生きているから価値があるのです」
グレンが斧を握った。
ナギが短剣を袖から落とした。
サマラが杖を鳴らした。
リゼットが静かに言う。
「管理官。ここで手を出せば、医療契約課との武力衝突になります」
俊平は頷いた。
「手は出しません」
白い仮面の男が一歩進む。
「では、返還を」
「拒否します」
「根拠は」
俊平は台帳を掲げた。
「痛覚債権の監査開始。第十三工廠総監代理候補権限により、当該債権の有効性を審査します」
仮面の男の動きが止まった。
その一瞬で、俊平は理解した。
この権限は、罠だった。
だが、刃にもなる。
「審査中の対象は、移動、燃焼、売却、返送を禁止します」
「あなたに、その権限はまだありません」
「候補権限の範囲を確認してください。バルトロメウス卿の署名入りです」
リゼットが写しを差し出す。
白い仮面の男は文書を読み、仮面の下で舌打ちした。
「監査局は、また面倒な玩具を」
「玩具ではありません」
俊平は言った。
「人間です」
門の外で、黒い施療服の男たちが引いていく。
だが、勝ったわけではない。
白い仮面の男は最後に振り返った。
「三日です」
「何が」
「痛覚債権の審査期限です。三日以内に制度上の瑕疵を証明できなければ、保護対象は返還されます」
「証明します」
「できなければ」
男は箱を見た。
「その子たちは、よく燃えるでしょう」
門が閉じた。
ヘレナが箱にすがりついて泣いている。
ルカの腕は、石の中でわずかに動いていた。
俊平は台帳を見た。
新しい工程が浮かぶ。
痛覚債権監査。
期限: 72時間。
対象者: 7名。
制度関係者: 218名。
都市影響度: 上昇。
管理官人間性摩耗率: 15%。
数字がひとつ増えている。
俊平は、その数字から目を逸らさなかった。
隣の煙突から来た荷は、ただの荷ではなかった。
第二部最初の仕事は、痛みに値段をつける都市の帳簿を壊すことだった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
第13話では、第二部の最初の火種として、第九工廠と第九施療院を登場させました。
第一部では、第十三工廠の中にある事故や犠牲を中心に描いてきました。
第二部では、それが都市全体の仕組みとつながっていきます。
今回出てきた「痛覚債権」は、痛みそのものを借金として扱う制度です。
俊平はそれを買い取って解決するのではなく、契約の正当性そのものを壊そうとしています。
ただし、そのために総監代理候補という危険な権限を使いました。
権限は人を救う道具にもなりますが、同時に俊平を都市の管理者へ近づける鎖でもあります。
次回は、痛覚債権を無効化するために、第九施療院と監査局医療契約課の帳簿へ踏み込んでいきます。
第十三工廠の外側に広がる黒炉都市の仕組みを、少しずつ暴いていく第二部を楽しんでいただけたら嬉しいです。




