第11話 黒い発熱
いつも読んでくださりありがとうございます。
第11話は、前線から戻った第十三工廠に起きる「病」の話です。
戦場で俊平は兵士を救いました。
けれど、そのために甲冑と同調し、黒炉に少し近づいてしまいました。
今回、その代償が工廠内へ広がっていきます。
誰かを燃やせば、数字は良くなる。
では、燃やさずに済ませるためには、どんな罰を作ればいいのか。
今回は俊平の優しさではなく、優しさに似た管理欲の怖さにも触れていく回です。
前線から戻った翌日、第十三工廠で熱病が出た。
最初に倒れたのは、炉前班の若い作業員だった。額に汗を浮かべ、歯を鳴らしながら「寒い」と繰り返す。炉の前で働いているのに、毛布を三枚かけても震えが止まらない。
次に鎮魂室の見習いが倒れた。続いて灰洗い場、検査室、搬入口。
半日で二十七人。
発熱者の皮膚には、黒い細線が浮かんでいた。俊平の手首に残った糸痕と、よく似ていた。
リゼットが隔離区画の入口で言った。
「黒炉熱です。普通は炉心近くで働く者にだけ出ます」
「感染するんですか」
「本来はしません」
セナが険しい顔で検査器を覗く。
「本来は、ね。今回は違う。魔力じゃなくて、工程を伝ってる」
「工程?」
「同じ甲冑、同じ冷却液、同じ検査針。あと、管理官殿が前線で同調した甲冑のデータ」
俊平の手首が疼いた。
コーデックスが表示する。
黒炉熱変異株
感染経路: 修復糸記録、検査器具、恐怖共有
致死率: 18%
労働不能率: 64%
推奨対応: 感染者隔離、重症者炉心還元
「炉心還元って何ですか」
答えは表示された。
感染者を黒炉へ投入し、熱病の情報を燃焼処理する。
俊平は台帳を閉じた。
「却下」
「でしょうね」
セナは疲れたように笑った。
「でも時間がない。放置すれば明日には百人単位です」
サマラが隔離区画の中から怒鳴った。
「管理官、こっちにも聞こえてるよ。燃やすなら先に言いな。逃げるから」
「燃やしません」
「言葉だけなら前任者も上手かった」
「では、工程で示します」
俊平は床に大きな工程図を描いた。発熱者の所属、使った工具、通った場所、触れた製品、恐怖を感じた瞬間。コーデックスは人間を線と点に変えていく。誰が誰と接触し、どの道具を使い、どの記憶に触れたか。
隔離区画には、仕事を止められない者たちの苛立ちが満ちていた。
「俺が休んだら、炉前が回らない」
「子供に薬を持って帰らなきゃ」
「熱なんか毎日ある。今さら隔離だと?」
俊平は一人ずつ止めた。止めるたびに、生産見込みが下がる。工程表が赤くなる。納期遅延の警告が増える。
コーデックスは何度も同じ提案を出した。
軽症者の作業継続。
死亡率上昇 3%。
生産量維持 12%。
数字だけ見れば、悪くない取引だった。
軽症者を働かせれば、明日の納期は守れるかもしれない。重症化する者が数人出ても、工廠全体は助かる。
俊平は、その考えが自分の中に自然に生まれたことに気づいて、ペンを握る手に力を込めた。
「軽症者も隔離」
リゼットが確認する。
「生産量が落ちます」
「落とします」
「監査局に説明が必要です」
「説明します」
ナギが横から言った。
「あんた、今ちょっと迷ったね」
「迷いました」
「覚えとく」
「お願いします」
隔離された者の中には、トマの甲冑を改修した時に使った予備糸に触れた者もいた。俊平はその名を見るたび、胸の奥が重くなった。自分の判断が感染経路の一つになっている。
「管理官」
ミルカが袖を引いた。
「俊平のせいだけじゃないよ」
「そうですね」
「でも、少しは俊平のせいだよ」
「はい」
ミルカは困った顔をした。
「ごめんね。慰める言葉、うまくない」
「その方が助かります」
ミルカは首を傾げた。
「変なの」
変なのは自分だ、と俊平は思った。全部自分のせいではないと言われるより、少しは自分のせいだと言われる方が落ち着く。責任をゼロにされると、次に同じ失敗をする気がした。
それは便利だった。
あまりにも便利だった。
ナギがその図を見て、顔を歪めた。
「私ら、虫みたいだな」
俊平はペンを止めた。
「すみません」
「謝るな。必要なんだろ」
「必要です。でも、言われないと忘れます」
ナギは鼻を鳴らした。
「忘れたら殴る」
感染の中心は、前線から戻った甲冑ではなかった。検査室の記録針だった。セナが外部通信の証拠を送るために使った水晶回路に、ヴェイン商会の偽鎮魂符の残滓が混ざっていたのだ。
「マルタの置き土産か」
グレンが吐き捨てる。
リィンが耳を塞いだまま首を振った。
「違う。商会の音じゃない。もっと近い。工廠の中から、誰かが鐘を鳴らした」
裏切り者がいる。
その言葉は、誰も口にしなかった。
コーデックスが候補を出す。
内部協力者候補: 12名
最有力: 鎮魂師見習いヘレナ
動機: 弟の治療費、監査局からの密命
ヘレナは第七話の犠牲候補にも入っていた少女だ。十七歳。鎮魂符を作る技能があり、病気の弟を抱えている。
リゼットが言った。
「拘束しますか」
俊平はヘレナの情報を見た。
恐怖対象: 弟の死亡
罪悪感: 致死域
自首可能性: 低
逃亡可能性: 高
「呼びます」
ヘレナはすぐに来た。顔は青く、指先が震えている。彼女は俊平を見るなり、膝をついた。
「ごめんなさい」
「何をしましたか」
「監査局の人に、記録針を一本だけ差し替えろと言われました。弟を治す薬をくれるって。黒炉熱になるなんて知らなかった」
グレンが斧を握る。
「何人倒れたと思ってる」
ヘレナは泣きながら首を振る。
「わかりません。数えたくなかった」
コーデックスが処分案を出す。
ヘレナ処刑時効果: 労働者不満一時低下、感染鎮静なし
ヘレナ炉心還元時効果: 黒炉熱情報燃焼、感染拡大停止率 68%
まただ。
誰かを燃やせば、数字が良くなる。
俊平はヘレナの前にしゃがんだ。
「弟さんはどこに」
「第九施療院です」
「病名は」
「灰肺です。薬がないと、今月中に」
リゼットが小さく言った。
「第九施療院は監査局の管理下です。薬を餌にしたのでしょう」
俊平は息を吐いた。
「ヘレナさん。あなたには、感染源の特定と鎮魂符の再調整を手伝ってもらいます」
グレンが怒鳴った。
「おい!」
「処分はその後です」
「甘すぎる」
「今殺しても、感染は止まりません」
「理屈じゃねえ」
「理屈にします」
俊平の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
「怒りは後で処理します。今は熱を止める」
グレンは斧を下ろさなかった。だが、それ以上は言わなかった。
ヘレナの知識、セナの設備、リィンの鐘、ミルカの機械聴音を合わせ、俊平は隔離工程を組み直した。感染者を燃やすのではなく、恐怖記録だけを抜き出して空の炉心石へ移す。石は黒炉へ戻さず、死者会計局へ封印管理として送る。
処置は簡単ではなかった。
恐怖記録を抜くたび、感染者はその恐怖をもう一度見る。炉に落ちかけた瞬間、戦場で喉を縫われた瞬間、商会の地下で焼かれかけた瞬間。本人のものではない記憶まで混じっていた。
リィンは鐘の音で、どの記憶が誰のものか聞き分ける。
「これはサマラさんじゃない。もっと若い人。名前、ない」
リゼットが記録を探す。
「供物名簿の封鎖欄です。第八工廠から流れてきた灰かもしれません」
「第十三だけの病気じゃないんですね」
俊平の言葉に、ノアが頷いた。
「黒炉都市全体に同じ灰が流れています。あなたの工廠で症状が出たのは、隠していたものを掘り返したからでしょう」
「掘り返さなければ、発症しなかった」
「ええ。腐った床は、踏まなければ抜けません」
ノアは黒い算盤を鳴らした。
「ですが、踏まなければ下に落ちている死者も見えない」
ノア・フェルは呼ばれる前から来ていた。
「死者会計局は便利屋ではありませんが、監査局の不正記録なら喜んで預かります」
作業は夜通し続いた。発熱者のうわ言が隔離区画に満ちる。母を呼ぶ声、助けを求める声、許しを乞う声。俊平は一人ずつ名前を確認し、症状と処置を書いた。
途中で、サマラが目を覚ました。
「管理官」
「はい」
「私を数字にしたかい」
「しました」
「役に立ったかい」
「はい」
「なら、あとで名前も呼びな」
俊平は頷いた。
「サマラさん。必ず」
夜明け前、黒炉熱の拡大は止まった。死亡者はゼロ。重症者は五名。労働不能は続くが、工廠は閉鎖を免れた。
ヘレナは自分から拘束室へ入った。
「処分を受けます」
俊平は扉の前で言った。
「処分はします。ですが、処刑ではありません」
「では」
「弟さんの治療契約を、工廠の医療補償に移します。あなたは鎮魂符の監査下作成。給与の一部は被害者補償へ。逃亡したら弟さんではなく、僕が責任を取る」
ヘレナは泣いた。
グレンは納得していなかった。ナギも、サマラも、きっと完全には納得していない。
それでいい、と俊平は思った。
全員が納得する罰など、たぶん黒炉の餌にしかならない。
その夜、バルトロメウスから短い通達が届いた。
内部不正対応、確認。
管理官による処刑回避傾向、継続。
次回監査にて、代替罰則の有効性を検証する。
最後に、また手書きがあった。
あなたは優しいのではない。罰まで管理したいだけです。
俊平はその文を、否定できなかった。
隔離区画の灯りが落ちる頃、リゼットが温い薬湯を持ってきた。
「飲んでください。あなたも熱があります」
「僕は感染していません」
「手首の糸痕が広がっています」
俊平は袖をめくった。黒い線は手首から肘へ伸び、細い文字のように皮膚の下を走っている。
コーデックスは沈黙していた。
沈黙される方が怖い、と俊平は思った。
「記録してください」
リゼットは薬湯を机に置いた。
「症状を?」
「僕が、自分の変化を隠そうとしたことを」
リゼットの表情が少しだけ歪んだ。
「あなたは時々、自分を罰するために正直になります」
「そう見えますか」
「はい。だから、私は記録します。罰ではなく、警告として」
彼女は台帳の端に短く書いた。
管理官、黒炉適合進行。本人に隠蔽傾向あり。監視継続。
俊平はそれを見て、なぜか少し息が楽になった。
誰かが見ている。
それは信用ではなく、拘束に近い。
今の自分には、その方がありがたかった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
第11話では、黒炉熱という形で、前線・商会・監査局・工廠の歪みが一気につながりました。
ヘレナは明確に加害者ですが、同時に弟の命を人質に取られた被害者でもあります。
俊平は彼女を処刑せず、補償と監査下労働という罰を選びました。
ただ、それは単なる慈悲ではありません。
誰をどう罰するかまで仕組みに入れようとする俊平の姿は、少しずつ黒炉都市の管理者に近づいています。
次回はいよいよ第十二話。
第十三工廠だけでなく、黒炉都市そのものを相手にした大きな区切りの回になります。
俊平が人間のまま管理を続けられるのか、第一部の終着点として読んでもらえたら嬉しいです。




