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偽聖女と追放された真の聖女ですが、規格外の魔力が開花して氷の王に溺愛されています〜祖国が滅んでも絶対に戻りません~  作者: 黒崎隼人


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第2話「凍てつく森の孤独」

 鉄格子の嵌まった馬車の窓から見える景色は、どんよりとした灰色の雲に覆われていた。

 ガタガタと激しく揺れる車体は、リアナの衰弱した体を容赦なく叩きつける。

 硬い木製の座面に打ち付けられるたびに、背中に鋭い痛みが走るが、それを声に出す気力さえ残っていない。

 薄汚れた麻のワンピース一枚に着替えさせられた体は、隙間風に晒されて絶え間なく震えていた。

 喉は焼け付くように乾き、吐き出す息さえも白く濁っている。

 馬車の外からは、護送する兵士たちの下品な笑い声が聞こえてきた。


「あんなに偉そうにしていた聖女様も、今じゃこのザマか」


「本物の聖女様はミレイユ様だったってわけだ。こいつはただの疫病神だよ」


 彼らの言葉は、雨粒のようにリアナの意識に降り注ぎ、そのまま流れていく。

 もはや、怒りを感じる段階は過ぎ去っていた。

 ただ、自分の指先から力が失われていく感覚だけが、ひどく現実味を帯びて感じられる。

 やがて、馬車が止まった。

 扉が乱暴に開け放たれ、冷たい風が車内に流れ込む。


「降りろ」


 背中を蹴飛ばされるようにして、リアナはぬかるんだ地面に投げ出された。

 顔のすぐそばに、腐った落ち葉の匂いと、冷たい泥の感触が広がる。

 そこは、ソルスティス王国の北端に位置する、通称凍氷の森の入り口だった。

 一年中霧が立ち込め、一度入れば二度と戻れないと言われる呪われた場所。

 隣国への緩衝地帯でもあるが、その険しさと寒さゆえに、軍隊さえも近づかない禁域。


「これでお別れだ。せいぜい魔物に食われないようにな」


 兵士たちは汚れた唾を吐き捨てると、そそくさと馬車に飛び乗り、引き返していった。

 遠ざかっていく車輪の音が、静寂に包まれた森に虚しく響く。

 やがてその音も完全に消え、残されたのは、不気味なほどに静まり返った森の気配だけだった。

 リアナは震える手をつき、ゆっくりと身を起こした。

 足元の泥が、冷たい水を含んでじっとりと肌にまとわりつく。

 空を見上げても、重なり合った黒い枝葉が視界を遮り、光の一筋も見えない。

 風が吹くたびに、木々が低く唸るような声を上げ、彼女の細い肩を震わせた。

 一歩、足を踏み出す。

 枯れ枝を踏みしめる音が、鼓膜に嫌な響きを残す。

 空腹と寒さで、足元はおぼつかない。

 視界がチカチカと点滅し、立っているのか倒れているのかも分からなくなる。


『ここで終わってしまうの……?』


 そんな考えが頭をよぎるたびに、胸の奥に眠る前世の記憶が、熱を持って疼いた。

 あんなに理不尽な思いをして、あんなに踏みにじられて。

 ただ消えていくなんて、あまりにも。

 リアナは歯を食いしばり、感覚のなくなった指先を丸めた。

 森の奥へ、奥へと進む。

 どこへ向かえばいいのかも分からない。

 ただ、この冷たい場所から逃げ出したいという一心だけで、足を動かし続けた。

 岩肌を伝う氷水が、足の指の間をすり抜けていく。

 その痛烈な冷たさが、皮肉にも彼女の意識を繋ぎ止めていた。

 どれほどの時間を歩いたのか。

 周囲の霧はさらに濃くなり、数メートル先も見通せなくなった。

 肺に吸い込む空気は針のように鋭く、呼吸をするたびに胸の内に痛みが走る。

 不意に、森の奥から奇妙な音が聞こえてきた。

 それは、何かがもがくような、低く、か細い鳴き声。

 死を待つ者の断末魔にも似た、切実な響き。

 リアナは立ち止まり、その音に耳を澄ませた。

 普段の彼女なら、恐怖に駆られて逃げ出していただろう。

 だが今の彼女には、その声が、自分自身の悲鳴のように感じられた。

 崩れ落ちそうになる体を木の幹に預けながら、音のする方へと這うように進む。

 巨大なシダの葉をかき分けた先、小さな岩の陰に、それはいた。

 真っ白な、雪のような毛並み。

 しかしその体は、どす黒い血に染まり、力なく横たわっている。

 仔犬のようにも見えるが、その背中からは小さな翼の残骸のようなものが覗いていた。

 神獣。

 おとぎ話の中でしか聞いたことのない存在が、今、リアナの目の前で命の火を消そうとしている。

 リアナは思わず、その小さな体に駆け寄った。

 膝が泥に汚れようと、もう気にならなかった。

 冷え切った指先を、わずかに温かさの残る毛並みに這わせる。

 生きている。

 その確信を得た瞬間、リアナの心の中に、今まで感じたことのない激しい衝動が走った。


「……助けなきゃ」


 掠れた声が、自分以外の存在のために発せられた。

 リアナは自らの内に残された魔力を手繰り寄せた。

 国を維持するために酷使され、空っぽだと思っていた器の底に、まだ、わずかな雫が残っている。

 それは、彼女が聖女としてではなく、一人の人間として、目の前の命を守りたいと願った時に生まれた光だった。

 掌を神獣の傷口に当てる。

 微かな光が指先から漏れ出し、冷え切った森の空気を柔らかく押し広げた。

 傷口を塞ぎ、痛みを吸い取っていく。

 リアナの意識はさらに遠のき、視界は真っ白に塗りつぶされていく。

 それでも、彼女は手を離さなかった。

 自分の命を分け与えるような、無意識の献身。

 やがて、神獣が小さなため息をつき、ゆっくりと瞼を開いた。

 宝石のような青い瞳が、リアナを見つめる。

 その光景を最後に見届けると、リアナの体から完全に力が抜け、彼女は深い闇の中へと沈んでいった。

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