第1話「偽りの聖なる椅子」
登場人物紹介
◇リアナ
本作の主人公。前世の記憶を思い出した真の聖女。祖国では義妹の策略により能力を隠蔽され、無能な偽物として虐げられていた。追放された先の暗い森で隣国の王に拾われ、本来持っていた規格外の魔力を開花させる。控えめで心優しいが、理不尽には屈しない芯の強さを持つ。植物や大地の声なき声を感じ取り、癒やす力がある。
◇アルヴィド
隣国の若き王。氷のように冷たく整った美貌と、他者を寄せ付けない威厳を持つが、内面は非常に誠実で不器用なほどに優しい。過去の厄災によって荒廃していく自国を救う方法を模索する中でリアナと出会い、彼女の深い心の傷を包み込むように、惜しみない愛情を注ぐようになる。
◇ルティ
リアナが追放された森の奥で助けた、もふもふの神獣。普段は真っ白でふわふわとした愛らしい仔犬のような姿をしており、リアナにべったりと甘えて離れない。しかしその正体は、強大な魔力を秘め、周囲の気温すら支配する白銀の巨狼である。
◇ミレイユ
リアナの義妹。祖国でちやほやされる偽聖女。リアナが密かに施していた治癒や結界の力を自らの手柄として奪い取り、周囲をだまして聖女の地位に座る。虚栄心が非常に強く、常にリアナを見下して優越感に浸っている。
◇レオン
リアナの祖国の第一王子。ミレイユの涙ながらの嘘を鵜呑みにし、真の聖女であるリアナに婚約破棄と追放を突きつける。のちに自国の大地が枯れ、結界が崩壊していく光景を目の当たりにし、取り返しのつかない絶望と後悔を抱くことになる。
高い天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアが、無数の光の粒を大理石の床へと振りまいている。
その輝きは、選ばれた者だけを祝福する冷酷な光の雨のようだった。
視界の端で踊る埃の粒子さえも、ここでは金粉のように美しく見える。
しかし、床に膝をつくリアナの肌に伝わってくるのは、骨の髄まで凍えさせるような石の冷たさだけだった。
全身を包む重苦しい沈黙の中で、自分の心臓の音だけが耳元でうるさいほどに脈打っている。
ドクン、ドクンと早鐘を打つ鼓動が喉の奥までせり上がり、呼吸を浅く乱れさせた。
数分前まで、彼女の頭の中には霧がかかっていた。
ぼんやりとした意識の中で、ただ言われるがままに祈りを捧げ、蔑みを受け入れてきた日々。
それが、一瞬の火花のあとに弾け、鮮明な景色となって脳裏に広がったのだ。
前世と呼ばざるを得ない、全く別の世界の記憶。
鉄の塊が空を飛び、箱の中の光が情報を運び、人々が自由に言葉を交わす、喧騒に満ちた世界。
その記憶が、今のリアナの魂と一つに溶け合い、急激な熱を持って視界を塗り替えていく。
混乱する頭を強引に押さえつけるように、壇上から冷徹な声が降ってきた。
「リアナ・エヴァレット。貴様を偽聖女として告発し、この国から追放することを決定した」
その声の主は、ソルスティス王国の第一王子、レオンだった。
かつては、幼いリアナの手を引いて、庭園のバラの名前を教えてくれた少年。
今はその瞳に、燃えるような憎悪と軽蔑の色を浮かべて、彼女を見下ろしている。
彼の隣には、桃色の髪をふわふわと揺らした少女が、悲しげに瞳を伏せて寄り添っていた。
義妹のミレイユだ。
彼女の指先が、レオンの腕にそっと触れる。
その仕草は、か弱き乙女が恐ろしい真実に怯えているように、周囲の目には映るのだろう。
『ああ、そうか。私はずっと、あの子の引き立て役だったのね』
記憶が戻った今のリアナには、その光景が酷く滑稽で、吐き気を催すほどに透けて見えた。
ミレイユの口元が、わずかに吊り上がっている。
伏せられた睫毛の奥で、勝利を確信した嘲笑の光が、鋭く、深く、リアナの胸を突き刺した。
リアナが幼い頃から人知れず大地に注いできた魔力も、枯れかけた花に与えてきた慈しみも、すべてはミレイユの奇跡として横取りされていた。
リアナが真実を告げようとすれば、彼女は涙をこぼし、周囲の大人たちはリアナを妹の手柄を妬む醜い姉として罵倒した。
その積み重ねが、今日のこの断罪へと繋がっている。
「何か言い残すことはあるか。もっとも、偽物の分際で見苦しい言い逃れをすることは許さないがな」
レオンの声には、一片の慈悲も含まれていなかった。
彼の言葉は、研ぎ澄まされた刃のように冷たく、リアナの存在そのものを否定していく。
リアナは、震える唇を噛み締め、ゆっくりと顔を上げた。
視界が少しずつ、はっきりとしてくる。
王宮の空気は、香炉から立ち上る甘ったるい花の匂いと、大勢の貴族たちが放つ汗と欲望の匂いが混じり合って、息苦しい。
彼らの視線は、汚物を見るかのように、あるいは娯楽を楽しむかのように、リアナの背中に張り付いている。
誰一人として、彼女を助けようとする者はいない。
それどころか、彼女の没落を願うどす黒い感情が、会場の隅々までうごめいているのを感じ取った。
リアナは深く息を吸い込み、肺の中に冷たい空気を満たした。
喉の渇きが酷く、声を出そうとすると喉が張り付くような痛みが走る。
「……私は、偽物ではありません」
やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほどに細く、掠れていた。
その言葉を聞いた瞬間、レオンは顔をしかめた。
「まだ嘘を重ねるか! ミレイユが聖なる光で病を癒やしている間、貴様は何をしていた? 部屋に閉じこもり、気味の悪い呪文を唱えていただけではないか!」
レオンの激昂に伴い、周囲から失笑が漏れる。
リアナが部屋で行っていたのは、国を覆う結界を維持するための過酷な魔力調整だった。
そのせいで彼女の肌は青白く、指先は常に冷たくかじかんでいた。
だが、その事実を知る者はここにはいない。
いや、知ろうとした者さえいなかったのだ。
ミレイユが、レオンの胸元に顔を埋めるようにして、か細い声を漏らす。
「レオン様、もうおやめになって……。お姉様も、きっと魔力が足りないことがつらくて、あんなことを……」
その優しい言葉が、さらにリアナを追い詰める。
ミレイユの演技は完璧だった。
彼女が動くたびに、ドレスの刺繍に施された真珠が、いやらしく光を反射する。
リアナは自らの手を見た。
過度な魔力放出のために荒れた指先と、ところどころに滲む血の跡。
それが、彼女がこの国に捧げてきた真心のすべてだった。
だが、その手元さえも、今のレオンには汚らわしいものに見えるらしい。
「連れて行け。明日、国境の森へ捨てる。二度とその汚い顔を見せるな」
兵士たちの無機質な革靴の音が、背後から近づいてくる。
両腕を乱暴に掴まれ、床から引き剥がされる。
その衝撃で、結い上げていた髪が解け、視界が乱れた。
引きずられていくリアナの視界の端で、ミレイユがそっと口角を上げた。
それは、言葉よりも残酷な、勝利の宣言。
リアナは反論することをやめ、ただ静かに目を閉じた。
瞼の裏に、かつて見た前世の穏やかな夕暮れが浮かぶ。
この不条理な場所は、もう私の居場所ではない。
胸の奥で、何かが冷たく、そして鋭く冷え切っていくのを感じた。
それは、これまでこの国に向けていた最後の愛情が、完全に消失した音だった。




