第16話 フレアとグラキア(後編)
——子供の頃。
村の大人たちが、彼女の目を見て怯えた。
その瞳に宿る双炎は、忌むべき血の証。
「触るな」
「呪われる」
「あいつは魔の子だ」
教室でも。
家でも。
広場でも。
どこに行っても、同じだった。
石を投げられた日もあった。
食べ物を捨てられた日もあった。
泥水を浴びせられたこともある。
——唯一、近づいた少年がいた。
優しい笑顔で、手を差し伸べてくれた少年。
でも、その少年を——村人たちは彼女から引き剥がし、そして、こう言った。
"魔女に関わるな。死にたいのか"
少年は、二度と彼女に近づかなくなった。
人間が——何よりも嫌いになった瞬間。
***
(……思い出したら、気持ち悪くなってきたわ)
魔力の奔流の真ん中で、セリアーノがため息をつく。
「結局、人間なんて皆同じ」
彼女の声が、虚ろに響く。
「近づけば怯えて、遠くからは石を投げる。都合がいいときだけ力を求めて、用が済めば"化け物"扱い」
魔力が、さらに膨張する。
「だから私は証明したの。"焼かれたくなければ、私に跪きなさい"……って」
———ゴォォォォッ!!
空間が、震える。
炎熱が、周囲に発生する。
大気が膨張し、衝撃波が四方へ広がった。
カイレッドは、即座に理解した。
——これは、今までとは違う。フレアのさらに上位の魔法!!?
自身を媒介に魔力を暴走させる、完全な自爆術式。
術者も、対象も、周囲のすべてを焼き尽くす魔術。
「……正気じゃない!」
「正気?」
セリアーノが、笑う。
「近距離で私がフレアを使わないと思った!? 自分が爆散するのが怖いから、撃てないと思った!?」
瞳が、紅蓮に燃え上がる。
「——違うわよ。私はね……」
彼女の声が、愉悦に染まる。
「お前たちを道連れにする方が、ずっと気持ちいいのよ!!」
———ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
乾いた大地が、赤く焼けただれていく。
異常温度の衝突で、空気そのものが悲鳴を上げる。
魔力の奔流が、視界を歪ませる。
このままでは——爆発する。
半径数百メートルを焼き尽くす、大爆発が。
その時。
カイレッドは、静かに息を吐いた。
「……やっぱり、そう来ると思ったよ」
———ピタリ。
セリアーノの表情が、一瞬だけ驚愕に揺れた。
「何を——」
カイレッドは、地面に手を差し入れた。
アポート——特殊効果発動。
そこには、砂から突如出現した一本の短剣。
ダンジョンで手に入れた、魔獣スゥルガーの牙を加工した魔装ダガー。
カイレッドは、今まで一度もその存在を見せなかった。
存在を伏せるため、そしてセリアーノの魔力探知に引っかからないようにするため、携行すらしなかった。
なぜなら——
「ダンジョンで一度使っただろ。あの時、攻撃を防がれた」
カイレッドは、ダガーを逆手に握る。
「だから……今回は、あえて最後まで隠した。警戒されたら、意味がないからな」
そして。
セリアーノの杖へ向かって——投げつけた。
———ヒュッ……!!
短剣が、銀光を引いて直線の弧を描いた。
まるで意志を持った矢のように――魔力暴走の渦の中心へと、吸い込まれるように飛翔し――ガキィィィンッ……!!!
杖の魔結晶を、真正面から粉々に砕き散らした。
「――っ……!!?」
セリアーノの眼が、驚愕に見開かれる。
彼女の全身を駆け巡っていた膨大な魔力が、一瞬にして制御不能に陥った。
導管を失った魔力の濁流は、行き場を失い、内側から崩壊していく。
暴走は萎み――膨張し続けていた破滅の予兆が、みるみるうちに縮んでいく。
巨大爆発は、ただの魔力の散逸へと成り下がった。
しかし――たとえどれだけ威力が弱まろうとも、至近距離での余波は、決して無視できるものではない。
「……っぐ……ああぁっ……!」
カイレッドは両足を大地に食い込ませるように踏ん張り、砕け散る衝撃波に肩を押されながらも――それでも、立ち続けた。
全身に叩きつけられる圧力。
皮膚を焼く熱波。
それでも彼は、ただの一歩も後退しなかった。
足が、軋む。
筋肉が、悲鳴を上げる。
それでも――倒れない。
ごおぉぉぉ……
爆風が、ようやく収まった。
舞い上がった砂塵が、ゆっくりと地面へ降り注ぐ。
そこに立っていたのは、息を荒げながらも倒れることのないカイレッド――そして膝をつき、既に意識を朦朧とさせているセリアーノの姿だった。
「うっ……ヒッ……」嗚咽とも悲鳴ともつかないか細く短い声。
カイレッドは彼女に歩み寄り――そっと、その頭を押さえつける。
「安心しろ……こっちは捕まえさえすればそれでいい」
低く、静かな声。
「でも――」
拳を、ゆっくりと握りしめる。
「寝てろ」
ごつん。
軽く――※カイレッド基準で軽い――頭頂部を叩いた。
その瞬間、セリアーノの瞳から光が消え、完全に気絶した。
糸が切れた人形のように、彼女の身体が地面へ崩れ落ちる。
――しん。
炎も氷も消え去った荒野に、静寂が戻ってきた。
焦げ跡と氷の欠片の中、カイレッドはただ一息ついた。
肩で呼吸をしながら、戦いの終わりを噛みしめるように――ゆっくりと、空を仰いだ。
***
沈みゆく夕陽が荒野を淡い橙に染め上げていく。
その光の中で、砕け散った氷片が無数のプリズムとなって煌めき、黒く焼け焦げた大地には戦いの爪痕が深々と刻まれていた。
まるで、ここで繰り広げられた激戦の一部始終を物語るかのように――大気にはまだ、魔力の残滓が微かに漂っている。
ティアナは、ゆっくりと深く息を吐いた。
ふぅ……。
緊張の糸が、ようやく解けていく。
彼女の手の中には、先ほどディルルカンから奪還したばかりの魔結晶――その中心部に無理やり打ち込まれた《守種の楔》が握りしめられている。
冷たく、硬質な感触が掌に残っていた。
そして彼女の肩には、砂埃と汚れにまみれたピリトがちょこんと乗っている。
小さな身体を震わせながら、疲労困憊といった様子で羽根を畳んでいた。
「……終わった、んだよね?」
ティアナが呟くように問いかける。
その声には、まだ信じきれないような、けれどどこか安堵を含んだ響きがあった。
「ティアナ〜……もう飛べない……眠気が、限界……」
ピリトが力なく答える。
ティアナはくすりと笑いながら、優しく頭を撫でてやった。
すると、ピリトは目を細めて――まるで甘える小動物のように――ティアナの頬へとすり寄ってきた。
ぴとっ。
温もりが伝わってくる。
そこへ――。
ざく、ざく、ざく……。
遠くから砂を踏みしめる足音が聞こえ、黒い影が二つ、夕陽の中からゆっくりと近づいてきた。
一人は、マントの裾を盛大に焦がし、全身に戦いの痕跡を刻んだカイレッド。
もう一人は――カイレッドの肩にぐったりと担がれ、完全に気を失ったセリアーノ。
「ティアナ、無事でよかった!」
駆け寄るカイレッドの声は少し掠れていたが、安堵と喜びが入り混じった声色で響いた。
ティアナも思わず表情を綻ばせる。
「カイレッドこそ全身ボロボロじゃん。敵の魔女、すっごい強かったでしょ?」
「まあ……ちょっとだけね」
言葉とは裏腹に、その"ちょっとだけ"が大嘘であることを、ティアナはすぐに悟った。
カイレッドの袖は黒く焦げ、肩口には薄く氷が張り付いている。
おそらく、熾烈な魔法戦を繰り広げたのだろう。
その痕跡が、彼の身体にはっきりと刻まれていた。
(まさかカイレッドのやつ、耐久ゴリ押しで本当に勝つとは……)
ピリトがじっとカイレッドの腕を見つめ、小声でぼそりと囁いた。
「……脳筋め……」
「聞こえてるよ、ピリト」
カイレッドが苦笑しながら返す。
その瞬間――ティアナもピリトも、そしてカイレッドも――思わず笑い声を漏らした。
ふっ、と緊張が解けていく。
そして、その笑い声が途切れかけた、まさにその時だった。
ざざざざっ!
今度は砂煙を激しく上げながら、二つの影が全力で走ってきた。
「――おーい! お前たち、無事だったか!」
前衛を務めるセフィラスが、重装備にも関わらず驚くべき速さで駆け寄ってくる。
その後ろからは、大きな杖を支えながらブリクスが必死に追いついてきた。
息を切らしながらも、その表情には確かな安堵が浮かんでいる。
「おお、揃ってるじゃないか。……って、そいつはまさか――」
セフィラスの鋭い視線が、カイレッドの肩に担がれたセリアーノへと釘付けになった。
彼の表情が、一瞬にして険しくなる。
「"竜の鉤爪"の魔女、セリアーノか。王都で悪い噂はいくつも聞いたが……まさか例のマント女の正体がそいつだったとはな」
ブリクスが、ふん、と鼻を鳴らした。
その声には、軽蔑と怒りが滲んでいる。
「逆賊に成り果てた連中だよ。竜王宮に突き出せば、きっちり裁かれるだろうさ。王宮の牢獄で、罪の重さをたっぷり噛みしめればいい」
カイレッドは少し複雑そうに視線を落とした。
ティアナも静かに頷く。
しかし――二人が肩を並べて立つその姿には、今日の戦いの中で生まれた確かな信頼が宿っていた。
言葉にせずとも、互いを認め合う空気が流れている。
「……ねえ、カイレッド」
ティアナが口を開いた。
「ん?」
「今日……すごく心強かった。ダンジョンの時もそう。とても頼りになった……ありがとう」
ティアナが微笑む。
その頬は、夕陽のせいだけではない、ほんのりとした赤みを帯びていた。
カイレッドは一瞬だけ言葉に詰まり――それから、少し照れくさそうに視線を逸らしながら答えた。
「お互いさま。ティアナが無事で……本当に、よかったよ」
その言葉には、偽りのない安堵が込められていた。
ピリトがティアナの肩で、くすくすと笑いながら小さな声で呟く。
「……お似合い……」
「ピリト!? 聞こえてるってば!」
ティアナが慌てて声を上げる。
その反応に、セフィラスもブリクスも――そしてカイレッドも――思わず笑い声を上げた。
ははは、と。
重苦しかった空気が、ゆっくりと、けれど確実に晴れていく。
戦いの緊張が、ようやく解けていく。
やがてセフィラスが空を仰ぎ、今まさに地平線へと落ちゆく夕陽に向かって、力強く言った。
「さて……全員揃ったな。帰るぞ。竜王宮が、俺たちを待ってる」
その言葉に、全員が頷く。
カイレッドはセリアーノを背負い直し、ティアナはピリトを優しく抱きかかえ、仲間たちはそれぞれの足取りで歩き出した。
長い、長い一日の終わり。
荒野を渡る風だけが、優しく――まるで労うかのように――彼らの背中を押していた。




