第13話 ディルルカンとセリアーノ
オールド・アーケイン・タワー地下深くのダンジョンでの一件から——既に一週間が経過していた。
夕刻の陽が、王都の路地裏を斜めに切り裂いている。
石畳に刻まれた影が長く伸び、建物の隙間を這うように広がっていく。
商店の明かりが灯り始め、遠くから晩鐘の音が聞こえてくる。
その喧騒の中を——一人の女が、静かに歩いていた。
セリアーノ。
黒いフード付きマントを深く被り、髪と顔を完全に隠している。
その足音は驚くほど静かで、周囲の雑踏に完璧に溶け込んでいた。
足音は静かに。
気配は殺して。
周囲に溶け込むように——注意を引かぬよう、細心の注意を払いながら。
王都の喧騒が、耳に届く。
商人の呼び声。
子供の笑い声。
馬車の車輪が石畳を叩く、規則的な音。
それらすべてが——彼女の耳には、雑音にしか聞こえなかった。
思考は、別の場所にある。
(……一週間)
セリアーノの思考が、暗く渦を巻く。
(あのダンジョンから、もう一週間も経ったのね)
脳裏に——鮮明に蘇る光景がある。
***
——ダンジョンの最深部。
古代遺跡の崩れかけた祭壇。
薄暗い空間に、淡い魔力の光が揺れていた。
そこに安置されていた、古代魔装置——「守種の楔」。
——そして。
そこで再会した、かつてパーティにいた荷物持ちの青年。
カイレッド。
(……あのお荷物が)
セリアーノの眉間に、深い皺が刻まれる。
ダンジョンでの——一瞬の戦闘。
守種の楔を巡って、カイレッドと対峙した。
カイレッドのあの動きは、明らかに荷物持ちのそれではなかった。
セリアーノの歯が、ギリッと音を立てる。
苛立ちが、胸の奥で激しく渦巻く。
(次に会ったら——必ず、叩き潰してやる)
暗い決意が、胸の内で燃え上がる。
***
(それにしても——ディルルカンのやつ)
思考が、今日これから会う相手へと向く。
ディルルカン。
竜の鉤爪——竜を狩り、その力や地位を奪い取ることを目的とする秘密組織の工作員。
そして、セリアーノの同胞。
「守種の楔」の術式を抽出した張本人であり、セリアーノの——一応の"協力者"。
内心で、冷笑が浮かぶ。
(あんなクソ野郎と組んでること自体に、虫唾が走る)
ディルルカンは傲慢で、軽薄で、他人を駒としか見ていない。
魔法使いとしては素質に恵まれているのだろう。
実際、術式解析の腕は一流だ。
しかし、その性格は最悪だった。
常に上から目線で、セリアーノを"道具"以下としか扱わない。
(毎回毎回、事あるごとに「お前の魔力はレベルが低い」だの「魔女族の血は便利だが薄気味悪い」だの——)
苛立ちが、さらに募る。
(結局、あいつも同じ。私を"魔女"としてしか見てない)
人間たちと、何も変わらない。
利用価値があるから近づく。
用が済めば、捨てる。
(……最低)
でも——今は我慢するしかない。
(おそらく術式の完成には、まだあいつの守種の楔が必要。使えるものは使う。それだけ)
セリアーノは、自分にそう言い聞かせた。
(終わったら——もう二度と会わない)
そう心に決めて、彼女は目的地へと足を進めた。
王都の外れ——荒野に続く街道を抜けた先。
人の気配が途絶え、風だけが吹き抜ける場所。
乾いた大地が広がり、遠くに見える山脈が夕日に染まっている。
その荒野の真ん中に——古びた廃屋が、ぽつんと建っていた。
壁は崩れかけ、屋根には大きな穴が開いている。
窓枠は朽ち果て、木材が白く変色している。
扉は半分外れ、風に煽られてきしむ音を立てていた。
誰も近づかない。
誰も気にしない。
だからこそ——密会には最適な場所。
セリアーノは、廃屋の近くまで来ると、フードを少しだけずらして周囲を確認した。
瞳が鋭く光る。
魔力を研ぎ澄まし、気配を探る。
人の気配は——ない。
魔力の反応も——ない。
(よし——)
彼女が廃屋の入口に足を踏み入れた——その瞬間。
「遅いぞ」
声が、響いた。
低く、冷たい声。
廃屋の奥——崩れかけた梁に寄りかかるように、ディルルカンが立っていた。
黒いローブに身を包み、フードの下から鋭い目つきが覗いている。
そして——その口元には、嘲るような笑みが浮かんでいた。
「待たせたわね」
セリアーノは、冷たく返す。
「尾行されてないか確認してたのよ。用心するのは当然でしょう?」
「ふん——」
ディルルカンが、鼻で笑う。
「慎重なのは結構だが——」
そして——その表情が、一瞬だけ鋭くなった。
「……お前、つけられてるぞ」
「——え?」
セリアーノの思考が、一瞬止まる。
次の瞬間——彼女の影が、不自然に揺らめいた。
「!!」
———ビリビリッ……
影の中から——小さな魔力の塊が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
それは、淡い青白い光を放ちながら——まるで生き物のように蠢いていた。
チェイサー(追跡者)——対象の影に潜み、位置を逐一報告する索敵魔術。
「くそっ——!まさかあのダンジョンの時に……!!」
セリアーノが反応するより早く——ディルルカンの指先から、黒い魔力の刃が放たれた。
———シュッ!!
一瞬の閃光。
———ズバァッ!!
チェイサーが、真っ二つに切り裂かれた。
魔力の残滓が霧散し、空気に溶けて消えていく。
淡い光の粒子が、風に流されて消えた。
「……ちっ」
ディルルカンが、舌打ちする。
「やはりな。ヤツら、まだ諦めてないらしい」
「どういうこと——」
セリアーノが言葉を続けようとした——その瞬間。
———ドガァァァンッ!!
轟音とともに——廃屋の屋根が、爆発的に砕け散った。
「!!?」
破片が、四方へ飛び散る。
木材が、石が、土煙が——まるで爆発したかのように散乱する。
夕日を背景に、無数の破片が舞い上がる光景は、一瞬だけ美しささえ感じさせた。
そして——その中心から、巨大な影が落ちてきた。
「——うぉおおおおっ!!」
咆哮とともに——巨大なバスターソード(大剣)が、真上から振り下ろされた。
刃渡り二メートル近い、鈍色に輝く大剣。
その刀身は分厚く、重厚で、まるで鉄の塊を振り回しているかのよう。
その切っ先が——セリアーノとディルルカンの二人をめがけて、一直線に叩き込まれる。
「——ッ!!」
二人の魔法使いは、咄嗟に左右へ跳んだ。
セリアーノは右へ。
ディルルカンは左へ。
次の瞬間——
———ズガァァァァンッ!!
地面が、両断された。
いや——両断どころではない。
完全に、分断された。
大剣が地面に突き刺さった瞬間、衝撃波が四方へ広がり——地面に巨大な亀裂が走る。
石が砕け、土が抉れ、廃屋の土台ごと真っ二つに割れた。
———ゴゴゴゴゴッ……
地響きが続く。
亀裂は廃屋の壁を這い、柱を伝い、建物全体を揺るがした。
土煙が、もうもうと舞い上がる。
破片が、雨のように降り注ぐ。
そして——その中心に、一人の男が立っていた。
「おいおい、敵さん思ったより気付くの早いじゃねぇか」
軽い口調。
しかしその目は——鋭く、敵意に満ちている。
セフィラス。
カイレッドの仲間——前衛を担当する剣士。
金色の髪を無造作に揺らし、その瞳には獰猛な光が宿っている。
「くそ、新手か……!!」
セリアーノが、歯噛みする。
セフィラスが、大剣を地面から引き抜き——肩に担ぎ上げる。
その視線がディルルカンへと向く。
「随分と派手な登場だ。だが——」
ディルルカンの指先に、魔力が集まり始める。
黒い魔力の渦が、その手に収束していく。
「こっちは遊びに付き合ってる暇はない」
「遊び?」
セフィラスが——ニヤリと笑った。
その笑みは、まるで獲物を見つけた獣のよう。
「じゃあ、本気ってやつを見せてやるよ」
次の瞬間——彼の背後、廃屋の外から——声が響いた。
「《強靭付与》!!」
———ゴォッ!!
魔力の奔流が、セフィラスを包み込む。
発動したのはブリクス——後衛を担当する魔術師の声だ。
力の魔法——対象の筋力、速度、防御力を飛躍的に向上させる強化魔術。
戦士系の職業にとって、最も頼りになる支援魔法の一つ。
「おっしゃ——来たぁ!!」
セフィラスの身体が、淡い光に包まれる。
筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。
魔力が全身を駆け巡り、力が——溢れ出す。
空気が、震える。
彼の周囲だけ、まるで熱気が立ち昇っているかのよう。
「行くぜ——!!」
彼が、地面を蹴った。
———ドガァッ!!
地面が、陥没する。
蹴った場所に、クレーターのような穴が開く。
石が砕け、土が舞い上がる。
次の瞬間——セフィラスの姿が、掻き消えた。
「——!?」
ディルルカンが、目を見開く。
速い。
速すぎる。
気づいた時には——もう、目の前にいた。
「遅ぇんだよ!!」
セフィラスの拳が——素手で、ディルルカンの腹部へ叩き込まれた。
———ドゴォォォンッ!!
鈍い衝撃音が、荒野に響き渡る。
空気が、爆発的に弾けた。
ディルルカンの身体は——文字通り、吹き飛んだ。
悲鳴すら上げる間もなく——彼の身体は、弾丸のように後方へ飛ばされる。
十メートル——
二十メートル——
三十メートル——
そのまま、荒野の彼方へ消えていった。
見えなくなるまで。
「……お、おお?」
セフィラス自身が、思わず呆然とする。
自分の拳を見つめ、それから遠くに消えたディルルカンの方向を見つめ——
「やっべ——飛びすぎた?」
間の抜けた声が、漏れた。
「セフィラス、加減しろって言っただろ!? 吹き飛ばす方向は合ってたけど——」
背後から——ブリクスの怒声が響いた。
廃屋の外から、杖を持った魔術師が姿を現す。
青いローブに身を包み、金縁眼鏡をかけた青年——ブリクス。
その表情は、明らかに呆れていた。
「大丈夫大丈夫、あいつ魔術師だし、防御魔法くらい咄嗟に使えるって」
セフィラスは、明後日の方向を眺めながらガハガハと笑った。
「そんな心配はしていない……」
ブリクスが、ため息をつく。
それから、何かに気が付いたように——ハッとして叫んだ。
「もう一人の魔女の方は!?」
「——え?」
セフィラスが、慌てて振り返る。
しかし——そこには、もう誰もいなかった。
セリアーノの姿は——完全に消えていた。
廃屋の中も、外も。
どこを見ても、魔女の姿はない。
「……ちっ」
セフィラスが、舌打ちする。
「逃げられたか」
大剣を肩に担ぎ直し、荒野を見渡す。
しかし、もう彼女の気配はどこにもない。
「だがまあ——」
セフィラスが、ニヤリと笑った。
「カイレッドならなんとかするだろ。アイツはやる時はやるヤツだぜ」
その言葉に、ブリクスは何も言わず——ただ、遠くの荒野を見つめた。
夕日が、さらに西へ傾いている。
風が、乾いた音を立てて吹き抜けていった。




