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ジャムで目覚めの一杯 ― 秋山亮一教授推理探偵物語 ー  作者: マーたん


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雨音の迷路

紅茶は、心を映す鏡だと言う。

 渋みは苦悩、香りは希望、湯気は揺れる未練。

 そして、飲み干した底にこそ、真実が沈んでいる。


 本作では、秋山亮一教授と山平の二人が、学内に潜む「静かな狂気」と対峙する。

 派手な銃撃も、派手な犯人追跡もない。

 あるのは、静かな会話と、温度差のある紅茶の湯気。

 そこに、記憶と嘘と信頼の揺らぎが滲む。


 人は、何を信じ、何を忘れ、何を守るのか。

 紅茶の底に沈んだ記憶が、いま静かに浮上しようとしている。


 どうぞ、じっくり味わっていただきたい。

雨音の迷路 — Echoes in the Haze —


秋山亮一教授は、夜の霧に包まれた歩道を進んでいた

細かな雨が街灯に触れ、無数の光の粒となって漂う

小早川警部が傘を差し、横を歩く渚はフードを深く被る


「静かですね……」

渚が囁く


「霧の日の街は、音が隠れるのです」

秋山は穏やかに答え、足を止めた


降りしきる雨の向こう

古いレンガ造りの建物が現れる

そこはかつて、高名な香料研究家が暮らしていた邸宅だった


小早川が低く言う

「ここで……奇妙な“匂いの消失”があった」


「匂いの、消失……?」

渚が眉をひそめる


秋山は、慎重に扉へと手を伸ばした

「香りは記憶そのもの。意図的に消すとしたら——」


扉が軋む

古い木の匂い

そして、何も香らない空気


渚は思わず手を口元に当てる

「……何も、感じない。空気が、死んでるみたい」


秋山は深呼吸し、目を細める

「香りが無いという香りです。異常な静寂の気配」


邸内は、家具が整然と並び、埃一つない

だが

花瓶の中の薔薇が、枯れていないまま萎れていた


渚が震える声で言う

「生きてるのに、息を止められたみたい……」


秋山は膝を折り、薔薇の根本に指を触れた

手袋越しでもわかる異様な冷たさ


「——冷香剤です。香りの分子を凍らせ、空気から隔離している」


小早川が目を見開く

「そんなものが現実に——」


「存在します。

 ですが、使用目的は限られる」


秋山は立ち上がる

「記憶の封印、または隠匿」


その瞬間

フロアの奥からかすかな鈴の音が響く


渚が反射的に秋山の袖を握る

「だ、誰かいます……」


秋山は柔らかく微笑む

「恐れる必要はありません。

 恐れは香りを鈍らせます」


鈴の音はゆっくり近づく

霧のように白い影が、廊下の向こうから現れる


長い黒髪

白いワンピース

手には金の小さな鈴


「あなたは……?」渚が声を震わせる


影は立ち止まり、囁く


「思い出したく、ないの」


冷たい風が吹き抜け

ランプの炎が揺れる


秋山の瞳が鋭く光る

「香りを消すのは、苦痛を消すためですか」


影は震え、鈴を胸に押し当てた

「忘れたいの……雨の日の、あの人の声も……」


渚の目に涙が灯る

「苦しいなら、誰かを呼んでも——」


「ダメ」

影は顔を覆い、声を震わせる

「覚えていたら……壊れるから……」


秋山はゆっくりと歩み寄る

まるで壊れ物に触れるように


「香りは、逃げ道ではありません

 それは、未来へと繋がる道です」


影の肩が震え、鈴が落ちる

金属音が澄んで響き、霧がわずかに晴れた


秋山はそっと手を差し出す

「一緒に、思い出しましょう」


影は涙のにじんだ瞳で秋山を見つめ——


「……こわい」


秋山は静かに答える


「怖さを知る人だけが、前へ進めるのです」


影はひっそりと頷き

その身体がゆっくりと静寂にゆらめき


そして——

霧とともに、消えた


残されたのは、鈴の余韻と

微かに戻り始めた、薔薇の香り


渚は震える声で言う

「教授……あれは……」


秋山は鈴を拾い、優しく答える

「香りが消えたわけではありません

 心が取り戻すのを待っていただけです」


外では、雨が止み始めていた

迷路の出口が、遠くで光り始める


—続く—

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 日常の中で起こる「違和感」を、少しずつ紐解いていく物語。

 銃声も叫び声もない代わりに、

 眉の動き、湯気の揺らぎ、沈黙の間。

 その一つひとつに、事件の輪郭を浮かび上がらせています。


 秋山教授は追い詰めるために推理するのではなく、

 理解するために推理する人物です。

 それが時に救いとなり、時に残酷にもなる。


 紅茶の温度が下がるとともに、事件もまた冷静さを帯びていく。

 その過程が楽しんでいただければ幸いです。


 次章では、さらに過去の影が深く伸び、

 「忘れたい記憶」と「忘れてはいけない真実」が交錯します。


 またお会いしましょう。

 ――蒸気の向こうで…。

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