未沫の香り
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第5章 未沫の香り ― When Leaves Refuse to Sink ―
紅茶の表面に、ひとひらの茶葉が浮かんでいた
沈むことも、逃げることもせず
ただ静かに、時を止めるように
その光景を見つめながら、秋山亮一教授は指先でカップの縁をそっとなぞる
吸い込む息には、不思議と緊張と懐かしさが混じっていた
対面の席
北園慎吾が、無言の表情を崩さない
「沈まない茶葉なんて、気味が悪いと思うか?」
慎吾が低く言う
秋山は目を伏せ、静かに応じた
「沈むべき時を、自分で決めたのかもしれない」
「……それは、あの子もか?」
静寂が落ちる
茉凪の名前は出さない
だが、互いにその名を心で呼んだことは否定できなかった
そこへ軽やかな声が差し込む
「教授、やっと見つけました!」
勝手口から入ってきたかのような明るさで、助手の翠山渚が姿を見せた
彼女は状況に一瞬目を丸くし、すぐに空気を読む賢さで黙る
「邪魔したか」慎吾が立ち上がる
「いずれ、続きをしよう」
そう言い残し、外気へと消えていく
渚が席に腰を下ろし、控えめに教授の顔を覗いた
「……さっきの人、昔の知り合いですか」
「ええ、少し因縁がありまして」
秋山は柔らかく微笑むが、目にかすかな影が宿る
渚は察し、話題を変えるように小さく息を吸う
「教授、今日の依頼内容ですが——」
「その前に」秋山は声を切る
「渚君、浮かんだままの茶葉をどう思いますか?」
渚は目を瞬かせ、考える素振りを見せる
そしてゆっくりと言った
「沈むって、負けみたいです
でも浮くって、逃げてるみたい
だから……止まってるんじゃなくて
“待ってる”んだと思います」
秋山の指が、銀のスプーンの上で止まる
渚は静かな表情でトレーを抱え続ける
「葉が沈むときって……」渚の声が細くなる
「心が決まった時ですから」
秋山は、ほとんど聞こえない声で呟く
「……いい答えです」
その時
店の入り口で突然、硬い靴音が響く
「秋山教授、よろしいか」
小早川警部が立っていた
コートの袖口から滴る雨粒
そしてその顔には、深刻な影が差していた
「また、香りの事件です」
秋山は静かに立ち上がり、微笑む
「渚君、 coats を」
「はい、教授」
店の扉が開く
冷たい風が吹き抜け、紅茶の香りがわずかに揺れる
沈まない葉は、まだそこに浮かんでいた
まるで、結末を拒むように
秋山は一度だけそれを見つめ ——
「……行きましょう」
紅茶は、まだ終わらない
***
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