#73 差し伸べられた手
「くっだらねぇぜ」
もはや懐かしくすら感じ、誰よりも聞きたかったその声は……私の耳に、胸の奥に沁み込むように届いた。
「ノエさぁ……今、諦めたろ? 今まで俺と過ごしてきた濃密な日々はなんだったんだよ?」
私と東條カゲハルの間に割り込むように、アルムは虚空より一瞬にして現れていた。
義弟はしゃがみこむと、私の瞳を真っ直ぐ見つめて首をかしげる。
「いや魔術具の所為で日和ってんのか、そんじゃしゃーないか」
私は夢見心地のような感覚の中で、ポンポンッと頭を撫でられながら、これが現実なのだと込み上げていた涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「は……? なんだお前、なぜここが……どうやってここに!?」
「俺を拒める場所なんざ、この宇宙に存在しねぇよ」
東條カゲハルに背を向けてしゃがんだまま、アルムはそう答えた。
「このッ──不届き者がァ!!」
振り下ろされた鋭い針の束が、アルムの後頭部に突き刺さる──も、それは傷一つつけることなく止まっていた。
「──っ!?」
異常な状況に東條カゲハルは、その場から飛び退って距離をとる。
そして刻印を彫る為の道具ではなく、明確に武器として──棘がついた棍棒を手に取った。
「お、おぉぉぉおおお!! まじ? 助かった……? あたしの祈りが届いた! 日頃から徳をめいっぱい積んでたから!! だれだか知らないけどありがとうございます!!」
「あ──?」
「へっ……」
振り返ったアルムはメイと視線が合い、先に大きく声を上げたのはメイのほうだった。
「げェっ! 腐れ金貸し!!」
「借金女かよ」
「もう借金してない! あんたに体で返させられた!! 犯され汚されたけど、もう身も心もキレイな女!!」
(二人は、知り合い……?)
耳には聞こえていても、言葉のすべてが頭には入ってこなかった。
ただわかるのは──二人があけすけに言い合うくらいの仲だということだけ。
「それもそうか、まぁこれでまた"新たな貸し"だな。あとで返してもらうぞ?」
「はぁ……? ふざけんナ!!」
「じゃぁ助けない」
アルムは肩をすくめつつ立ち上がり、地べたに這いつくばっているメイへと視線を下ろす。
「うっぐ……くっそぉ~、ずっるいぞ……。うぅ、助けてください」
「お願いします、は?」
「たすけてください! おねがいします! ってあっ──」
振りかぶられたトゲ棍棒がアルムを襲うも、一瞥もしないまま無造作に放たれた回し蹴りによって、東條カゲハルの体が浮いていた。
「ゴッほぉあ──ッッ」
そのまま器具を巻き込みながら、東條カゲハルは逆の壁際まで叩きつけられる。
「ぶな、くない……」
「雑魚に俺がやられるかよ」
「うっわ、心配して損した」
アルムは呆れたような半眼で、メイを見つめた。
「はじめての時と違って温情をかけてやろうと思ったけどやめた、後で覚えとけ」
「いや! いやいや! 別に決して全然損なんかしてないです。えっとクソ金貸し──いえ偉大で尊大な、お金貸しさまにおかれましては……」
「もう遅い。本音も隠し切れてなさすぎだボケ」
「そんなご無体なぁ~~~、後生なのでぇ……」
露骨に演技臭い半泣きをするメイを無視して、アルムは再び私へと向き直る。
「あの……アル、ム──」
「ちょっと待ってろ」
アルムは私の首元に手を伸ばそうとしたところで、流血しつつも立ち上がっていた東條カゲハルが叫ぶ。
「はぁ……っ馬鹿が!! それは大陸の"強制契約"の魔術具──つまりその女は既にわたしの奴隷だ!」
「へェ~大陸の──そりゃ珍しい」
興味深そうにペタペタと魔術具を触るアルム。対して東條カゲハルは勝ちを確信したように通告する。
「無理に外そうとすれば、女の精神は崩壊する。無事でいてほしければ、今すぐに──」
「くっかっはっハッハハハ!」
東條カゲハルの言葉は途中でアルムの笑い声に遮られた。
「俺を誰だとおもってやがる」
「……? そうだ、そもそもおまえは一体だれなのだ!!」
「俺は"霧縫アルム"」
「はッ!? まさかおまえ、"上覧武芸試合"の──」
「そして俺に不可能はない」
触れている手とは別に、パチンッと指を鳴らすと、首輪は一瞬にして消えて失せたのだった。
「バカな──っ!?」
「魔術具に関しちゃ、自称大陸一の"先生"に教わってるから詳しいんでね。まっ自分で作るのは難しいけど、どういうもんなのかくらいは大体わかる」
首元が解放された瞬間、苦痛は和らぎ、次第に意識も明瞭になっていく。
霧中に囚われていたものが、晴れ渡っていくようだった。
「構造的に魔力との繋がりを絶って処理しちまえば、何も問題はない旧型だ」
「あ……ありえない! そんなの簡単にできるわけが……」
チッチッチッとアルムは口元で人差し指を振りながら、口角を上げてギラついた顔で言う。
さらにもう一度パチンッと指を鳴らすと、私を拘束していた鎖も消失した。
「残念だったな。俺には余裕なんだ、ベッリィ~イーズィー」
「ぬぅぅううう、よもや最初から仕組まれていたのか……? 霧縫め、一物を抱えているとは思っていたが──」
東條カゲハルは、私とアルムを交互に睨んでくる。
確かに籠絡するつもりであった為、ある意味においてはお互い様とも言える状況。
「こうも早々に裏切ってくれるとはッ!! 霧縫!!」
「いやぁ? 霧縫は関係ないぜ、俺は貸したノエを返済しにもらいにきただけだ」
「は……? なんのことだ!」
「きっちり利子も取り立てる。誰も俺からは逃げられない」
あまりにも泰然自若かつ傲岸不遜な態度に、私は思わず笑みが零れる。
「にゃっはは、さすがに貸し付け期間が短すぎでしょ……」
「俺はな、俺の世界が壊されるのが一番嫌いなんだよ」
アルムはスッと私へと手を差し出してくる。
「うん……知ってる、よ~く知ってるよ」
私は頬を拭いながら、アルムの手を取り立ち上がった。
(いつの間にか、ほんとに大きくなったなぁ……)
少しだけバランスを崩しそうになったところで、自然と腕を回して支えてくれていた。
絶体絶命の危機に颯爽と現れ、その手を差し伸べてくれた義弟は、不敵な笑みで東條カゲハルを見据える。
「っく……わかった、もういい」
既に力量差も明白となってしまった為か、東條カゲハルは観念したように手に持っていた凶器を捨てる。
「わたしとしても興味はあっても別段、執着があるというわけではない。運命などまた探せばいい、落とし所を決めようではないか」
「そりゃ無理だ、お前は既にノエを傷つけた」
「なっ──婚姻関係を正式に解消し、少なくない賠償金も支払えるのだぞ!? いくら同じ霧縫一族でも、たかが女一人の為に……」
「たかが、だぁ? 俺は俺の価値の為に動く。大切な家族に手ェ出されて、示談に応じるほど欠落しちゃいねぇっつの」
「わたしに何かがあれば……どうなるかわからないほど愚かではあるまい。たかが一武家に過ぎぬ霧縫が、大名たる東條家と争うことになるのだぞ!?」
「上等だよ、俺一人で潰してやらあ」
ゴキリと手を鳴らしたアルムは、舌を出しながら挑発するようにそう宣言するのだった。




