#72 不自由
事前調査が甘かった。否、あまりにも巧妙に本心を隠し、正体を偽装されていた。
(縁談そのものは……きっと間違いない。霧縫は新しい人脈を得た。けれど私は──)
自己犠牲になるのもまた、武士としての忠義、忍びとしての正道とも言える。
過去、霧縫に生まれた者たちの中には少なくなく、今日の霧縫家の基礎となっていったに違いないのだから。
霧縫ノエという人間も、そうした一人になるだけ。
「──せっかくだから起きた状態だと、どれだけ苦しむことになるのかも見ておくといい」
東條カゲハルは、私の隣に繋がれている、深い黒紫色の髪で癖っ毛の少女の頬をパチンッと強めに叩く。
すると少女は呻きながら、ゆっくりと起き上がりつつ目を開けた。
「痛っつ……ッぁあ? えっ、はァ!? ここどこ? 私は……誰、じゃなくって"メイ"! あんたは……だれ、ってかまじでダレ!?」
「ほうほう、やけにうるさい女だ」
「あんだとぉ……? って鎖!? なんで繋がれてるワケ!?」
自らをメイと名乗った少女は、喚き散らしながらガチャガチャと鎖を解こうとする。
「婚礼の儀に親戚面で紛れ込み、祝宴中に卑しくも饗餐を漁っていた哀れな小娘よ」
「うげっバレてたの……」
「そのうえ厠と偽り、金品まで物色しようとしていた盗人乞食が」
「あぅぅ……欲張りすぎたぁ」
「態度からしても常習のようだな」
「失敬な! 初犯です! なんで手心をば──」
「心根まで腐った小娘などいなくなったところで誰も気には留めんよ」
「ハァあ!? これでも元は御幌家の子なんですけど!?」
メイは──耳の良い私だからこそ聞こえたくらいの声で──小さく「養女だけど……」と呟きながらさらに続ける。
「それに今は極貧生活だけど……いずれまた伸し上がって返り咲いてやるんだから!!」
「残念だがそれは叶わぬ願いだ、ああ人の夢と書いてなんと儚いことか──」
悦に浸るように、柄の先に無数の小さな針がまとまった道具を手にメイへと迫る。
「ひェ……あ、あたしを殺す気? 言っとくけど! 御幌家はちょっと落ちぶれたけど清浄宗の権威で、今頃は信者たちがあたしを探して──」
「大丈夫、ここは誰にも見つからない。だからいくら泣き叫んでも安心なんだ」
「ちょ──っと待って、ひィ……ごめんなさいウソです許してください。御幌家は完全に没落してます、あたしは非力でかよわい小娘です」
表情と声色をころころと変えながら、メイはへりくだる様子を見せる。
「なんでもします。すでに貞操を失った薄汚れた体でも良ければ、イロイロと役に立ってみせますんで……へへっ、えへへ」
「あぁ、まさにこれから役に立ってもらうよ」
薄ら笑いを浮かべたメイは、一転して絶望の顔を浮かべると思い切り息を吸い込んで……。
「ぎぃぃぃやぁぁああああ、助けてぇええええーーーーーッ!! だれかぁああああアアアアアアア!!!」
「だから無駄だというのに、ほんとうにうるさすぎる」
「ああ! 神王ディアマさま! 魔王さま! 邪骨王でもなんでもいい! だれでもいいからぁああああああ──!!」
地下空間内に反響し続ける叫びに、さしもの東條カゲハルもウンザリした表情を顔に張り付ける。
「まったく聞くに堪えないうるさい小娘だ。無防備だったからと、安易に攫ってくるのではなかったな。こんなのに魔術具を使うのももったいないとすら……」
「ひえぇぇえええ!! こないでええええ!!」
メイに近付いていく東條カゲハルに、私は思い切り叫ぶ。
「私を!」
「ん……?」
「私から先に──」
絞り出すように私はそう東條カゲハルに告げる。
(近付いてさえくれれば……きっと活路を開ける)
大して力は入らないし、抵抗しようとするほど意識は朦朧とし、苦痛に苛まれる中で──
それでも必死に己を繋ぎ止めながら、決して諦めない。好機を自ら作り出し、この手で掴んでみせる。
「あ……あぁ、ありがとうお姉さん! あたしの身代わりになってくれて、一生恩に着まっす!!」
「……いやそれは無理だな。この小娘はいくらなんでもうるさすぎる」
「はい! 黙ります! だから殺さないで!!」
「人聞きの悪い……殺すつもりなんかないよ、結果的に死ぬことはあっても」
「おんなじだぁぁぁあああァアアアア!!」
「ああちなみに──これだけ近ければ、魔術具に魔力を込められる。霧縫家が武家である以上、きみも技の一つや二つは覚えているだろうから一応の用心させてもらうよ」
「っ……!?」
大陸の魔術具には詳しくない。
そのように人の意思を捻じ曲げるようなものがあるなんて、あまりにも──
(でもそれは……家も、血も、同じ、か──)
この身に流れる霧縫の血と、霧縫の家が私の自由を縛り続けている。
霧縫家を繁栄させていく為の奴隷であり、霧縫家そのものもまた一族が繁栄する為の苗床。
(血族という枷に囚われた哀れな私の人生は……ここで、おしまい。だったとしても)
私はゆっくりと目を閉じた。
ここで死ぬとしても、せめて一矢くらいは報いなければ……これまでの霧縫ノエを否定するもおんなじだ。
「はァ……ッッ──うぁぁぁああああああっ!!」
「おっと」
メイへと迫る東條カゲハルの無防備な背中を狙うべく、全身を連動させて左足の鎖を引きちぎった。
そのまま足払いあるいは鎖を引っ掛け、地面に東條カゲハルを倒し、その首を刈ろうとするも……私の首元から全身に痺れるような痛みが走る。
「ッがぁ……は──」
鎖が東條カゲハルの足に届くよりも早く、私の体は陸に打ち上げられた魚のように波打つ。
「油断ならないねぇ。でも、うん。ここまで抵抗できる女ははじめてだ、今後が楽しみだよ」
「そんな……お姉さん、しっかりして! あなたが倒れたら、だれがあたしを──」
(ぅ……ぁあ……もう──)
もはや意識を保つのも限界だった。
霧のようにぼやける頭の中では、記憶がいくつも浮かんでは消えていく。
「あっはは……ここまでかぁ、ごめんね──」
誰にともなく、私は謝っていた。
それは使命を果たせないことへの、霧縫という家に対してのものか。
家族へ向けてのものか、かけがえのない義弟へか、あるいは自分自身にか……。
(もっとアルムみたいに、好きに、自由に、生きてれば……こんなにつらくなかったのか、な──)
「はぁーーー、だから別に死ぬわけではないと。ただただわたしに従順になってもらうだけだ」
「自由……意思、が……なけ、れば──死んでいる、のと……一緒、だよ」
己への呪いの言葉のように、私はそう言って瞳を閉じた──その時だった。
地下室の大気が揺れ、わずかに地に足がつく音が届く。
「くっだらねぇぜ」
それは聞き慣れた声──もう二度と聞くことはないと思っていたはずの……。
私は出し尽くしたはずの気力で、目を薄っすらと開ける──そこにはよくよく見知った義弟の姿があったのだった。




