#68 霧縫ノエ I
「五人目、最後の一粒種にしてようやくか……ノエ、お前は今後"霧縫"流の継承者としての鍛錬を重ねよ」
「はい、ちちうえ」
思い出せる最も古い記憶──父である霧縫ドウゲンにそう言われたのは4歳くらいの頃だったろうか。
ある"小太刀"が抜かれて白刃が曝された時、私がわすかばかり顔をしかめた────それが理由なのだと、後になって知った。
「嫁いでいく予定の姉たちと違い、テンゲンやフゲンと同様──否、それ以上のものと心得よ」
母は私を産む時に亡くなった。
出産が直接の原因ではなく、産後に流行り病に罹ってしまったからだった。
兄が2人と姉が2人、末っ子として可愛がられるのと並行して……修練の日々に身を委ねていく。
「……天は二物を与えたか。ノエは霧縫の歴史の中でも、おそらく五本の指に入る才を持っているやも知れん」
耳の良い私は、父の独り言を鍛錬の傍らでしっかりと聞いていた。
そして父の言葉通り、忍術・体術・小太刀勢法、魔術においても一族に驚かれる速度で吸収していった。
「まだ余裕があるようだな、少し早いが花嫁修業も覚えておけ」
「はい、ちちうえ」
「女としての武器を磨け。霧縫流を修得する一助となる」
褒められるのは嬉しかった。
舞踊・能楽・狂言、琴・琵琶・歌謡、馬術・狩猟、調理、裁縫・刺繍・折形、和歌・書道、茶道・香道・華道──
ありとあらゆる学を詰め込まれるが、それでもこなせてしまう才能が……最初は楽しかったし、誇らしかった。
◇
「ミャァ~オ」
ある朝、白猫が迷い込んできていた。
「……にゃー」
猫が鳴いた後に、自分も同じように鳴いてみた。
しかし猫は再び鳴くことはなく、その場で座り込んでぺろぺろと体を舐め始める。
「よしよし」
近付いても逃げることはなく、無防備にも撫でられてくれる。
しばらくすると突然立ち上がり、一声だけ鳴いて塀の外へと消えてしまった。
小さく、可愛らしく、愛おしく──そして、"自由"。
それからはあらゆる学びに混じっていた苦痛を、より意識してしまうようになった。殺していたはずの心が、不自由に抗おうとしている。
しかし心身に負荷が伴おうとも、支障なくこなせてしまう。自身の才能を恨むようにすらなっていく。
強いられる生活が、霧縫の為の人生が──言語化できない気持ち悪さが、澱のように少しずつ溜まっていく。
しかして逆らうことは決して許されない。あの頃はそのような発想すら抱けなかった。
野良猫と違い、まだ子供だった私は与えられた環境に慣れ、必死に適応していくしかなかったのだから。
◇
「ノエ、集中力を欠いている」
「……テンゲン兄さま、申し訳ありません。なんでもないです」
「気をつけよ」
鍛錬の最中、一番上の兄が珍しく気に掛けてくれたことに驚いた。
だからと言ってどうなるものではない。誰よりも実直で寡黙、私ほどじゃなくても才能がある長兄は、近く棗の家で奉公すると言う。
「ノエ、おまえが……」
「……?」
「おまえが"音々霧丸"を継ぐ。あれは代によっては使い手すらいなかったこともあるというシロモノ──まこと誉れよ」
「はい」
いつもの兄からは考えられないほど饒舌に語る内容に、私はただただ静かにうなずいた。
「でも……私なんかより兄さまが使うべきだと、思います」
「いやわたしには聞こえなかった、ゆえにおまえなのだ。あれの真価を引き出せるのは……おまえだけなのだ、ノエ」
そんな才能なんていらなかった。
でも持ち得てしまったがゆえに、私は霧縫の道を──誰よりも色濃く歩むことになってしまったのだと。
◇
「ノエや……近く、養子が来るそうじゃねぇ」
大伯母さまより琴の手ほどきを受けている中、旋律の合間を縫うように問われる。
「はい、私よりも小さい男の子と聞いています」
「男の子かい、なるほどねぇ──」
大伯母と私が奏でる音が重なり、和音が室内に残響していく。
「ノエもお姉ちゃんになるわけさぁ」
「おねえちゃん……」
わずかばかり集中が乱れた瞬間、パチンという音と共に琴の弦が切れてしまった。
「あっ──」
「怪我はないかぇ」
「はい大伯母さま、大丈夫です」
私は琴を弾く為の爪をはずし、切れた糸を新たに締めようとしたところで手を止められる。
「待ちぃ」
ゆっくりと立ち上がった大伯母は、琴を挟んで対面に座り、私の代わりに手際よく糸を締めていく。
「はじめてのことで揺れるんはわかる。でも男の子のほうが不安じゃろうて、だからノエが導いてやるんがえぇ」
大伯母は切れた絹糸の端と端を撚り合わせ、輪っかを作った。
「"綾取り"──手遊びじゃ、ノエの好きなもんを言いなせ」
「……ねこ」
「猫かい、どれ──」
指が絡み合うように糸を手繰るのが何度も繰り返され、いつの間にか手と手の間に絹糸で作られた猫がいた。
「わぁ……すごい、大伯母さま!」
「今日のお琴は終わりじゃ、存分に遊ぶとええ。想像力を働かすんよ、頭を使いね」
「うん!」
いつも触れて弾いている糸に、こんな使い道があったなんて。
私は暇さえあれば、あやとりに夢中になるのだった。
◇
自分には才能がある、霧縫の血筋でも5本の指に入ると言われるほどの──それこそが私自身を縛り付けていた鎖であった。
「えっ……」
「っやったぁああーーー!」
最初は義理でも弟ができて嬉しかった。私がしっかり手を取って、導いてあげないとって思ってた。
しかしそれは最初の1年にも満たずに終わりを告げた。
「どーだぁ! ノエに勝ったよ!」
私は畳の上で寝転がったまま、無邪気に笑う弟──アルムを、瞳を丸くして見つめる。
「うそ……」
「ウソじゃないよー」
「うそッ!!」
努力を欠かしたことはなかったし、油断をしていたわけでもなかった。
あと10回やれば、きっと10回勝てる。でも……今は、負けた──ことを認めたくなかった。
「アルム! もっかい!」
少なくとも……武の才能において、私はアルムには及ばないことを、この時に薄々だが悟っていた。
アルムが来てから何かと共に過ごしてきて──彼もまた私と同じように──いくつもの大きな才能を持っているのはわかった……でも決定的に私と違うところがあった。
「いいよ~、ノエの気がすむまでやったげるーーー」
この弟は……私と違って、心の底からすべてを楽しんでいた。
不自由な私と違って、誰よりも自由に生きているようにすら思えた。
羨ましく、妬ましかった。そして──同時にその生き方に憧れを抱いたのだった。
◇
──アルムにはじめて負けた日から数週間後。
「ノエ、どったの? なんか元気なさそう?」
無垢な少年は私がどれだけ邪険に扱ったとしても、鍛錬にかこつけて痛めつけても、平然としていた。
「……なんでもないよ。それよりも──基礎鍛錬は少しお休みして、父上が来るまで遊ぼっか」
「なにしてー?」
「好きなものを言って? 私があやとりで作ったげる」
「あぁ~ノエがいつもやってるやつ!」
「ん、うん……アルムにも教えてあげるよ」
なんとなく教えるのが怖かった。あやとりは大伯母さまから習った、わたしだけの遊びだった。
もしもアルムに追い抜かれたらと思うと、何かを失ってしまうようなそんな気がしたから。
でも、今は……。
「ほら、手ぇだして」
「うん」
私は絹糸の輪をアルムの指にかけ、丁寧に順序立てて教えていく。
見様見真似ながら非常に飲み込みが早く、朝のわずかな時間で既にいくつかは形になっていた。
「う~ん、なんか俺には合わないかも。もういいや」
「……」
「痛っ!」
私はアルムに無言のまま、拳を見舞うのであった。




