#52 竜胆の花
かつて自分は、西ドイツのハンブルクで生まれ、東部戦線の帰還兵であった父と、教会付きの看護師であった母の下で育った。
母の働くホスピスで、幾度となく最期を看取ることで──"死"と向き合ってきた。
同時に治療の苦痛に耐え、諦めずにリハビリを続け回復する"生"とも向き合ってきた。
「そう……だから、小さい頃から自分の中に一本の芯のようなものが育っていったように思う」
多少なりに医療の心得があったことから、兵役義務を果たす形で衛生兵としてドイツ連邦軍に入隊する。
バルカン半島への派遣訓練の最中、事故に遭った仲間を救った時、感謝されると共に確かな手応えを感じた。
「あの時だ、自分は極限下においてなお、冷静に対応できる才能があることを自覚したのは──」
除隊後にはミュンヘンにある大学の医学部へと進学し、救急医療と外傷外科を専攻。
スーダンの難民キャンプで医療実習中に、反政府軍の襲撃に遭遇した──それが一つの転機と言えたのかも知れない。
薬も食料も、あらゆる資源が尽きつつある中で、何十人もの命を救った。しかしそれ以上に……救えなかった命を指折り数えていた。
「治療で変えられるのは"結果"だけだ、"原因"を取り除かなければ医療は終わらない……」
医師免許を取得してからは、"国境なき医師団"に参加した。
ルワンダやチェチェンなど──派遣された土地は、いずれも混迷を極めた。
ある時、MSFのキャンプが武装勢力の急襲を受けた。
「分水嶺──とは言えないな、あの時の自分にとって、あの場での選択肢は……たった一つしかなかった」
民間人を守る為、そう言えば多少は聞こえが良かっただろうか。
敵の銃を奪い、誰かが傷つく前に殺した。人を救ってきた手で、何人も、何人も、命の火を消した。
そして当然のことながら、国境なき医師団の原則を破ったとして除名処分となった。
「未練はあっても、後悔はなかった……」
あの瞬間はそれが"最善"と信じて、自分の力を尽くしたのだから。
その後は民間軍事会社に所属した。
戦闘員と医療従事者としての両立は禁止されていたが、戦場において勝手に医療行為をする分には、前線において重宝された面が少なくなくあった。
そのため仲間の多くは黙認していたし、上からは咎められることこそあれ、厳罰や処分が下されることはなかった。
「だが所詮は個人レベルでの話。大きく変えるには程遠い現実に、いつだって悩んでいたな……」
PMCでの活動は奇妙な均衡の上に成り立っていた。
「銃のトリガーを引いた指で……怪我人の傷を塞ぐ。その矛盾は──思っていたより、心地良かったと言えたかも知れない」
しばらくして後、肉体的な衰えと精神的な疲弊を鑑みてPMCを辞し、一時は戦地を離れた。
それからシリアの内戦勃発によって、国際社会にも混乱がもたらされる。
MSFとして活動していた頃の人脈を頼り、個人で再び戦場へと戻った。
砲撃や爆発に耐え忍びながら、地下の野戦病院で治療を続けた。
もはや敵味方の区別など無いほどに、救われなければならない人々で溢れていた。
「思い悩み続けた月日……もはや根本から何かを変えようとするだけの力はなく、培った技術と知識で"その場しのぎ"を続けるに過ぎなかった」
戦地を離れ、南スーダンに小さな診療所を設立し、現地の若者に医療を教えた。
せめて後に続く者を──そんな淡い期待を抱き、自分にせめて残せるものを……と。
部族間抗争や地方武装勢力の動きが活発化しはじめ、医療従事者への襲撃は年々増えていた。
「ある晩、診療所に響いた銃声。患者とスタッフを避難させて……それから先のことは覚えていない──」
ヨハン・ミューラーとしての語りを閉じた与羽村リンドウは、"黒鷲楼"にある秘密の奥座敷にて霧縫アルムと対座していた。
「人に歴史あり、だなぁ」
アルムは鉄扇でぱたぱたと顔をあおぎながら、地球の話に眼を輝かせている。
「それからは以前にも少し話したとおりだ。この世界に転生したのが果たして運命なのかはわからない……ただあらゆる力をもって最善を尽くすことこそ、新たな自分の生きる道なのだよ」
リンドウは花瓶に活けられた、鮮やかな青紫色した一輪の花を手に取る。
「この竜胆の花はね──かつては疫病をもたらす草とも呼ばれたが、生薬としても使われている。軍人として多くの人を殺し、医者として多くの人を救い、同時に救けられなかった自分には……似合いの名かも知れない」
「なぁるほど、それで"与羽村リンドウ"っすか」
「自分が生まれた時、死んだこちらの世界の母が好きだった花であったらしい。……白尾トオルもそうだったが、どうやら転生者の母親は重篤な諸症状に加えて、全身がヒビ割れるような奇病のようなもので死ぬ。調べていくと、似たような事例で母子共に死んでいる事例がいくつかあった」
原因はまったくもって不明。
転生するだけでなく、産まれ育つことまでを考えれば、相当な幸運が要る。
「ほほう……それだと"転生者が珍しい"という理由にはなりますね。謎の奇病か──」
「ひどく残酷なことだがな」
しばしの沈黙が流れる。リンドウは竜胆の花を花瓶に戻し、アルムは鉄扇を音もなく閉じた。
「異世界では──っと、リンドウさんから見るとこっちが異世界だからややこしいな」
「気にしなくていい、文脈で察しはつく」
「大陸だと"地球"って呼ばれてるんで、そっちで統一しますか」
「あすてら……アースとテラか。呼び方を考えたのは転生者が関わっているのは、疑いないな」
顎に手を当てリンドウは考える。現代知識を実際に扱うことの難しさは、自分自身で痛感した。
社会とは細分化されたあらゆる専門家によって成り立っており、知識があっても成せることは少ない。
自動車が走るメカニズムを知っていても、エンジンの緻密な構造、構成するパーツの冶金や加工技術、精密な回路設計や電装系を担う電子部品など、数えればキリがないほどの大量かつ多岐に渡る技術の集合体。
先人たちが幾年月と積算した叡知の上に、テクノロジーと文明は成り立っているのだと。
「地球では魔術がないって本当なんっすねぇ」
「あぁとかく脆弱だ。人より少し大きい程度の熊ですら、恐ろしい脅威となる」
「だからこそ科学が進化したと」
「──と言っても、急速に発展したのは工業化から端を発してから300年にも満たぬ間と言えるだろう」
「長命種からすると……長いんだか短いんだかってとこですかね」
"銀十字協会"をはじめとした組織も、元々は現代知識を応用するという目的で設立したものだった。
しかし人材の不足や、資源といった問題があり、本来の思うようにはいっていない。
あるいはリンドウ自身が、長命種として生まれていれば長い時間をかけて変革できたかも知れない。
しかし転生し生き延びた上に、それは求めすぎというものだった。
「そういえば……アルムは"上覧武芸試合"に出るのだったな?」
「本試合とは別の、最初に盛り上げるだけの"演舞披露試合"っすけどね。先の曙誠党の乱での活躍が耳に入ったらしくって、"霧縫アルム"として出ろって御下知でした」
「"空迅"、"血風鬼"、"一閃牙"、"飛燕斬影"、"赫刃連理"、"不殺之死神"、"幽霧の虚狼"、"終焉の凶星"──初陣だけで実に多く付けられた二つ名の気分は?」
「いいっすねぇ。俺が気に入ってるのは最初の"空迅"と"幽霧の虚狼"、"終焉の凶星はちょっと惜しい。それもこれも導者であるリンドウさんが、戦争を引き起こしてくれたおかげとも言えます」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアルムに、リンドウは嘆息を吐く。
「……複雑な心地だ」
戦争そのものは早期に終結したが、計画には問題なかった。
民衆の気運は高まり、幕府への不信は世間に植え付けられた。ここからさらに手を回していくことで、さらなる布石へと繋がっていく。
「今回の上覧武芸試合は、今将軍である扇祇ノブナリの息女、扇祇カグラたっての発案だそうだが」
「かわいいっすよね~、見た目はかなり好みっす」
「次期将軍として、公の場に御目見えしてから既に一年余り……あるいは」
「あーーーそっか。大大名にも招待を出してる聞いてるし──」
それぞれ公儀御庭番の"無貌面"と"天狗面"として、その意味を察する。
「まぁ所属が変わるわけでもなし、成るように為るしか無いんじゃないっすかね。そんなことより地球の話をしましょうよ」
「……あぁ、前回は宇宙の成り立ち、それと大きな星と小さな星の話をしたんだったか」
「もちろん覚えてますぜ。ビッグバン・銀河・超新星爆発・ブラックホール・恒星・核融合・元素とか、あとは分子・原子・電子・中性子・陽子──」
アルムは鉄扇を腰元に差すと、両の手で指折り数えていく。
「では今回は自分の専門分野である……人体について詳しく説明しようか」
「お願いします!」
「まだまだ未解明の部分も多いのだがな、まず軽くスケッチを──」
リンドウは大陸からの輸入品という上質な紙と鉛筆を使い、人体と医療についての講義を始める。
アルムは熱心に話を聞きながら、異世界研修生として存分に学び、堪能するのだった。




