#53 上覧武芸試合 I
飛騨幕府、櫻桐城の御庭格式ある白砂の庭上に、武士たちが整然と並ぶ。
裃の肩が揃う者もあれば、軽装の胴着を合わせた者もいる。
いずれも場に相応しき威儀を保ち、薄く張りつめた気が漂っていた。
御庭の周囲には譜代の重臣をはじめ、高家、大名筋といった者らがずらりと顔を揃えている。
幾筋にも立てられた几帳と日除けの設えは、砂に映る陽光をやわらげ、周囲の風景すら厳かに染めていた。
中央──白砂の一段高き場所には、紫檀造りの御座が据えられ、現将軍"扇祇ナリムネ"が静かに坐している。
その隣で若く凛とした眼差しを湛えるは、次代将軍たる"扇祇カグラ"。
御座の少し背後には"北州"無双と名高い、将軍斯衛筆頭"宗像タツトラ"が控えていた。
今しも、"上覧武芸試合"の刻を告げる陣太鼓が……ゆるりと、三度、庭内に響いた。
静けさの中──"天衣チグサマル"が、庭の端より進み出でる。
大大名である"天衣"家は、"棗家"と並んで聖威大将軍からのご信頼厚い。
ゆえに当主である"天衣イズナ"と同じ一族であり従者である天衣チグサマルが、此度の作法役を仰せつかったのだった。
『只今より、御上覧にあずかります武芸試合……これを開幕と致す!』
声を張った開始の言葉の後、作法役の天衣チグサマルがつらつらを試合に際しての心得などを述べている間──東陣の幔幕内に控える"霧縫アルム"は気を充実させていた。
「緊張してる?」
そう問いかけたのは、義姉にあたる霧縫ノエだった。
出場者であるアルムの付き人として──子守り兼お目付け役として──師父ドウゲンより命じられてたのだった。
「くっかっはっは、俺がすると思う?」
「ん、ないね」
「わかってんじゃんか。そういえば相手のこと聞いたか?」
「うん、"風間流"忍術でしょ。霧縫と違って、今も忍び稼業を続けてる一族」
「そうそう、楽しみだわぁ。わざわざ忍者同士をぶつけるなんて、御公儀もなかなか粋なことをしてくれるぜ」
アルムが着ている霧縫家の戦闘装束を、ノエは丁寧に再確認していく。
「気を付けてね、アルム」
「俺がやられるとでも?」
「違うってば、父上から再三申し付けられたことだよ」
「あぁ~~~、霧縫流を見せすぎるなってやつね」
「上意だから披露するのは仕方ないけど……やりすぎは絶対に後で怒られるから」
「わかったわかった、必要な分だけは魅せる。それ以上は見せない」
装束を確認し終えたノエは最後に、試合用の大小それぞれの木刀に問題ないか改める。
「しっかし口上が長いなぁ、一発抜いてく時間あるかな?」
「昂ぶってる闘争心を冷めさせちゃダメでしょ」
「逆に冷静になれるってもんだ」
下世話な笑みを浮かべている義弟の股間を、ノエはピンッと指で弾く。
「どうせ夜には房中術の修練するのに」
「こういう状況だからこそ興奮するんじゃん」
「じゃぁ勝って帰ったら、たっぷりしたげるよ」
「よしっ」
アルムは手の平を握りながらゴキリと鳴らした。
「ただし、傷一つないのが条件だからねぇ~」
「今の俺に限ってそれはない」
アルムは大木刀を右手に持ち、小木刀のほうは左手で後ろ腰に差した。
『以上が規則と心得でございます。御前にての技比べ──その武と誇りを余すところなく示されよ」
出場する武士たちは一礼し、その場からそれぞれの控えまで退がっていく。
『最初に執り行われまするは、"演舞披露試合"。東方──霧縫流、"空迅"霧縫アルム!!』
名を呼ばれたアルムは無言でノエとうなずき合って、庭上へと歩いていく。
『先の曙誠党の乱において、先駆けとして敵陣を破った若き英雄。霧縫の家はかつて棗家と共に"傾国の魔女"の討伐に多大な助成をし、忍者から武家となった一族でございます。こたびの試合で見せるのは武士の技か、忍びの技か、あるいは両方か──」
アルムは礼法に則った所作を完璧にこなしつつ、特に"扇祇カグラ"──そして"宗像タツトラ"にも視線を流す。
ノエは特等席とも言える東陣にて膝をつき、義弟の晴れ舞台を見守っていた。
『西方──風間流、"闇なる牙"風間テツザン!! 今なお続く忍び一族の長。日向の道は歩かず、常に歴史の影に生く……その力の一端、御照覧あれ」
大柄な体躯に背には三本の大木刀。短髪に四角く太い輪郭。色の抜けたような肌に、薄い黒布を重ねた風間流独自の忍装。
見た目には威圧感があるにも関わらず、実際の気配は薄氷のようにも感じられる不気味さがあった。
「二人とも気兼ねなく存分に技を競え」
扇祇ナリムネの一言に、アルムと風間テツザンは深く頭を下げる。
それは暗に忍びの技だろうと、隠さずに見せろと命じているようにも聞こえた。
「タツトラ、二人を見ての感想は?」
すると扇祇カグラが、小声で耳打ちするのが聞こえてくる。
「……どちらも良き武人かと存じます」
北州最強とされる男の──低い想像通りといった風な──はじめて聞く声。
「ふぅん……ねぇ父君、忍びとは顔を晒してよいものなのですか?」
「さてな、世の移りには抗えぬといったところか」
「恐れながら。霧縫家は武士なればこそ、顔を隠す必要は既にございません」
アルムは恭しい調子は崩さぬまま、そう言葉にした。
「御前に口を差し挟むとは、無礼千万」
言葉とともに宗像タツトラの射殺すような視線がアルムへと注がれるが、当人は特に気にした様子もなく受け流す。
いかにアルムが傍若無人とはいえ、当代将軍には公儀御庭番としての天狗面も素性も知られているがゆえに、気安く割り込んだのだった。
「よいタツトラ、控えよ」
案の定、扇祇ムネナリは斯衛を制し、宗像タツトラは黙したまま従う。
「霧縫アルム、面を上げなさい。其の方はいくつなのかしら?」
「あと三月ほどで十五を数えまする」
頭を上げたアルムは──本当の生誕日も年齢も定かではないが──仮の答えを口にした。
「妾より若いのね! 風間テツザンのほうは?」
「はッ! 某は四十を数えたばかりでござる」
問われたがゆえに、風間テツザンはしっかりとした口調で答えた。
「あなたも面をあげていいわよ」
扇祇カグラは、アルムと風間テツザンの顔をそれぞれ見比べる。
「親と子ほどね。ところで……なぜ木剣なのかしら?」
「カグラよ……作法役の話をちゃんと聞いておらんかったのか、庭先を血で汚さぬ為よ」
「申し訳ありません父君、蝶々に気を取られてしまったもので……。のうタツトラ、木剣で実力を発揮できるものなの?」
「実戦とは異なりますが、技比べであれば十分かと」
宗像タツトラがそう答えたところで、アルムは不敵な笑みを浮かべて再び差し挟む。
「カグラさま、こちらは"真剣"でも一向に構いませんよ」
「……!? 某も同様でござる」
すると負けじと風間テツザンも同意してくるのだった。
「ふふっ双方はそれで納得なのね! なかなか良き"戯れ"と思うのだけど、父君はどう思われます?」
「白き庭砂が血の赤に染まってゆくのは一興ではあるがなぁ……臓腑まで漏れては、臭くてたまらぬぞ」
そう言われて、扇祇カグラもさすがに嫌そうな顔を浮かべる。
「上さま、ご安心を。戯れで庭先は汚さぬとお約束いたします」
「左様。汁が漏れることはありませぬ、流れるとすれば武家の血のみ」
「くっかっはっは、言うじゃんかぁ」
アルムと風間テツザンの顔は体ごと御前へと向いていて……眼を合わさぬままバチバチと舌戦を交わす。
「あははっ、二人とも良き気概よ。妾も真剣による、より実戦に近い勝負を見てみたいわ。父君、いかがでしょう?」
扇祇カグラは──まるで市井の子供が祭りの屋台をねだるように──無邪気に、そして残酷にせがむのだった。




