HEROと天上の賢者
アズ=ウトルシュは目を覚ました。
遠くから空調設備のものらしき低い稼働音が響いている。
(落とさなかったのか…何故?)
目を開けても暗い。かなり狭い場所に寝ている様だった。首だけ動かして姿を探したが、近くにヴァルルカンの気配は無い。檻のようなものかとも思ったがその割に手足は自由だ。拳に光を集めるとぼんやりと周囲が浮かび上がる。木造というか、木の空のような材質のぐるりに、立ち上がれば頭を打ちそうな低い天井で、広さもせいぜい3畳くらいしかない。入り口はもちろん窓もなかった。
黒い粘着物で絡め取られた所は覚えているが、その後の記憶が曖昧だ。身体を確認して見るが上階で受けた傷も大分回復している様だし、あまり不具合は無さそうだ。傷の無い銀糸のスーツに黒い付着物がいくらかこびり付いているものの、粘着性は失われて固まっている。
そして気づいた。天井が低いのでは無い。
アズの頭上に覆いかぶさっているものがある。これは…
「ヴィョルチェンバー?まさか…。」
巨大な影はじっと動かずアズを覗き込むようにしている。気づけばこの小部屋自体がどうやら彼の部分らしい。表面には樹皮のような皺が刻まれ、この個体が生きてきた時間の深さを雄弁に語っている。足元には複雑に伸びた“歩根”と呼ばれる器官が発達し、翻って頭の方は板塀が分岐したような短い散切り状だ。見た目には幹ばかりが太いバオバブの木に似ている。
ヴィョルチェンバーはその巨体を体育座りの様に小さく縮こめてアズを包んでいるのだった。イソギンチャクさながらその頭部から手のような物を沢山伸ばしてアズの周りをゆったりと囲んでいる。これは、彼が何かを集めている姿だ。地球の概念で考えれば食事中にあたる。
第5象限にあって、アズにはヴィョルチェンバーとの交信の手段がない。しかしどうにも奇妙なその「概念体」が何故かアズに興味津々な事は伝わってきた。
いや、違う。彼の興味の先は私ではない。私自身なのであれば、それこそ簀巻きにでもされているはずだ。これは私の周りを囲む…
“誰か”の強い想い…。
はっとしたと同時にヴィョルチェンバーの手がゆるゆると縮こまり散切り頭へとかえっていった。彼はとても満足そうで、いっそ興奮して見える。不思議とアズは周囲の空気を介し、この固体の気持ちを理解できた。いや、気持ちというのは不正確だったかも知れない。彼らにとって感情に類するものではあるようだが、これはもっと繊細な変化だ。
(ヴィョルチェンバーはこの想いを食べたいが為に私を枝から剥がしたのか。そんな事が…。)
嫌になるほど緩慢な動作でヴィョルチェンバーの身体が開く。たっぷり10分以上かかって通れるだけの隙間が開いたのを見計らいアズは音も無く滑り出た。飛び出した場所は粘着物で絡めとられたまさにその枝の脇だった。振り返ると大樹の一部にほとんど溶け込むようにしてヴィョルチェンバーが立っている。居るとわかって居なければまったく気付かないレベルの一体感だった。この木はもしかしたら彼らの育ちきった固体の一つなのかも知れない。
それにしても、と思う。もしココから剥がしてくれたのが彼なのだとしたら、どうやってこの粘着物を無力化したのだろうか。屈みこんで粘着物を確認すると、枝に残ったものはまだ粘着質なままのようだった。ヴィョルチェンバーにそれ程の力は無いはずだ。
ふと、気配に振り向くと、彼が一本だけ手を伸ばそうとしているところだった。止まっているかのような緩慢さに慌ててその手を取りに行く。彼はアズが何かを知りたいと思ったのに気付いてくれたのだ。アズがその肩口近くの枝に飛び乗って手を取りに行くと、彼はそろそろと手先の進路を変えてアズに差し出してきた。
手先がマスクの頭に触れるほんの少し手前で止まる。アズは静かに待った。
ゆっくりゆっくりと時が流れる。
そんな余裕は無いはずなのに、彼の前では時間の流れが緩やかになるようだった。低次象限にあっては彼の存在そのものが曖昧で、夢のようで、不自然を通り越していっそ世界に馴染んでしまっていた。
15分以上はそうしていただろうか。
アズの目の前に突然、答えが降りて来た。
(ああ、そうか。)
アズは何故だか足元が浮き上がるような錯覚を覚えた。身体が妙に軽くなったように思う。
ヴィョルチェンバーはそれ単体では特に大きな力を持つものでは無い。しなやかで大きな身体を動かすためのエネルギーは備えているが、それだけだ。しかしその身の内に厖大な知識と概念と時間を蓄えている。その分量はケズデットの“想像力”の範囲を遥かに凌駕していた。
断熱膨張。
減圧を受けた粘着成分は急冷され脆化をみせた。アズの周囲の粘着成分だけがキレイに崩れ去って後に残らなかったのは、それが“創造”によって不自然に生み出された異物だったせいもある。もちろんアズの身体がそんな気圧や温度の変化を意に介さないという前提の元に行われた荒療治だ。
ヴィョルチェンバーが来た時と同じようなゆっくりとした動きでその手を引っ込めはじめた。役目を終えたと思ったのか、ヴィョルチェンバーは大樹の傍らに寄り添うように溶け込み、動きを止めた。もう一度でも目を離せば彼がどんな姿かたちでそこにあったのかわからないくらい世界に溶け込んでしまっていた。
ぞわり
背筋に嫌な気配を感じて格納扉を振り返る。巨大な扉は一人分の隙間を開けたままでたたずんでいる。気配はその扉の向こうからこちらへ徐々に近づいているようだった。少し逡巡してから大樹の幹を駆け上がり、離れた枝の上に姿を隠す。
しばらくして扉の隙間に人影が現れた。遠目に見ても分かる。ハールディだ。
隠れて様子をうかがっていると、ハールディは扉のこちら側へ来るとそのまま右に折れ、倉庫らしき場所から小型の乗り物を引き出して乗り込んだ。遊園地のアトラクションにでも使われていそうな箱型の筐体に二輪車のものに似たハンドルが付いた簡素な乗り物だが、彼がいくつか操作をすると地面から浮き上がりゆっくりと大樹に向けて飛んでくる。
(自身の足で跳んで来たらいいものを…何か狙いがあるのか?)
ハールディは一旦幹の近くまでやってくると乗り物をホバリング状態にさせて携帯デバイスを取り出した。周囲を見渡して何かを確認している。ふと足元の粘着成分の残滓に気づいて、彼は乗り物から降り、かがみこんで確認をはじめた。
(これはチャンスか?)
1対1なら余程のことが無い限り負ける気はしない。しかしアズの脳裏に先ほどのケズデットとの遭逢がどうしてもチラついた。吊し人のハールディ。オグが捕まった過去もある。何故か落とされずに今いるが、再び捕まった場合、無事に済むとは思えなかった。交戦する前にリラシュ達からの情報が欲しい。
迷う内にハールディが電話をかけ始めた。
「まだ来ない?おかしいな。何かあったのかも知れない、確認させよう。それよりもだケズデット、アズ=ウトルシュが居ない。いや、戦闘の形跡はあるからおそらく場所は合っている。意識の無い状態だったんだろう?」
アズは顔を出すのをやめて幹の裏に背を預け、声だけに集中した。
「他にもフェチケの侵入者が居た可能性がある。悪いが館内の状態を確認して貰えないか?ああ、此方もすぐに戻る。」
ハールディは通話を終えると再び小型の乗り物で扉の前まで移動した。アズは気づかれないよう片目だけ枝の縁から出して様子を確認する。
ドガッッッ
ハールディの拳が乗り物に突き刺さった所だった。
一撃だけでなく、何度も何度も殴りつけ、その度に金属のひしゃげる音が響き、何かの液体が周囲に飛び散った。最後には小さな爆発音をたて、乗り物はその場にくずおれる。
「あれほど、此方が注意をしていたにも、かかわらず…。」
ダメ押しの一蹴りを受けて、かつて乗り物だった金属屑は海へ向かって落下して行った。巨木の幹の途切れている辺りで、鉄鍋に落とした水滴のようにジュッと姿が霧散する。靴音を立てるハールディが完全に立ち去るまで、アズはじっと枝の上で待った。
ピコッ
下敷き型のデバイスを取り出しザスロのリストを再確認する。移動されていなければ少なくとも4つはこの地下にある。ハールディは冷静さを欠いている様子だった。本来であればまだここに私が残っていないか確認するべきだっただろう。
(む、ザスロの残数が変動している。イクスが回収したのか…?)
アズもまさか新がハールディ相手に奪取しているなどとこの時点ではさすがに予想していなかった。
(すでに数量変動があったなら、何にしろもう隠れている時間は終わりだ。)
アズは最初に隠し持ってきていたコンビーフ缶サイズのザスロを回収すると、先ほどハールディが乗り物を出してきた倉庫へ入った。リスト内にあったザスロを3つ発見して続けて回収する。残る一つが見つからない。
キラッ
倉庫を出ると視界の隅で何かが光った。
大樹の幹の方だ。
見上げると何か小さなものが光を反射しているようだった。
手近な枝に飛び乗り一足飛びに反射のあった幹の下まで駆ける。枝の無い幹の中央、かなり高い位置だったが真下からでは何も見えない。壁のぼりと同じ要領で幹を垂直に駆け上がる。光る物体の真横まで駆け上がったところで幹に拳を差し込んでぶら下がる格好になった。
光を反射していたのは幹にほとんど埋まった状態の古びたコインだった。
(確かザスロのリストにあったもののはず…。)
アズは片手で器用にデバイスを起動するとコインを回収する。
ゴゴン
建物全体が縦に揺れた。
遠くで何か大きなものが動き出す音がし始める。
(なんだ…?)
ザスロの残数を確認すると、数量としてはカウントされている。
ゴ ゴ ゴ ゴ
小さな振動がやがて大きな揺れになる。頭上から建物の欠片がバラバラと降ってきた。眼下に開けた空間に視線をやると、建物の外から土屑が落下していくのが目に映る。
(島が崩れ始めているのか?)
改めてコインの埋まっていた場所を見て気が付いた。樹皮の表面にコインの形についた窪み、その内部に小さな電極が覗いている。
(これは、コインを外すとそれを検知するようにされていた?何故そんな事を?)
考えても分からない。アズは幹から拳を引き抜くとそこからさらに大樹を駆け上がる。階段方面に向かったハールディを避けて、直接この大樹の刺さっている天井から上階へ上がるつもりだった。外部で崩落が始まっているのであれば、ここの床が少し崩れようとあまり目立たず済むかも知れない。万一警備のヴァルルカンに遭遇したらそいつらの依代…残りのザスロ候補を回収すればいい。ケズデットの“創造”はすでに一度体験済みだ。今度は遅れは取らない。
アズはまだ、島の崩壊がザールゥク破壊につながることを、知らない。




