大学生とエスピオナージ2
ノックも無しにドアが開いた。
入ってきたケズデットは鋭い目付きで室内の人物を睨め付ける。
「ハル。さっきのはどういうわけだ?」
視線の先には海棠秋の姿がある。決して広くない居室はケズデットの為のものだ。執務机こそあるが少し広めのビジネスホテルのシングルルームといった程度で、簡素なベッドと洗面室、ささやかなクローゼットしかない。
「どうというのは?文字通り新しい参加者がいるというそれだけのことだ。終わりかけのフィールドだが此方の勝ちを見込んで参加したいという事だろう。それよりも、」
秋は椅子を引いて半身を入口の方へ向けた。ケズデットも話が長くなりそうだと思ったのか、手近なベッドに腰掛ける。
「何故アズ=ウトルシュのそばを離れている?」
その一言にケズデットは首をほんの少しだけ傾げてみせる。
「そばに居る必要、無ぇだろ。身動きはできない状態だし、ダメ押しに寝かせてある。」
「目を離して逃げ出される危険は無いという事か。果たして言い切れるか。何かあってから駆けつけるのでは間に合わない可能性もある。何度も言うが本来なら今すぐにでも落とすべき所だというのは認識しておいてくれ。君がどうしてもと言うから許容しているに過ぎない。この最後の局面で気を緩めるという事がいかに危険かというのは過去にも」
「落ち着け。まず確認させろ。」
黙ったまま秋は手のひらを差し出した。どうぞ、の合図だ。言葉を切られるのは茶飯事なので気にするほどの事では無い。
「参加する人間はバイト応募の奴なのに何で名前不明なんだ。」
「社員が対応したんだ。此方は話だけ聞いて現場に任せた。まだ書類を見て居ない。ケズデット、君にバイトの名前はそれ程大事なのか。」
「ああ、間怠っこしい事は省く。そいつに会わせろ。直接確認したい事がある。」
秋の眉根がピクリと動いた。
「ケズデットにはアズ=ウトルシュの監視と確実な捕縛を頼みたい。君にしかできない事だからだ。バイトの子への確認なら此方がやろう。内容を訊くが?」
「いや、俺が確認することに意味がある。」
あの覆面に何か吹き込まれたか。このタイミングでケズデットに参加者の追加を伝えたのは間違いだったか。
「社員に呼ばせよう。しばらくかかると思うがこの部屋でいいか。時間が惜しい。此方はアズ=ウトルシュを落としに行くが。」
「それでいい。」
秋は机の上にあった携帯端末を取り上げた。二つ折りの蓋を開いたところで、しかし手が止まる。
渡した記憶が無い。ハールディに、デバイス類を。
キヴァト…に話をするのはリスクか。
何よりも結果こそが重要だ。此方としてはアズ=ウトルシュさえ何とかしてしまえば後は彼等だけでも何とかできるだろう。
秋は釦操作をして携帯を耳にあてた。
「ああ、頼みたい事がある。新人の、そうだ。部屋へ呼んでもらえるか?いや、ケズデットの部屋だ。」
言いながら部屋を出る。
ドアを閉じたところで携帯も閉じた。元より誰とも通話して居ない。
悪く思うな、ケズデット。
秋は廊下に散らばった壁や警備ロボットの残骸を器用に避けると階段室へ向かった。幹部にも関わらずケズデットの居室は2階に位置する。広い別室もあるがそちらはほとんど使っていない。
地下へのエレベータは破壊されて今は機能していなかった。オレオツァエがいれば修繕を任せることもできたが、望めない。社員達だけでは手に余る。
諦めて階段を降る。
思えばここまで長くかかった。
世間の波を避けて起業を選んだ。選べたのはハールディがいたからだ。彼らのおかげで人材の確保もできたし、およそ常識外の産廃処理に関する知見を得てコスト削減も可能になった。本業を考えればこの巫山戯た遊びを終わらせるべきでは無いと思っている。本来ならばそろそろ事業拡大に乗り出すべき局面だ。だがしかし。
"上"を見てみたいと願う事は罪悪だろうか。人の身では上り得ないはずのその景色を。
その為には勝って終わらせるより無い。今、そのハシゴが漸く目の前に降りてきている。
中埜は青ざめた新を満足そうに眺めてから、あり得ない速度で上肢を起こした。掴みかかろうにも中埜は下着姿だ。知らずに躊躇したのが裏目に出て、次の瞬間頭上を舞った中埜にコンマ数秒出遅れた。
星が飛ぶ
とはよく言ったものだ。したたか硬い床にデコをぶつけたらしい。身に起きたことを飲み込む前に続けて横腹に激しい蹴りを受ける。くの字に折れた形で今度は壁面に右肩からご挨拶だ。流石にどこかのバトル漫画みたいに壁に衝突痕が残るような事はなかったが、ぶつかる瞬間に身体のどこかがへしゃげる様な生々しい音を聞いた気がする。視界表示が点滅して見える。焦点がうまく合わない。
まずい。
まずいまずいまずい。
痛みはまだ感じないがきっと脳内物質的な何かがフル稼動してるだけだ。目の前の中埜はもう笑っていない。考える間にも身を翻してこちらに迫ってくる。中埜の足が綺麗な弧を描いて踊る。片方だけのその靴がスローモーションに見える。
あ、やばい。
今まで感じたことのない感覚がじわりと浮かぶ。
浮いた靴がゆっくりと世界に切り込みを入れる。
そうか、極限にやばいと走馬灯が走るとか色々きいてたけどきっとこんな感じか。過去の思い出は浮かばないんだが、周りの何もかもが緩やかに流れて見える。
再び脇腹を横なぎされて俺の身体は廊下をバウンドしながら滑っていく。追うように駆け込んできた中埜は3mばかり手前で勢いよく踏み切る。前転の勢いに体重を乗せて俺の頭上から踵を振り下ろしてきた。
降りてくる踵が再びスローモーションになる。身を捩って起こそうとするが身体が鉛のように重い。
(間に合わない…!)
ゴッ
地面と踵で両こめかみを打ち付けられ、視界が明滅する。目はまだ見えないがこのまま近くにいると余計にまずい。俺はがむしゃらに腕立ての様な格好で上半身を起こすと、とにかく音のしない方へ飛び退った。何かしてくると思ったのか、中埜も弾かれたように距離を取る。
呼吸は…乱れているがこれは疲労からじゃない、極度の緊張感からくるものだ。頭や脇腹はじんじんと縮こまるような感覚だが激烈な痛みがあるわけではない。レンザァルの身体、どうなってんだ。今は兎に角ありがたいが、それでも俺が使いこなせていないのが分かるだけに、もやもやする。
「レン、随分と丈夫なんだな君。いくらこの子の身体で持つレベルとは言え、結構本気で動いてるんだけどな。」
相手は首と肩ををひと回しして随分余裕の表情だ。
どうする、どうすれば勝てる。勝てないまでも逃げるのでも構わない。いや、そんなスタンスじゃやられるか。俺は構えるのをやめてその場に普通に立つ姿勢になった。中埜が警戒したのが空気で分かる。俺は視界内表示を改めて意識した。
さっきの感覚を思い出せ。
スローモーションになった時の事を。
危険はないものと判断したのか、中埜が再び駆け込んで来た。左手に鍵を持っている。鍵の表示は無記名で、おそらく誰かのザスロではなく俺の動きを封じるための道具だ。
駆け込んでくる姿そのままに、徐々に視界が速度を落とす。
まだだ。
もっと。
更に細かく見ろ。
映画でコマをわざとスローにしたシーンが確かこんな風だった。実際の映像だとより鮮明で、空間に浮かぶチリの1つ1つも見える様で。中埜の汗の揺らぎも廊下の端の表示灯の赤も、照明はないのにぼんやりと明るい廊下の天井も…
試しに腕を上げようとすると身体が異様に重い。ぬぐぐぐ、何だっけこれ。どこかでこんな感覚に覚えが。中埜が再び回転しながら足を伸ばしてくる。手元の鍵はフェイクで本当の攻撃はこっち。異様に重い手を何とか持ち上げて目の前の中埜の足を片手でスイと除けてみる。中埜は止まってこそいないがじっとりとスローモーションで動いている。まだ俺がそんな動きをしたと言う事に気付いていない様に視線がいなされた先にズレていく。俺はそのまま除けた中埜の足首を掴んで軸足を払い上げた。モチロン俺の足も体も重油のプールで泳いでるみたいにもったりと重たいのだが、それでも全く動けないわけではない。中埜の首がほんの少しだけこちらを向いた。双眸がみるみる開き、やがて視線が合った。刹那。
ズバンッッ!!
激しい衝突音と共に世界に速度が戻った。ドリルの様にひどい回転をしながら中埜の肢体がぶっ飛んで廊下を跳ねる。俺も急激なGを感じて反対側の廊下に転がった。
「う、ぐ、…」
文字通り生身のまま転げた中埜は流石に応えたらしく、うつ伏せの姿勢のまままだ起き上がれずにいる。
俺は一足早く身体を起こすと、膝カックンに使った方の回収機を拾って中埜の方へ駆け出した。鍵を飲み込んだ今なら、中埜ごと回収ができるはずだ。たぶん。石を飲み込んだだけの俺もそうなんだから。そうでないと困る。
俺が駆け寄るより先に中埜が転がりながら身を起こした。フラフラの状態に見えるのに、信じられない跳躍をすると壁を蹴って再び俺に向かってくる。鍵がゆっくりと俺の目に向かってくる。
最低限の動きでその鍵を避けると、俺は渾身の力を振り絞って箱型の回収機で中埜の顔に殴りかかった。
バヂンッッ!!
ゴムが弾けるような音と共に、中埜の身体が壁面に吹き飛び、天井を経由してその場に墜落した。
鮮やか過ぎるクロスカウンターの反動は、俺の右肘にも確かにしびれをきたしている。
ハールディはしばらくピクリとも動かなかったが、俺が息を整える頃には起き上がろうとする素振りを見せた。信じられない。何で動けるんだ本当に。
視界表示を確認するとハールディの表示が、良くない色に発報している。見なかった事にしよう。しかしこれなら飛びかかってくることも無さそうだ。
「ハールディ、つかぬ事を聞くが。」
十分に距離をとった所から話しかける。ハールディはほんの少しだけ首を持ち上げてこちらを睨んだ。口の中を切ったのか、端から血が見える。硬い回収機でのカウンターを受けたにしては綺麗すぎる顔の状態だが、流石に口内は無事では済まなかったようだ。歯とか折れてないだろうな…そしたらすまん中埜。
「ザスロ回収機で生き物を回収するとどうなるんだ。まさか死んだりしないよな。」
ハールディはすぐには返事ができないようで、何度か荒い息をしたあと口の中から血の塊を吐き捨てた。
「それは…俺を回収するって、事だよね。さぁ、…どうだろうな…。」
ハールディが眉間のシワを緩めた。
「やったこと、無いな。はは、…まいった、こんなに強いフェチケが、残ってたとは…いや、新しく参加、したのかな。」
苦しげに肩で息をしている。唸りながら片手で身を転がして仰向けになった。
「ああ…悔しいな。シュウと、一緒ならこうは、ならなかったのに。」
新は内心ドキリとした。そうだ、俺がハールディに勝ったんじゃない。オグが落ちて中埜の魂が奪われたお陰で今俺はこうしていられる。よく言えばうまいタイミングを狙ってリベンジを果たしたともいえるが。というかノビかけの割に余裕があって怖い。また飛び掛ってきたりしないだろうな。
新は心配したが、実は先のセリフはハールディに今出来る精一杯の強がりだった。見えなかったのだ。新の動きがほんの残像ですら。それは例えば中埜の身体がシュウになったからといって必ずしも補える能力ではない。2合交える間に既にハールディの戦意は折れていた。
「レン、落ちる前に教えて。君、何者なの。」
「ナニと言われても…そのままなんだが。」
いやむしろ俺が何なのか自分が一番分かってない気もしなくも無い。ハールディは一言、そう、とだけ呟いて左手を天井にかざした。目元に影が落ちる。仰向けなので眩しかったのかも知れない。
「困ったな。シュウに黙って落ちると、後でどやされそうだ。」
「あれ、シュウってのは地球人のペアじゃ無いのか。」
「君はどやされない?ペアによるのかな。」
はは、と乾いた笑いが廊下に響いた。反響を聞いて焦る。そうだ、呑気に会話してる場合じゃ無い。誰かに見つかったら大事だ。視界内の表示を見る。
「えーとそれじゃあ、ハールディ…ベゴーニャ?と中埜の身体、回収するぞ。」
「ナカノっていうの、この子。」
「へ?」
「そうか、ナカノ。へぇ。…最後に名前を聞けてよかった。」
俺は色々聞きたくなるのをぐっとこらえて、回収機を展開した。箱が球体になっていく。
「レン、ナカノを大切にしてやれよ。」
流石に聞き捨てならなかった。聞き間違いでなければ。何でそんなことをコイツに言われなきゃならない。ハールディはかざした左手をおでこに載せて口元だけで笑っている。時間稼ぎとかじゃ無いだろうな。
「君と目が合うと動きにくくなるんだ、この子。目を外らせなくなる。」
俺は回収機を取り落としそうになった。知らずに片手で頬を撫でてしまう。いや、確かにレンザァルの顔のはずだが。
口を開くと何か余計な事を話してしまいそうで、俺は改めて回収機のスイッチを確認する。
「君達のおかげで思い出した。俺にも大切な相手が居たんだよ。でも何年ももう会ってない。」
聞いたらダメだ。興味を持ったらダメだ。今までだって、こいつらの普段の生活や、文化や、世界そのものが存在する事を意識しないようにしてきたんだ。
「古代種の複製体の中でも旧い子でね、名前は…何て言ったかな。」
大切なやつなのに何で名前が曖昧なんだよ。じゃ、なくて、ええと。まずは起動させないと。
「魂の存在、信じるかい?」
起動スイッチが目の前にあるのに、俺は押せずにいる。
その問いかけは、あまりにもクリティカルだ。
象限って、そしてペアって、何なんだ。俺の中にあるらしいのに感じられないこの石や、レンザァルの意識は。
「俺の鍵の事を教えてあげる。この島のカラクリも、シュウの事も。代わりにその子の事を教えてもらえないかな。」
こいつは何故今それをこの場で俺に頼むのだろう。恐らく俺がこいつの話に少なからぬ関心がある事は身振りでバレてしまっているかもしれない。心を読んだようにハールディが続ける。
「古代種のくせにフェチケ側で参加してるらしいんだ。俺は彼女を探してこのフィールドに参加したんだ。最後まで残ればいつかは会えると思って。でも、まだ会えてない。落ちたら次に会えるのはきっとずっと先になる。」
アズに代表されるフェチケの面子は全くと言っていいほど話は聞かないし、質問にも答えてくれないし、レンザァルだって肝心な時ほどサポートしてくれない。いっそ今この場でハールディ相手にアレコレ尋ねた方が余程情報量があるんじゃないか。
「同じフィールドに参加できるのはほんの一握り、いや奇跡に近い確率だから。上に戻ったら尚更、俺たちヴァルルカンが古代種に会えるチャンスは無い。それは君も分かるだろ。」
分からない。俺には何も分からない。そも何を言ってるのか半分くらい分からない。こいつが突然話し出した内容のどこからどこまでが本心で、どこからが今この場を取り繕うための方便なのか。
(新、心外なんだけど。)
頭の中に聞き覚えのある誰かさんの声がして、俺は目を閉じた。何も口には出してないぜ俺は。
(そんな程度の事を話してもらうくらいならボク等がさっさと視てあげる。忘れたの?リラもイクスも揃っててボクまで居るんだよ?こんなフィールド見た事ないけど。)
だから、それがすごいのかどうなのか分からないんだってば。お前等の基準と俺の躓いているポイントは日本とブラジルくらい離れてるんだって。
心の中だけで返事をしても伝わって居ない事は分かっている。数少ない俺の把握している事象の一つだ。でも敢えて言わない。そうか、俺が聞くのを諦めているだけなのかもな。気づいちゃうあたり俺も大人になったんかな。アハ。
「ハールディ、俺も一つ思い出した。」
目を開ける。
ハールディが額に置いていた左手を降ろしたので、自然と目が合った。期待に光る目は中埜のそれだが、やはりどこか違和感がある。
中埜ならこういう時7割くらいの確率で変顔してくる。シリアスな場面だけに。思い出すと色々と見え方も変わってくる。視界が妙にクリアになった。
「俺はものすごくテキトーな性格だったんだわ。」
ハールディはきっと意味がよく分からなかったんだろう。“え”の口のまま固まっている。
思わず、苦笑が漏れた。
久々に何だかどうでもよくなって、笑い声が溢れる。
はぁ、そうそうその顔。
ザマーミロ、ヴァルルカン。
回収機が起動すると、柔らかなレーザ光が中埜の輪郭をなぞった。




