小学生と秘密基地3
新城新は秘密基地でぼんやりとしていた。
「なぁ、そういえばもう一つ訊きたいことがあるんだけどさ。」
すっかり馴染んでしまった友人に話しかける。銀色のヒーロースーツを着た子ども。と、その辺に居そうなごく普通の大学生。
「すまん…けど、どうしても思い出せないんだ。」
異常な光景だろうが、どうせここには2人しかいない。誰が来ることもない。キヴァトは帰ったばかりだし。
「お前の名前、もう一回教えてもらっていいか?」
答えるかわりにガンダイバー姿の子どもはそっと立ち上がって基地を出た。俺も後をついて外に出る。妙に居心地のいい草の中。天気も良く、気温も湿度も丁度いい。呼吸の度に夏の草の香りがする。
出て行ったはずの友人の姿はそこにはなく、少し離れた川縁から声がする。子どもの頃の俺と、当時のアイツが遊んでいるんだろう。
近づいてみると、しかしどうも様子が違っていた。
「新…。」
川に向かって体育座りをしているちっこい俺の隣で、同じサイズのガンダイバーが心配そうに声をかけている。
「仕方ないよ。そういう事って、よくあるんでしょ。」
“新”は顔を膝の間に埋めたままで小さく頭を横に振った。
「ほとんどのみんなは違う。ぼくんちだけだよ。」
頭に小石がぶつかるような感覚があった。
家庭の事情。
当たり前のことだけど、当時の俺には選択肢は何一つ与えられていなくて。
「嫌だよ。ぼく、もうどこにも行きたくない。」
また一つ、頭に小石がぶつかる。
さっきよりちょっと大きい。
もちろん実際に何かがぶつかってきているという訳ではないのだが、ぶつかったあたりに微かな頭痛がしている。
子どもの頃から転居を繰り返していたことはよく覚えている。しかしいつだったろう、この原っぱを出たのは?ここから引っ越していった記憶はまだ何だか酷く曖昧だ。
「やっと友達になれたのに。」
この後にも先にも俺には“友達”というものが居た記憶が無い。幸いな事にいじめのようなものにあっていたことはないし、一緒に遊ぶ間柄のやつが全く居なかったというわけでもない。どのクラスにも溶け込めてはいなかったのだが、浮いていたという程でもない。強いて言うなら“触れていた”だろうか。空気に近い存在で、居るなら居るで邪魔ではない、ただ真っ先に遊びに誘うかというとそうではない。誰からも0.5歩くらい引いた位置にいて、ぼんやりと過してきた。
クラス対抗の競技のようなものがあった時にも、人並みに盛り上がったり悔しかった記憶はあるのだが、それをキチンと分かち合えていたかと言われると…どうだろう。
そういえば誰かと取っ組み合いでケンカをしたような経験もない。それらはすべて俺の外の世界のオハナシだった。比較的仲のよかった奴らはそれなりに思い出せるのだが、今ではそいつらの連絡先をひとつも知らないし、知っていたところで連絡をとりたいかと言われればきっとお互いに首を傾げるところだと思う。
寂しいヤツだと言われればぐうの音も出ない訳だが、何より俺自身がそれで困っていない。
ま、いいか、といつも思っている。
…ああでも高校を卒業したあたりから、何だか周りが騒がしくなってきたことは否めないな。俺から積極的に関わりたいと思うような相手は相変わらずいないんだが。
唐突にアレコレ思い出の反芻をしてしまったのは、しかし目の前のこの時だけは、そうではなかったということを思い出しかけているからだ。
「ごめんね新。ボクは“ここ”から出ることが出来ないんだ。新がいつもみたいに入ってきてくれるなら、会う事はできると思うんだけど。」
“新”は頭を振った。
「今度はうんと遠くに行くんだって聞いてる。ひとりじゃとても帰ってこれないよ。」
おい“俺”。会話、噛み合ってねぇぞ。
「来れるとしたら、はやくても中学生くらいになってからじゃないかな。とにかくずっと先になる。」
そう言って上げた新の顔は、横から遠目に見ただけでもくしゃくしゃだった。今にも泣き出しそうな瞼を無理矢理に開いて堪えようとしている。見ている間にそれが限界を迎えて、瞳の輪郭が大きくぶれた。
あんな顔したこと、あったんだな。
自分の涙のはずなのに、何だかものすごく他人事に思えた。今目の前で見ている光景がまったく記憶に無いせいだろうか。
確かに俺は昔この原っぱの近くに住んでいた。そしてその後ほどなくしてまた引越ししている。
だがその間に何があったのか、目覚めると思い出せない。
カツン
また小石が頭を叩いた。
隣に小さなガンダイバーが立っている。
「ボクの名前はこの記憶の鍵になってる。新の記憶はザールゥクとしての機能と共に停止されていたんだけど、今は少し流れ始めているみたい。それでもまだ抑制状態だ。」
「俺が完全に思い出したとしたらどうなるんだ?」
「意思があるのは初めての事象なんだ。」
「…よく分からないってことだな。」
それでも。
「なぁ、バカみたいな話なのかも知れないんだけど。」
それがどれだけ面倒な物事を運んで来るんだとしても。
「またお前に会いたいんだ。ああ、今も何故かこうして会ってるんだけど、そうじゃなくて、その、起きてる時にな。あの時よりも俺も随分大きくなってさ。今ならそうだな、正確な場所はすぐには思い出せないけど、何とか探してさ。交通費…手持ちはないけど何とか貯める。それで会いに行くよ。まだ、ここに居るんだろ?」
「新…。」
「ほら、こういう時名前が分からないと不便だ。」
じっと見上げられて、俺は小首を傾げる。ソイツが笑った気がした。
「新本人が異次象限経由で接続している今なら強い意思の効果が分散できるかも知れない。多重接続は難し過ぎるし、確かに開くなら現実的にはこの条件が最適だね。」
急に日が翳る。
いつの間にか空を覆っていた影に気づいた。
あ?何だ、アレ…?
ゾッと背筋を走る感覚。
頭痛が強くなり、鼓動の走りに合わせて全身が強張る。この先に何か恐ろしいものが在る、ということを全身がアピールしてきている。
「手伝うよ。もう1人の新をサポートしてあげてね。気を強く保って。磨り潰されないように。」
「待て。既に物凄く不快感が溢れていてそれどころじゃなくなりそうなんだが。」
「これから比じゃないくらいになる。何せ"死の意思"だ。身体の苦しさとは別種の辛さだと思うけど、大丈夫。多分死ぬ事はない。はずだから。」
「不穏過ぎる上に何で曖昧なんだよ。不安しかないぞ。」
「やめておく?」
きっと覆面の下で、にっこりと笑っているに違いない。
「そうしたらお前はまた、居なかったことになっちまうんだよな。」
正直物凄く悩んだ。何せ今の状態でも半端なく気持ち悪い。吐きそうな、というのとも違う。そんな生易しいもんじゃない。いっそ意識を手放したいくらいの感覚だ。インフルエンザの時でももう少しマシだったと思う。
それでも。
「嫌だ。俺は知りたい。いや、思い出したい。人生唯一の友だちの事を俺の都合で忘れてるなんて、許されるもんじゃない。と、思う。他の事はどうでもいいけど、それだけは嫌だ。俺自身が。」
「…それだけの意思があればきっと大丈夫。」
こんなに強く何かを思ったのはいつ以来だったっけかな。手近な記憶にないことは確かだ。
「ありがとう、新。」
御礼を言われるような事なんだろうか。むしろ俺が全力で謝らないといけない気がする。よし、無事に目が覚めてこいつに会いに行ったら真っ先に謝ろう。うん。フラグではない。
…ないよな?
カツン
雲よりも遥か下、空の低いところに巨大な影が浮いている。影はちょうど子ども2人の上空に居て、少し離れたところにいる俺たちにはその端の方がかかっている。下から見上げると、かなり大きい。クジラみたいだ。
もちろんこれは記憶の中の景色のはずで、この影自体に関しては今の俺に危険は無いのだろう…いや、だとすればこの時、目の前のこの当時、俺たちの頭上にこの影があったということだ。こんなプレッシャーを放つ物体がすぐ近くに居て無事に済んだと思えないんだが。それともこれはコチラ側の物体なのか?いや、無事に済まなかったから俺が忘れていたのか。正直なところ、頭痛が酷くて考えがまとまらない。
「どこにも…行きたくないよ…。」
"新"がしゃくりあげながら呟くと、その言葉が呼気のように空に昇った。それを吸った影がまた一つ大きくなる。突然現れたのものではなく、こうして徐々に吐き出されたものらしい。
いや、だからどういう事なの当時の俺。やっぱり食ったらまずかったんじゃないか、あの変な石。
さっきから冷や汗が止まりそうもない。心臓もバクバクしている。これはヤバイ。このままこの光景を見続けると確実に今の俺がヤバイ。何だかよく分からないがそれだけは直感している。死の意思って何だよ。物騒過ぎるだろ。
――新、本当にいいの。
不安そうな友人の声がした、ような気がする。頭痛のせいで耳がおかしくなっているのか、どこか遠くで響いているような感じだ。
俺は苦笑する。何かを決める時、こいつがよくそうやって俺に訊いてくれていた事を思い出した。そう言われた時の答えは大抵、決まっていただろ。
――分かった。それが新の意思なら。
ビシッ
一際激しい頭痛。
硬いものにヒビが入る音。
ぞわぞわと這い上がる悪寒が無視をできないレベルに高まって俺は歯を食いしばった。脚は馬鹿みたいに震えている。その場に今すぐ崩れ落ちたいくらいだが、身体は思うように動かない。
「いやだ。引越しするくらいならぼく、…死んだ方がマシだ。」
その口から溢れ出した音は空の影に吸い込まれていく。
「ダメだよ!こんな所でそんな事言ったら!」
突然そいつが叫んだので、新は驚いて顔を上げた。その頭上では新の言葉を吸い込んだ影が苦しげに膨れ上がる。
「第5象限ではザールゥクの“意思”は強すぎるんだ。周辺象限にも影響が出てる。思い直して新、強く!そうじゃないと、自分の意思で自分を…」
新の願いは空一面に広がった。
そして
ゆっくりと粘度の高い影が垂れてくる。
水飴のような闇が、じっとりと、そこかしこから。
「だって、どうしたらいいの。」
すごく痛いんだよ。心臓が。
「半分になっちゃいそうなくらい。」
原っぱはそのほとんどが影に沈んで今にもかき消えそうだ。
「…はじめてできた友達なんだ。」
影が、周囲の世界を包んだ。
「レンザァル、どこにも行かないで。」
――ウギィエルゥシチェ メグァベェメネトゥ。
いつの間にか伸ばしていた新の手を、小さな両手がそっと包んだ。その周囲がほんのりと明るくなる。
「うん。ボクはどこにもいかないよ。それが新の意思なら。」
彼は右手だけを持ち上げると、その指を折りながら言葉を紡ぐ。
「選択肢は幾つかある。まず一つ。参加者によるザールゥクの回収。新は一時的に本部に保護される。ただし、回収のためにはいずれかの参加者との接触を待たねばならない。二つ。ザールゥクの破壊。ルールにより破壊に伴ってボクが形式上一度落ち、参加者として再参加しにくる。破壊のためには同様に参加者との接触を待つか、あるいは自損も可能だけど、自損の場合ボクの再参加の許可が降りるかは不明。三つ。ザールゥクを停止する。代わりにボクは今このまま、ここに居られる。」
新は虚ろな目から大粒の涙を流している。話している間にも世界を飲み込んだ闇は、足元から這い上がってきている。膝の下までは既に沈んで見えない。
「どれか選んで!このままじゃ、こんなに強い意思が働いていたら、本当に死んじゃうよ!」
「3つの中から、どれかを選べばいいの?」
「そう。ボクにインプットしてくれるだけでいい。」
闇が腰まで広がった。心音が小さくなる。なんだかとても眠い。
「難しくてよく、わからないんだけど…時間がかかるのも、レンザァルが大変なのも、ぼくは嫌だな。」
「ザールゥクを、停止するんだね。」
半分眠ったような頭で、何とか友だちの声に耳を寄せる。瞼が重い。目が開かなくなってきた。
「そうしたら…どこにも行かなくていいのかな。」
「うん。ボクはどこにも行かないよ。」
「…じゃあ、それにするよレンザァル。」
「ウギィエルゥシチェ メグァベェメネトゥ。…ザールゥクを停止する。」
ずっと、待ってる。
影が晴れると、新は一人で原っぱに座り込んでいた。
どうしてこんな所に居て泣いているのか、何がそんなに悲しかったのかもわからなかった。
対岸で釣りをしているおじさんや、夏休みを満喫している同年代の子たちのはしゃぎ声が溢れている。
自転車のベルと風鈴の音が混ざって、飛行機雲の跡がいつまでも空を駆けていた。
秘密基地を作っていたような気がしたけれど、そんなものは原っぱ中どこにも無かった。
おかしいなぁ。
ま、いいか。
後で分かったことだが、どうやらこの夏、俺はちょくちょくいなくなっていたらしい。
半日とかのレベルではなく、下手をすると1週間近く帰らないこともザラで、しかも服装はいなくなった当日のまま、本人も自覚がなく。
…まさかそれがこのひと夏だけでまた引っ越しせざるを得ない理由だったんじゃないだろうな。




