秘密組織と浮遊島1
新城新は、声に気づいて草の隙間から顔を出した。
暑いような、肌寒いような。
空気は涼しく、日差しは妙に眩しかった。
(誰かの、泣いている声がする。)
実際にそれが泣き声だったのかは分からない。ただ、新にはその"音"が泣き声に聞こえた。草を編んだ根城から這い出ると、新はさっそく声を頼りに河原を進んだ。
背の高い草むらの端に着くと、声はいよいよ大きくなる。果たして、そこには声の主が落ちていた。
「…シェギツ…ネケン…」
「どうしたらいいの。」
「ボチャシュ…メグ」
新はポケットから薄い円筒状のアルミ缶を取り出した。ふたを開けると、白いドロップが一粒だけ入っていた。そっと差し出す。
満たされていく。
その様をじっと見ていた。
「クスヌマッシェギィトエギトゥ。エズエギィ、クズヌゥ…。」
そんなつもりは、無かったのだけれど。
いつの間にか新の掌には、小さな石ころがのっていた。鈍い光沢を放つそれは、淡い砂糖菓子のような匂いがする。
それから、どうしたんだっけ。
新が目を覚ますと淡い光と緑が見えた。
カウチソファで寝ていたらしい。
身を起こしてしばらくぼんやりとしていたが、やがて己の身に起きたことを思い出した。日が昇っている。夜の内に臼井数人の車に乗り込んだはずだった。
あらためて首を巡らせると、変わった部屋だった。10畳ほどの洋風の部屋で、ドアと反対側の、天井から壁にかけてが球面状の大きなガラス窓になっている。カーテンは無く、窓一面を埋め尽くす森と葉の隙間からこぼれる日が柔らかく部屋を照らしていた。家具は作り付けのテーブルと木製の椅子、新の寝ていたカウチソファ、背の低いガラステーブル、やはり作り付けのがらんどうの棚。二つあるドアの一つを開けると洗面室で、その先はトイレとシャワールームになっていた。ベッドの無いホテルの部屋のようだ。少しためらってからもう一つのドアノブに手を掛けた。意外なことに、すんなりとドアは開いた。
どう考えるべきか。おそらくここはヴァルルカンの拠点、シェツレットボゥシェであると思われる。歩き回っていいものだろうか。鍵がかかっていなかったところからすると、逃げ出す心配は無いと踏んでいるのだろうが。
(ま、いいか…。)
部屋でじっとしていても仕方ない。新は廊下に足を向けた。
廊下は短かった。宿泊施設のようにドアがいくつか並んでいたが、少し歩くと階段に出た。迷わず下向きを選び階段を降りる。外に出るには降りないと。階段はそのまま玄関ホールに繋がっていた。拍子抜けするほど簡単に外へのドアを開ける。
外に出ると、爽やかな森が視界いっぱいに広がっていた。建物などの頭は見えない。葉擦れと鳥のさえずり。
思いついて、建物の裏手に回ってみた。裏手に行くに従い小高くなる斜面に合わせて、急な石の階段がある。階段を登ると、頂上に出た。平坦な白いコンクリートの細い道が、森の先から光を運んでいる。背中側には先ほどまでいた建物がある。頭に球面をぽこぽことくっつけたような変わった建物だった。新はゆっくりと小道を抜けた。
視界が広がる。半ば予想はしていたのだが、これは流石にショックな眺めだ。
足元は崖になっていた。
崖、というのは正確ではないのかもしれない。足元が抉れる形で凹んでいるらしく、少し下の地面や根っこから先は、飛んで海しか見えない。遠くには対岸の陸地が見える。岬にでもいるのか、手前の島の全容は木立に紛れて確認はできなかった。ただ一つ分かるのは、今やや標高の高い所にいるということ。
「探したじゃないか。」
声に振り返ると、臼井数人がちょうど階段を登りきった所だった。昨晩とは服装が変わって、白衣を着ている。眼鏡はしていない。
「ようこそ、真珠島へ。」
予想通りの答えに、疑問符がたくさんつく。何故ここに?何故俺を?これからどうするつもりだ?
「いい眺めでしょ?俺、ここは結構気に入ってるんだよね。浮遊要塞。まさに要塞。」
新の心の声にはお構い無しで、臼井数人はよく喋る。
「エルゥの趣味だと思うけど、浮かせるためにあのハルを説得するなんて、まぁよくやってくれたと思うよ。」
「浮かせる?」
「そう、島をね。お茶でも飲まないかい?俺はどうも立ち話が嫌いでさ。」
思わず口をついた疑問への、あまりにあっさりした回答に、新は会話を反芻する。
島を浮かせたのはヴァルルカンの能力だか装置だかだということか。それ以前は真珠島は普通の海に浮かぶ島だったと。ハルというのはハールディという奴の事だろうか。エルゥは初めて聞く名前だと思う。記憶力は悪くない。アズから聞いていたのはヌリエラ、キヴァト、ハールディ、オレオツァエ、ケズデットの五人だけだ。
「ハーブティーとコーヒーどっちがいい?俺はコーヒーにするけど!」
白衣の青年は言うだけ言って、立ちすくむ新を待たずに階段を降り始めた。
「…ハーブティーにするか。」
ポツリと呟いて、後を追いかけた。
「君を連れてきたのは他でもない。」
「はぁ、」
出されたハーブティーはよく分からない味だった。色はほぼ透明でほんのりと赤味がかっている。睡眠薬は入っていない。
「どうかヴァルルカンの側についてもらえないだろうか。」
「はぁ。」
唐突に切り出された提案に、思わず生返事が出た。
「何でまた、オレなんか?」
「新城新くん。そもそもどうしてフェチケ側にいるの、君。何となくとかなら、問題ないだろうコッチでも。」
「そう言われると、困りますが。」
正直面食らっている。二人は先ほどの建物の一階部分にある、カフェテリアのような部屋にいた。コーヒーとハーブティーを囲みながらするような話なんだろうか。いや、他に何を囲めば似合うのかは分からないんだが。
「ええと、それは具体的に何がどう変わるんでしょうか。」
「人質という扱いからスパイという扱いに、いわばヘッドハンティングされているという理解でいいよ。生活は今までと変わらなくて結構。ただ、俺らの味方として動いてくれればいい。」
「スパイ、ですか。」
「君のことを色々調べてみたんだけどね、まぁぶっちゃけ、よくわからなかった。だから勧誘することにした。」
「はぁ。」
生返事するしかない。テーブルの向かいに座る臼井数人は、コーヒーに口をつけるとちょっと眉をしかめた。砂糖を二つ足して、クルクルとスプーンで混ぜる。
「どう調べても君がフェチケとペアとは思えない。でも民間人でもない。よく分からない。」
「断ると、どうなります?」
「島で自由にしてていいよ。監禁とかはしない。味方になれば家との送迎をつけてあげる。島にも出入り自由。」
自由に、と言われてもそれは島の構造的に監禁と変わらない気がする。しかし、成り行きとはいえ関わることになった充斉や三笠達を簡単に売るわけにはいかないだろう。
「あと、必要なら、給料も出すよ。」
「給料!?」
思わずガタついた。
「バイト代くらい出さないと、割に合わないでしょ?夜中とかタダ働きならやってられないよ。」
初耳だぞアズ。ヴァルルカンは給料が出るらしいぞ。今までのオレの頑張りには給料は出ないのか。どうなんだ。
「少し、考えても?」
「どうぞ。時間ならたっぷりある。気の向いた時に声をかけてくれればいいから。それまではここで好きにしてたらいい。」
臼井数人は小さなカップに砂糖をもう一つ入れた。右手のスプーンでコーヒーをかき回しながら、空いた左手を新の方に差し出した。手のひらが上を向いている。何を求められているのだろう。
「島の中での連絡にはこれを使って。」
白衣の左手がくるりと翻ると、いつの間にかその手に携帯電話が握られていた。目を離していなかったはずなのに、薄型とはいえどこからそんなものが出てきたのだろう。少し古いデザインの二つ折り携帯を受け取り、開いてみる。携帯電話ではなかった。いや、携帯かもしれないのだが、いつかヌリエラが使っていたような、文字盤のところに模様の描かれた変わったデバイスだった。
「いつか、驚かせてみたいね、君。ここまで反応が薄いと逆に張り合いがある。」
「…十分驚いてます。」
「そんなに堅苦しく話さなくていい。仲間になるんだから。」
「まだその返事をしてませんし、先輩ですし、」
「オレオでいい。」
聞き返す間も無く白衣が続ける。
「名乗るのを忘れていた。ラミアレシュ=オレオツァエだ。オレオでいい。それと、タメ口で構わない。俺は君の先輩じゃない。」
「はぁ。」
二度も言われたらそう呼ばざるを得ない。
「ちなみに給料の件だけど、これだけ出る。」
臼井、もといオレオは白衣のポケットから携帯を取り出すと、パチパチと操作した。新の手元の携帯(?)にメッセージマークらしきものが光る。十字キーの真ん中のボタンが決定キーだと踏んで、いくつか操作すると日本語の書類が浮かび上がった。文字通り、浮かび上がった。目の前に半透明の書類が3D表示されている。やばい、楽しい。いや、それよりも中身がだな。
新は目を疑った。
「どう?コンビニバイトより、たぶんいい仕事だと思うんだけどな。」
ちょっと、本格的に転職を考え始めた。
用件を終えたオレオは、研究があるから、と森の中へ消えていった。何の研究なのかは怖くて聞けなかった。ぽつりと残されたので、とりあえず島の中を探索することにする。
森の中には舗装された道は無いようだった。大きな木ばかりが目立つせいか、背の低い木や下草はあまり多くなく、どちらかというと歩きやすい。道も起伏は少なく平坦だ。しばらく進むと、木々が減り、唐突に建物が現れた。
でかい。第一印象。
建物、だよな?第二印象。
しばらく呆然と見上げたそれは、多角柱形状の縦に細長い形をしていた。窓がないせいか、真四角ではないからなのか、ビルというより塔と言った方が似合うかもしれない。これだけ背が高ければ先ほどの崖の上からでも見えていそうなものだが、全く気がつかなかった。黒曜石のような外壁に沿ってぐるりとまわると、やがて入り口らしきところに出た。外壁の一部にドアほどの大きさの直方体の切れ目が入っているだけだが、入り口じゃないんだろうか。当然、ノブや鍵穴など無い。切り込みを指でなぞると、滑らかな黒い壁はヒンヤリとしていた。
「あ?」
ふいに、なぞった箇所が光を帯びた。
触れた箇所から切り込みに沿って光が伸びる。
まずい、何かやっちまったか。
入り口の形に光がまわると、次いで囲みの中の壁がスルリと溶け落ちた。溶けた壁はどこかへ消えてしまったようで、目の前にポッカリと塔の入り口が現れた。不意打ちされて面食らう。そう、俺だって驚いていないわけではない。単に表に出て行く反応が薄いだけだ。
開いたからには入っていいのだろうか。この辺りの常識の基準というか、文化の違いについてオレオに聞いておくんだった。ただまぁ、仲間未満だが少なくとも人質をいきなり攻撃したりとか、そういう事は無いはずだ。うん。
早い話が、好奇心に負けた。
新は塔の入り口へ一歩を踏み出す。
すんなりと中に入ると、自動で入り口の壁が復元した。外から見た時と同じように、その壁には四角形の切れ目が入っている。切れ目に触れると、先ほどと同じく壁面が溶け落ちて、再び森が見えた。そこまで確認して、少しほっとする。よく見るマンガのように閉じ込められたりはしないようだ。
何か変なものとか突然出てきたりしないだろうな。
改めて建物の内部に向き直ると、一つ呼吸を整えてから、新は内部へと歩みを進めた。




