HEROと黒い箱7
「…はっ。」
墾乃理愛は目を覚ました。
ものすごく長い夢を見ていたような気がする。今が何時で、ここがどこなのか分からない。自分の部屋のはずだった。パジャマに寝汗をびっしょりとかいている。少し寒い。そして、背中が痛い。
葉擦れの音に気付いて、がばりと起き上がった。外にいる。草むらで寝ていたようだ。周りには月明かりと遠い街灯しかない。どうしてこんなところで…?
頭が痛かった。ふと、横を見る。
すぐ真横のソレに気付いて、乃理愛はびくりと体を震わせた。
目の前に、長い鋸が突き立ててあった。
「あ…、」
乃理愛の頭に、様々な記憶がどろりと流れ出す。
「あたし…。」
鋸が、キラリと光った。ズルリと鋸が引き抜かれる。乃理愛は顔を上げた。シルエットだけの誰かが立っていた。鋸を握りしめている人物は、二、三度刀身を振って土を払うと、つぅと刃の表面をひと撫でする。
「小娘の皮を被った化物め。忌々(いまいま)しい。」
それは嗄れた老爺の声に聞こえた。
「やっと息ができる。ああ涼しい。ああ、喉が渇いた。」
じっとりとシルエットが乃理愛を振り返った。乃理愛は動くことができない。呼吸すらも、忘れてしまいそうだ。
「ちょうどいいね。お前は一度も私に触れなかったからね。最期になるけど、しっかり握手でもしようじゃないか。」
空色のパーカーが一歩近づいてきた。目は虚ろで、曇っている。
中埜が、無造作に鋸を振り上げた。
「…ヒ…ッ…」
声が恐怖でうまく出せない。座ったままの姿勢で、振り下ろされる刃物をただ眺めていた。
ザンッッ…!
虫の声に、目を開けた。
身体は芯から冷えている。
目と鼻の先に、鋸の刃が浮かんで揺れていた。
「あ…。」
「このヤロウ、コイツも言うこと聞きやしねぇ!」
涙の先の目の前で、空色のパーカーが、じっと歯を食いしばって鋸を構えていた。腕がブルブルと震えている。
「逃げ、ろ、乃理愛、早く!アタシが負ける前に…!」
「ヌリエラ…。」
ヌリエラの声だった。
「邪魔しやがって。」
再び漏れたのは老爺の声。
中埜の姿をした人物は、鋸を構えて何かと戦っている。目の前にいる乃理愛を、狂おしい程に守りたくて。
狂おしい程に斬り刻みたくて。
「だから協力者も民間人もぉぉ、嫌いなんだよねぇぇぇ。」
重い荷物を目一杯引き上げるような様子で、中埜が鋸を身に引き寄せる。
乃理愛は何とか立ち上がろうとするが、腰が抜けたのかうまく力が入らない。ようやく草を千切りながら四つん這いの姿勢になると、匍匐前進のようにして緩々と前に進み出す。
背中で苦しげな悲鳴が上がった。泣きじゃくりながら一這いずつ何とか進む。
「乃理愛ぇッ!」
ヌリエラの声に振り向くと、再び鋸が高く掲げられているのが目に入った。あれだけ苦労して進んだのに、ちっとも離れていなかった。
「ハル…助けて…。」
呟いた中埜の目にも、雫が見えた。
「…ッ」
遠くで誰かの叫ぶ声がする。
ゆらゆらと揺れていた鋸が、ピタリと止まった。
「…!…!」
繰り返し、繰り返し。誰かの叫ぶ声がする。
誰かを呼ぶ、声がする。
「…中埜ッ!」
「新くん!?どこっ!?」
勢いよく中埜が振り返った。
ザクッ
勢いそのままに適当な地面に鋸を突き立てる。
「中埜ーッ!その鋸から手を離せ!」
「もう離しとるけどっ!?」
「…えっ。」
遠くから駆けつけたのは銀色マスクの催事場ヒーローと、その小脇に抱えられている大学生だった。芝生の手前まで来ると軽く跳躍してすぐ近くに着地する。
「ちょっと、新くん何やその斬新な移動方法?」
「そこ突っ込むとこじゃねぇだろ!?ていうか今さっきまですごいシリアスな場面じゃ無かったか?」
「ん…?そういえば。」
振り向くと目の前にボロボロに泣き崩れている女の子が居た。
「ああっ!ごめん、ゴメンナサイ!?ボクなんかすごく不届きな事してた気がする!?」
「ぐえっ」
アズがドサリと新を落とした。
「どいて敬。鋸を回収する。」
アズが腰のバッグから下敷きのようなデバイスを取り出した。中埜がパチクリ瞬きをする。
「ほぇ?あれ、そういえばオグは?ヌリエラは?」
「情報が確かなら、鋸がヌリエラだよ。それからオグはそっち。」
アズに指差された地面を見やると、例の黒い箱が落ちていた。
「ああん!ボクまたこんな大切なものをポトポト落として…!」
中埜がそっと箱を取り上げる。少し考えてから、ボソボソと箱に話しかけた。
新がようやく立ち上がったところで、柔らかな風があたりを包んだ。目の前の空色のパーカーが、銀緑のスーツにすり替わっていた。聞き落としそうな小声で、オグがポツリと喋る。
「…ビックリした…。」
「何がどうなってああなってたのか知らないが、とにかく回収するぞ。」
アズが下敷きのデバイスを操作すると、緑色の光が画面上にくるりと踊った。
「…あ、待ってアズ…。」
オグがそっと左手で制した。
「何?」
オグはチラリと新を見た後、乃理愛の元へ歩いて行った。オグが目の前にしゃがむと、乃理愛は少しびくりと震えた。
「…ヌリエラと、別れないといけない…。」
オグの澄んだ声がした。乃理愛が大きな瞳でオグを見つめ返した。
「…立てる…?」
乃理愛はコクリと頷くと、ゆっくりと立ち上がった。膝はまだガクガクと震えている。無理もない。
乃理愛はそのまま鋸の前までヨタヨタと歩いてくると、そっとその異形の刃物を見つめた。
「お話は…お話はできないの?」
恐る恐る、オグを見上げた。
「…うーん。第4まで落ちると…またややこしくなりそうだし…。」
オグが首を傾げてアズを見た。アズも下敷きを片手に、ほんの少し考えているように見える。新はよく分からないなりに今の状況を必死に考えていた。
「ええと…ヌリエラ、は、この鋸が正体ってことか?」
「いや、」
アズが小さく首を振る。
「そのフェギヴェルがヌリエラのペアだ。」
だからへぎべるって何なんですか、と聞ける雰囲気でも当然無いわけで。どうせなら他のことを聞こう。
「さらにつかぬ事を聞いてもいいか?」
新は乃理愛をチラリと見た。
「ええと、ヌリエラだった子だよな?話すも何も、その子が鋸持ったらいいんじゃないのか。」
「また重機に追いかけ回されてもいいならな。」
アズの一言でだんだん把握してきた新だった。
「じゃ、代わりに俺が取ったらどうな」
「やめろ!」
「やめて…。」
被せ気味に怒られた。
「さっきの敬を見ただろう。」
あれか。遠目にしか分からなかったが何やら事件の一歩手前だった気がする。
「なんだ、他人が持つと暴れるようにできてるのかその、武器とかのペアは?」
新の問いかけにオグが静かに答える。
「…ううん。それは道具がそういう物だからだよ。ボクのとかは単に古道具なだけだから暴れたりはしないよ…多分…。」
「そこ、曖昧なんだ?」
新の頬がやんわり引きつった。
ん、あれ、だとすると?
「その子は使いこなせてた?んだよな。」
新が乃理愛を見ると、びくりと震えてオグの後ろに一歩下がった。
「新、睨んじゃダメだよ。」
「睨んでねぇよ?!」
学課の同期をはじめ地球外生命体にまで言われたくない。目つきが悪いのは生まれつきなだけだ。
「あ、あたし…、」
乃理愛が口を開いたので、みんな彼女を見た。少し怯んでから、何とか続ける。
「あたし、それ、本物を見るのは初めてだよ。夢でなら、何度も見たけど。」
はた、とそれぞれの考えが交錯した。乃理愛は目を伏せている。
ええと、つまり?
「あたし、ずっと寝てたの。ヌリエラと会ってからずっと。」
「ずっと?」
「うん。一度も目を覚まさなかったと思う。どのくらい寝てたのかな。多分何日も寝てたんじゃないかな。」
新は思わず唸った。ヌリエラと会ってからと言うことは、少なくともヌリエラがこの世で観測されてからはずっとという事にならないか。
「それが本当なら、1日、2日のレベルじゃないな。はやく目が覚めたって家の人に言ってやらないと。」
乃理愛はそっと首を振った。その意味を計りそびれて、次の言葉を待つ。乃理愛はもう一度だけ、首を振った。
「誰もあたしの心配なんか、してないわ。クラスメイトも…家族も。」
重い。
この子、重いぞ。
そりゃそうか。こんな得体の知れない生命体(?)と行動を共にしようという人間に、平和で平凡な奴など居てたまるか。三笠にしろ中埜にしろ、新からしてみれば変人の類に他ならない。電波過ぎる。いや、それだと俺もそうなるのか…。
頭の中で次の言葉を探してぐるぐるしている目の前に、にゅうと手が伸びてきた。そのまま鋸の柄を掴む。
…え?
「あ。」
「…!」
いつの間にか、空色のパーカーが鋸の柄を握りしめていた。
「お前、なんで…!」
新が乃理愛を庇おうと一歩前に出たところで、ケラケラと笑い声が響いた。
「バカねぇ。乃理愛、アンタほんとバカよ。」
ヌリエラの声がした。
新はポカンと口を開けて、乃理愛と中埜を交互に見た。乃理愛も目を開いて固まっている。目の前の人物が、先程の怖い相手なのか、味方なのかを判じかねているようだ。
中埜が鋸を握る手を、そっと滑らせた。そのまま柄の天辺に指をあてがう様な触り方へ。この動作は攻撃のつもりが無いという意味だろうか。乃理愛から視線を外すと、中埜は目を細める。
「あーあ、アタシこそバカみたいじゃない。」
「なか…いや、ヌリエラ…か?」
新が聞くと目の前の中埜は不機嫌そうな表情に変わった。
「ヌリエラよ。ふん、アンタも誰かのペアだか何だか知らないけどよく見るわね。安心して頂戴。アタシの意思じゃ今動けないから。」
言うだけ言って、中埜は乃理愛を見た。二人の視線が合う。
「ヌリエラ…。」
「乃理愛、アンタ自分が思ってるほど一人ぼっちじゃないよ。」
「…。」
乃理愛は俯いて、小さく歯を食いしばった。
「帰りな。これから沢山心配かけさせてやりにさ。」
「…ヌリエラ、いっちゃヤダよ。」
「アタシも帰らなきゃ。あーあ。クソ緑だけはぁ、落としてやりたかったんだけどぉ!」
何でそんなに嫌われてんだろうオグ。中埜が左手で掴んでいる箱が、心なしか震えた気がした。
乃理愛がゆっくりと顔を上げた。瞳が潤んでいる。必死で涙をこらえているのが、離れて立つ新にも分かった。
「さ、やって頂戴。もう言いたいことは、全部言ったわ。」
ヌリエラはアズに向かって顎をツイと上げて見せた。アズは一つ首を傾げてから、下敷きデバイスの操作を再開する。
「ヌリ、エラ…あたし…、」
「アンタ泣いてばっか。やめてよね、ほんと。」
緑色のランプが、ピコリと点灯した。
「アタシが心配するじゃない。アハ!」
「やだ、やだ…。」
とうとう、乃理愛がヌリエラに抱きついた。一生懸命に服の裾を引き寄せる。
「バカね、ほんと。またすぐ連絡するわよ。」
ヌリエラの右手が、乃理愛の頭を優しく撫でた。
緑色の光線が、鋸のシルエットを溶かしていく。
やがて異形の刃物は下敷きに吸い込まれると、跡形もなく消え去った。




