HEROと黒い箱3
無い、無い、無ぇよ。
無駄に広いと思える芝生の海で、同じところをぐるぐる回ることだけはしないように。前後左右を確認しつつ足元を注意深く調べていく。細長い箱だ。そこそこサイズがあるとはいえ芝生の真ん中には月明かりしか光源がない。そもそも拾われてしまっていればここにはもう無いかもしれないという。しかも、時間制限付き。
「おい、何かGPSとかつけてないのか!」
やや離れた場所で中埜が顔を上げた。
「ああん?付けとったら最初っからそれで探しとるわ!」
ズズン…
ああ、またデカい何かの歩く音がする。もしかしたらココを探し回っているのだろうか。段々近づいてきている気がするが、きっと気のせいではないだろう。新の脳裏に金ぴかのケンタウロスが浮かんだ。あれはもう勘弁してほしい。
「あった!あったで新くん!」
中埜の声に駆け寄った。見ると確かに手に細長い直方体を持っている。ナイスだ中埜!バッグについているような化繊らしきバンドが箱の両端にフラフラくっ付いている以外は只管のっぺりした外見だ。黒く鈍い光沢のあるその箱は、箱というよりは大きなブロックのように見えた。蓋と思しき場所が見当たらないせいだ。そういえば初めてオグに会ったときにこんなものを背負っていた気がしないでもない。
「…。」
「どうした中埜。」
中埜は手に箱を持ったままそれをじっと見つめている。
「これでどないしたらええんやろか。」
「え?どうって、」
「いつもは箱の状態の時は"オグ"なんやんかボク。」
言われてハタと気が付いた。そういえばそうだ。自分がいつもそのままなので忘れていたが、第5象限に入るとそこはヒーローが居るべき場所であって。
「敬、オグからキーを聞いていないか?」
ギョッとして振り返るといつの間にか真後ろにアズが来ていた。毎日寿命が縮んでいっていると思うんだ。うん。
「キー…それな…」
ふと見るといつの間にか中埜の持つ箱に赤い点が浮かんでいる。初めは箱が光っているのかと思ったが、中埜が動いても点の位置が変わらない。それに気づいて、サッと新の血の気が引いた。
「中埜!」
「えっ…?」
無我夢中だった。
中埜の肩を押しやった。
「新くん!!」
気が付いた時には頬が夜露に濡れていた。うつ伏せに芝生に倒れているのだと気が付くまでに時間がかかった。少しの間だけ意識が飛んだようだ。何かの焦げる臭いが鼻につく。違和感を覚えて恐る恐る自分の脇腹を見たが、闇に沈んでよく見えなかった。しかし、どうにもマズイ感じになっているような気がする。そこで、思い出したように痛みが襲って来た。
バキィン!
アハハハハハッ。
気づけば後ろで金属音が響いている。中埜に肩を支えてもらい何とか首を回すと、目の前にとりあえず今思いつく限りで最悪の光景が広がっていた。
ガツンッッ!!
巨大な鉤爪が地面を抉った。横跳びにかわしたアズがすかさず反転してその脚めがけて飛びかかる。甲高い金属音が再び響いた。アズの拳は異形の重機の脚にビタリと止められている。再び降り注ぐ鉤爪をスルリと潜り抜け、アズはその化け物から距離を取った。
月明かりに金色の装甲が煌めき、ショッキングピンク裏地のロングマントがバタバタと風に舞う。
「ふふん、強化装甲極まれり、じゃない!ザマアミロ真珠採り!」
いや、手前に吹いているのは微風なのだが、彼女の乗る巨大な重機が動く度にその大仰なマントとフリルだらけのスカートがこれ見よがしにはためくのだ。まさしくヌリエラと悪趣味なケンタウロスだった。戦場の中心位置からすると、3〜40メートル程しか距離がない。大型トラックから上半身が生えたような威勢を前に、追い立てられた時の生々しい記憶が蘇る。
新は寝転がったまま回した首を元に戻した。中埜もその光景を見ているのかと思いきや、耳元に左の手を当てて明後日の方向を険しい顔で睨んでいる。
「お前…隠れてろ…っ痛…。」
喋るとギュウと脇腹が痛んだ。芝生の真ん中に座り込んでいるのは、どう考えても具合が悪い。ヌリエラには確実に見つかっている。アズの邪魔にだけはなるわけにいかない。耳元に手を当てたまま中埜がゆっくりとこちらを見た。
「ボクに、言うとるん?新くん。」
「他に誰が。」
中埜の口が「あ」の形に開いたと思うと、次いでくしゃりと破顔した。
「…思い出した。」
「あ?なんだって?」
「ボクだけ隠れるとか無理無理っ、そして新くん担いで歩くんも~、色んな意味で無理っ。しゃーなしや、ゴメンな。もしかして脇腹痛い?もうちょっと我慢してな?」
突然中埜が手を離して立ち上がった。
ゴツン
「ぶぇっ!」
頭を地面に落っことされた。半身だったのでモロに顔から行った。草原に顔が埋まった勢いで、口に青い味が広がる。
「ぐっ…おい、中埜…ッ!」
何とか草を吐き出しながら顔を上げると、目の前には中埜ではなく見慣れたヒーローが立っていた。
「お…?お、お、おいっ…ッ!?」
アズは声を掛けるでもなくスイと新を抱え上げると無言のまま跳躍した。突如与えられた加速度に首が置いて行かれる。
次に来るであろう着地の衝撃を覚悟したが、ふわりとした感覚で景色が一時停止すると、再びの跳躍。やがて視界から芝生が消えた。
恐らくきっと今、逃げている。先ほどの戦闘の場から。遠ざかる景色の中に金色の馬は見えたが、何故か追いかけてくるような素振りはなかった。中埜は…?
何度目かの跳躍を経て、小さな東屋のベンチに降ろされた。暗くてよく分からないが近くに街灯が一本立っている以外は、木立と砂地の道しか見当たらない。アズがしばらくこちらを見た後小さく首を傾げた。
「いつまでグッタリしてるんだ。」
「ばッ…痛いんだよ。」
見てわからないのか。明らかに重症だろう。恐ろしくて自分では脇腹はまだ確認できていないのだが。
「…そろそろ新にも慣れてほしい。」
アズは例の独特の構えを行うと、ぼんやりと光る掌を新の脇腹に寄せた。身に覚えのある妙な浮遊感。痛みが引いたのを確認して、新は恐る恐る上体を起こした。
いや、無理だろ、パンピーだから俺。そして、それよりも。
「後は任せておけばいい。」
新が口を開こうとしたところで、銀のマスクが静かに呟いた。
「ど…いや、」
聞きたいことがあり過ぎた。突然の流れに頭が着いてきてくれない。
「オグが出てきた。すぐ終わる。」
新はぽかりと口を開けてアズを見上げた。相変わらずマスクの向こうの表情は読めない。新は漸く、そうか、とだけ呟いた。なんだか複雑な気分だった。
「オグの応援というか援護には行かなくていいのか。」
「ヌリエラだけならアイツ一人で大丈夫だ。新があの場やここに取り残される方がマズイ。」
言われて、頬がヒクリと動いた。先ほども思い返せば軽く危うかった気がする。ほら、やっぱり流れ弾だか流れビームだかはダメだろ。俺もうほんと死ぬだろそろそろ。毎度どうして巻き込まれてしまったのかと思う。
「なぁ、俺は落ちれないの?」
「滅多なこと言うんじゃ無い。」
ピシャリと怒られた。
理不尽だ。
完璧な不意打ちだった。
「何なのアンタ。」
少女は動けない。1ミリでもその場を動けば、喉元の刃が忽ち彼女の時を奪うと思われた。振り返ることも出来ず、震える声でヌリエラが言う。
「どっから湧いてきたワケ。アンタみたいな奴、アタシ知らないんだけど。」
ヌリエラの記憶では、アズと戦っている最中に、気が付くと刃物を突き付けられていたのだった。刃渡り40cmはあろうかという柳刃は圧倒的な威圧感があるが、背後に立った人物は恐ろしく存在感がない。ただヌリエラの首元に長く美しい刃が伸びているばかりだ。
「…ごめん…。」
澄んだ声が背後で響いた。
カキン!
「え…?」
ヌリエラは思わず絶句した。何の前触れもなくケンタウロスの左腕が外れたからだった。目の前を巨大な塊がスローモーションで落下していく。体感速度が戻ると同時に、振動と騒音が夜の広場に響いた。
「…止めるには…他に…なかった…。」
再び澄んだ声がする。
カキン!
今度はケンタウロスの右腕が外れた。
(冗談でしょ!?)
地響きと混乱の中で考える。背後の何者かが何かをしているのだろうが、先程から首元の刃も視界にも特に変化は見られない。本当にただ突然に腕がもげていくのだ。
ふと、ヌリエラの首元から刃が離れた。気づいた少女は慌てて身を翻し、背後を見やる。しかし目の前には夜と、芝生しかなかった。
カキン!
「ひっ…!」
再び頭上で音が響いた。今度は何が。ヌリエラの耳にはその甲高い金属の音が、ケンタウロスの悲鳴のように聞こえている。芝生の広場にまた轟音が響いた。振り返って見上げると、在るべきはずの頭が無くなっていた。今やケンタウロスは馬の四肢に千切れたチューブを纏った大きな胴体だけがちょこんと生えた形であり、もういっそそのままでバカデカい馬のように見えなくもない。
風が吹いた。
ゾクリ
いつの間にかヌリエラの目の前にオグが立っていた。瞬きすらしていなかった、その瞬間に。
「…ごめん…。」
左腕の甲から柳刃が伸びていた。刺身も美しくさばけそうだ。よく見ると背中側まで刃の付け根が伸びていて、刃物を握っているわけではない。
「…ズルは…嫌いなんだけど…。」
「あ、あんた、緑のヤツじゃない!この間アタシが…!」
バパパパパキン!
がくり、と足元が歪んだ。
ケンタウロスの四肢が外れたためだった。
悲鳴をあげて芝生の上に投げ出されたヌリエラは、何とか受け身の体勢をとった。真横でかつてケンタウロスだった金属の塊がバラバラに積み上がっていく。ところどころ切れたチューブは、独特の臭気のある蒸気のようなものを噴出しながら暴れている。夜気の向こうに、薄っすらと月明かりを反射する刃物が見えた。オグは腰のケースから痛々しい見た目の腕時計型デバイスを取り出すと、そっと指を滑らせた。アズのものとは少しデザインが違うが痛々しいのは変わらない。一通り何やらいじったあとにオグが一つ画面をタップすると、緑色の光線が積み上がった金色の塊に照射された。みるみるうちに時計型の小さなデバイス画面に、金塊が吸い込まれて行く。ヌリエラは泣きそうな気持ちになった。
「何なのよ、何なのよぉ!一体何をしたらゾルバの手足がもげちゃうワケ!?」
ゾルバというのはどうやらケンタウロスの事のようだった。振り返ったオグがスタスタ近づいてくる。ヌリエラは慌てて立ち上がると背中のロングマントから巨大な鋸と小型の盾のようなものを取り出した。毎度どこに収納されているのかは謎である。
「…説明すると難しいんだけど…んー、やってみせると、」
「説明しちゃうの!?って、…!」
オグが一瞬視界から消えた。
「…装甲は無理だから、繋ぎ目のとこを…」
カツン
「きゃああ!」
ヌリエラの左手側に現れたと思うと、盾らしきものが取っ手部分を残して落下する。
「え?え?」
「ね、継ぎ目が一番弱いから…。」
「ね、じゃないわよ!!」
ヌリエラは取っ手を放り投げて後退りした。巨大な鋸を今度は両手で構えて相手を睨め付ける。その様子を見てオグは少し考えてから口を開いた。
「…降参、してくれないかな…?」
少女の眉がピクリと動いた。
「冗談でしょ!アハ!アタシ、ちょっと心外なんだけど。」
一度ならず、二度は倒したことのある相手だった。戦績でいうと初対面の時から数えて二勝一敗。クラリスを破壊されたのは足場が浜辺で悪かったのと、格下相手に舐めてかかったのが原因だと思っている。今夜はもう油断をする気は無い。
「ゾルバは"対真珠採り"だったのよねぇ。折角用意したのにアンタに壊されてサイアク。出てくるなら事前に言っときなさいよ。」
「…無理じゃないかな…いつ会うか分からないし…。」
「冷静に突っ込まないでよ!…てか、アンタ今日の喋り方はトロくさいのね。」
「よく、言われる…。」
ふん、とヌリエラは鼻から息を吐いた。構えを解いて鋸を右手に持ち替える。
「アンタ用にはぁ、ちゃんと用意してあるんだから。そっちで遊んでよね。」
パチン、と少女が指を鳴らした。
「…。」
「…。」
芝生の海に凛とした風が流れる。
穏やかな月はもうすっかりと上りきって煌々と奇妙な二人を照らしていた。
そのまま30秒ほど過ぎた。
「…なに…今何か起こりそうだったけど…。」
「うるさいわね、こういう時は空気読んでちょっと待ちなさいよ。」
何かの準備に時間がかかっているらしい。
「…ちょっと、カッコ悪い…。」
「アンタほんっと頭来るわよね!いつもは無駄なハイテンションのくせに今日はやったら声小さいし。張りなさいよ聞こえずらいのよ。」
「…何でボク…さり気なくディスられてるのかな…。」
温い風が吹いた。
「!!」
オグは咄嗟に身を翻すとヌリエラから距離を取った。
世界に遅れて音が響いた。
ガリガリガリガリガガガガガガッッ!!!!
つい先ほどまでオグの立っていた場所で芝生が捲れ上がり、土塊が噴き出していた。いや、土の隙間に光るのはもっと硬質の別の物質だ。
地面を割って噴出したのは温泉でもマグマでもなく、かつてはトラクターと呼ばれたものだった。




