HEROと黒い箱1
「お父さん!」
早朝、といっても過言ではない時間だった。
半ば叫ぶようにして居間に走りこんだ彼女は、間もなく19歳を数えようかという、子どもとも大人ともつかない微妙な年齢だった。テレビで天気予報を確認していた父親は、器用に首だけ回して彼女を振り返った。
「お父さん、ガレージのF180どこやったの!?」
突然農耕機械の名前が飛び出すのは、この家では茶飯事だ。
「なんや、そんな大声出して。どこって、お前が引き取りを頼んだんやんか。」
飽く迄も落ち着いた父親は、娘の大声が彼女自身の安全とは無関係であることを認識して、80インチのテレビに首を戻した。
「引き取り?ちょっと、なんやそれ。いつそんなの頼んだ私?」
少しだけ声のトーンを落とした娘が駆け寄る。地域の天気予報が終わって、広い画面に似合う広大な景色が映し出された。父親はようやく体ごと娘に向き直った。
「結構前から頼んでたんちゃうんか。昨日の晩に確認の電話がかかってきて、今朝ちょっと前に業者が来て持ってってくれたで。予約が立て込んで遅くなったって言うてたから、1,2週間前に頼んでて忘れてたんやろお前。忘れっぽいしなぁ。まぁ売値がつかんかったんは残念やけど、あの状態の機械じゃ持ってってくれるだけマシやったし、ようやくガレージが一つ分開いてよかったやんか。」
「なんて業者やった?連絡先は!?」
「あー、何やったかな。最近カタカナの名前はよう覚えやんのさなぁ。あ、お前に名刺渡してあるし、予約の時のメールが残ってるはずですよ、って言うてたぞ。メールボックスの検索かけてみたらええんちゃうか。」
(やられた…!!)
鷹揚に笑う父親に、まさか本当のことを言えるわけもない。
ただ間違いなくその業者は偽物だ。それだけは分かる。大きなものならおいそれとは手を出せないと、正直高を括っていた。壊れているからこそ、あのトラクターを選んだのだ。自走できては困るし、元は高価とはいえあれだけ状態が悪ければ盗まれるようなものでも無いはずだった。
(なんで、よりによって今…。)
リラが居ればこんな事にはならなかっただろうに。
逆だ。リラの不在を狙われたのだ。何でバレた。どこから。
(やっぱり、カッキーに連絡をしたのは間違いだったのかな。それとも、あの女の子。)
重機遣いを思い浮かべた。他でもないヌリエラこそが、リラを壊した張本人だ。今までもずっと接触を敢えて避けていたのは、相性が悪いと判断していたからだ。戦闘のスタイルはもちろんだが、ヌリエラくらいしかトラクターになど興味を持たないと踏んでいた。
彼女は自室に駆け戻ると、鍵付きの引出を開いてスマートフォンを出した。いや、正確にいえば、スマートフォンのような形をしたデバイスを、だ。
(この間キヴァトの兵隊が来た時に、何かしら手を打つべきやった。)
楽観的だった自分を恥じた。ごめんね、私のせいで。
深呼吸を一つ。
デバイスを起動させると、緑色の模様が画面に踊った。模様のようにしか見えないそれは、情報が詰め込まれた所謂文字のようなものだった。リラと違って、もちろん空でそのまま読めるものではない。しかし翻訳の術は教わって知っていた。夢中になってこの文字を勉強したのは高校生の時だったが、今でも時間をかければある程度は読み解くことができる。
(やられっぱなしで、居られるわけないやんか。)
新城新はバイトを終えて帰途についた。
結局昼過ぎに杜若教授に会うことはできなかった。と、いうより海外出張で一週間ほど不在らしいということを確認した。しばらく教授に色々と尋ねることはできそうもない。平和に夕勤を終えて廃棄弁当をぶら下げて帰るのが、なんだか久しぶりのような気がする。何とはなしに海沿いの道を避けて帰る。色々と疑ったり、走り回ったり、気を遣ったり。ガラじゃない。全然ガラじゃないぞ最近の俺。
海沿いのボロアパートに帰り着くと、まずは今日もしっかりと鍵がかかっていることを確認した。よしよし、安心だ。毎度ドアノブを捻るのに謎の緊張をするようになってしまっていた。思い起こせばあの日、銀色マスクの不審者が俺のハンバーグを食ってしまった時から、日常が狂い始めたのだ。
「やってられるか、まったく。」
「いや、まったく。」
新は相変わらず玄関でずっこけた。コタツ机にちゃっかりアズが座っていたからだった。
ぅおい!!鍵かけておくなよ!あ、いや、鍵以前の問題でだなぁ!!
「なんでまたうちに居るんだお前はッ。」
「何でって。仕方ないだろう。リラも故障中だし、一番なじみの拠点っていったらここだし。」
だから俺は心優しくないんだと何度言えば!…口にはあまり出していなかっただろうか。わざわざ毎日隣の県からよくぞまあ。
「中学生は寝る時間だぞ。」
「私はいつも2時までは活動することにしている。」
「背伸びなくなるぞ。」
「なんだと、それは困る。」
新は盛大にため息をついた。ああ、何となくこうなることは分かっていたよね、うん。平和な一日を期待なんかして本当にゴメンナサイ。
(はぁ。…ま、いいや。)
ため息を一つ落とし、諦めて夕食をとることにした。話だけなら聞いてやろう。
「んで、今日はナニと戦いに来たの。」
「それだ。三笠珠実の連絡先を知らないか?」
「三笠?なんでまた…。連絡先は何一つ知らないぞ。」
弱ったな、などと言いながらアズは頬をかくような動作をした。携帯…いや、もう何も言うまい。
「ここ最近ザスロの数が割と変動が激しくてな。色々情報を確認したかったんだよ。まぁ、知らないんじゃ仕方ないな。時間はかかるがツォストレニェルニに確認を取るからいい。」
最近この、痛い単語にすっかり慣れてしまっている自分が怖かった。
切り干し大根を口に含む。咀嚼しながらふと、思いついたことを聞いてみる。
「充斉。いや、アズ。いきなり変身できなくなるときって、どんな時だ?」
「変身?」
新はコクコク頷いて見せる。
「変身というか、そっちの、何だ、ヒーロースーツの格好になれる条件というか。」
「第5象限に移れない時ということか。」
「ああ、それでいい。多分。それってどんな場合が考えられるんだ?」
アズは少し黙って考えてから、ポツリと話し始めた。話を聞きながら、紅鮭の身に箸を入れる。
「そうだな、まずはフェチケが第5以下の象限でトラブルにあったり、何らかの能力とかによって地球の民から離れたとき、かな。基本的に離れることは難しいんだが、リラみたいなパターンは特別だな。」
「トラブル…。」
「それから落ちた場合も当然そうなる。」
「落ちた?どういう意味だ。」
「参加の権利を失う、という意味だ。一度参加して落ちたものは二度と参加できなくなる。」
ご飯を飲み込んでウーロン茶を含んだ。そしてアズの言葉の意味を考えた。
「その、落ちるのって、例えばアズたちがヴァルルカンにやられた場合とかがそう?それって充斉とかペアにも分かるのか?」
妙なことをきくね、とマスクが首を傾げた。今日は口元すら開いていないので完全覆面だ。相変わらず1Kの部屋の光景としてどうなんだろうと思う。気にしたら負け。
「確かにこのあたりの象限で死ぬとそうなるね。あとは棄権したり、ツォストの方でそういう判断をした場合とか。実際落ちたらどうなるかは、なった事がないし分からないけど。地球の民の方は民間人に戻るか、そのまま続けるかは確か選べたと思うよ。終了するまでは、の話だけど。」
この地球は彼らにとっては夢の中と同じようなものなんだろうか。
それよりも、民間人に戻るかどうか選べるときいて、アレと思った。
「じゃあ例えばペアが落ちたときに何かしらイベントがあるわけだよな。突然変身できなくなって何の音沙汰もナシってことは無いんだよな?」
「さっきからその、「できなくなる」っていうのがよく分からないんだけど。」
新は箸を置いた。いつの間にか弁当は食べ終わっていた。何て言えば伝わるんだろうか。
「どうやってるか知らないけど、変身能力だか、象限の移動能力だかで第5象限に入ってるんだろ?それが突然できなくなる、っていうこと。」
アズが小さく唸った。
「能力的に「移動」が得意な奴はいるけど、第4とか第7象限ならともかく、ペアと一緒にいて、できるできないも無いと思うんだけどな。そんなこと無いよ普通。…どうやって手を動かしてるのかって、聞かれているようなものかな。」
言って、アズは手をグーパーして見せた。普通じゃないことが起きているということなのか。じゃあ、中埜は何なんだ。
そこまで考えて、ふと気がついた。
オグの言葉を思い出す。
ボク、オグ=ズールドって言うらしい。オグって呼んでな。
あれ…。
充斉が魂を奪われていたとき、アズが代わりに充斉として生活していた。
「なあ、アズがもし魂を奪われるようなことがあったら、充斉だけで第5象限入れるのか?」
「えっ?」
「いや、入れてたんだよな。少なくとも昨日の朝までは。そしたらやっぱり怪我か…?」
「待て新。一体誰の話をしているんだ?」
「誰って、オグだよ。」
言った瞬間、場の空気がパチリと切り替わった気がした。あれ、俺何か変なこと言っただろうか。アズは微動だにせず目の前に鎮座している。なんだよ、急に黙るなよ。
しばらく待ってみたが、一向に話し出す気配もない。こうしてみると、マネキンのようにしか見えない。…弁当のゴミを捨てに行って平気かな今。
「オグが誰とペアなのか知ってるか。っていうか知り合いか新?何て聞いてる?」
唐突にアズが口を開いた。一瞬腰を上げかかっていた新は諦めて座りなおした。
「まぁ。知り合いだな。昨日から急に変身できなくなったって言ってたから、そういうことあるのかなぁと。」
バンッ!といきなりアズが立ち上がった。
「ど…どうした。」
とりあえず近くにいるときに動作に緩急をつけないでもらいたい。若干心臓に来た。
「…のば…。」
「なんだって?あ、おい。」
アズはそのままスタスタと玄関へ歩いていく。思わず新も立ち上がってしまった。なんて言ったのか、声が小さくて聞き取れなかった。玄関で、アズが振り返った。
「明日また来る。何時に帰る?」
「えっと、バイトは確か昼勤だから夕方には…。」
「分かった。学校が終わったら私もすぐに来る。それまでにオグに詳しく聞いておいてくれないか。ああ、できれば直接話ができるといい。」
「詳しくって、」
「明日の分も宿題をやってくる。…あと、早く寝なくては。おやすみ。」
それだけ言うと、新が再び口を開く間もなくアズはドアの向こうへスルリと消えた。
直接って…え、部屋に呼べってこと?中埜を?マジで言ってらっしゃる?
新は明日のシフト表をできる限り思い出そうと必死だった。同じシフトだったろうか。店長に頼んで電話を借りるか…?いや、その電話でなんて声をかけたらいいんだ。話をしたいから俺の部屋に来ないか?店長に聞かれたらどうなるんだそれは。
いやいやいやいや…。
とりあえず新は、今月の給料日に携帯を新調しようと思った。
そういえば解約しそびれていたので使っていない日数分も通信料を取られるはずだ。色々納得がいかない。もちろんすぐに携帯ショップに行かなかった新の自業自得なわけだが。
給料日まで、あと4日ほどだった。




