大学生と噂話
新城新は何とか1限の出欠確認までに教室に滑り込むことに成功した。
あぶない、あぶなすぎる。あと2回遅刻したら、単位が落ちる。その貴重な1回を、今週もまた何とか乗り切った。
準夜勤シフトの翌日はただでさえ眠いというのに。ここ連日を地球外生命体たちにどんちゃん潰されている上に、昨晩は中埜を諭すというか、落ち着かせるのに神経をすり減らした為ほとんど眠れなかったのだった。ああ眠い。おやすみなさい。
教室に入って出欠さえ取ってしまえばこちらのものだった。統計だか正規分布だか知らないが、多分俺の人生にそこまで重要な要素ではない。はず。きっと。
情報リテラシの授業はパソコンの並んだ部屋で行われる必修単位の一つだった。必修イコール学科同期の集まる教室なわけでして。新がようやくまどろみの中に落ちようかというところで、近づいてくるキャスタ音がひとつ。
ゴロゴロゴロ
ガツン!
「ジョーシンジョーシンジョーシン!お前、どういうことやん、説明しぃさ!」
精一杯の小声でも耳元で畳みかけられれば中々の音量だった。ましてや椅子で体当たりされながらだ。仕方なしに新は目を開けた。ただでさえ悪い目つきが一段とゆがむ。
「なんだよ、1限くらい寝かせろ。」
「授業中!てか寝るなら休み時間にしたらええやん。色々訊かなあかんねん、こちとら!」
授業中なら話してないで勉強したらいいものを。突撃してきたのは平等だった。授業中に絡まれるのもしょっちゅうだったが、ここまで強引にぶっ込んできたのは初めてのことだ。
「なぁ、ジョーシン、いつからみーちゃんと付き合っとん?」
ブハッッッ!?
「ななななん!?なんのことだっ、無い無い!付き合った覚えも好意を抱いた覚えも、それどころか異性としての認識をした覚えも無いぞ!」
「ジョーシン、言い過ぎ!」
冷水どころの騒ぎではなかった。眠気は三段飛ばしで吹き飛んだ。
「どっからそんな根も葉も種も火の元も無い話が飛び出したんだ!?」
平等はサッと周囲を見渡すと会話が漏れていないことを確認して、椅子の高さを一段下げた。頭が引っ込む。
「昨日の朝みーちゃんに電話したとき、出たのジョーシンやろ。」
「はぁ?!何で俺が朝から三笠と一緒に居るんだよ。」
大ウソだった。しかしこればかりはシラを切り通す。潔白だ。俺はどこまでもまっすぐに潔白だ。
「嘘やん、絶対あれジョーシンやし。そんなら昨日どこ居たん?」
「朝とか寝てるだろ普通に!バイト行く以外で俺が休日に誰かと一緒に居るところ想像できるのかお前はっ。」
言っていて自分でやんわりと切なくなった。確かに普段の生活と言えばバイトか、寝ているか、平日ならば授業に出て寝ているか、ごくまれにレポートを書いているくらいだ。灰色とか言うなよ。
「一昨日も学校でジョーシン見かけたってリューマが言うてたし、そんときみーちゃんも一緒やったっていう目撃証言があんねやけど?」
勝ち誇ったようにおかっぱが見上げてきた。ぐっ、おのれサークルバカめ。休日まで大学に居るんじゃない。
「一昨日は…た、確かに学校に来てたな。」
「ほらぁ!!」
「アホ、声がデカい。」
しぃっ、と指を立てたがおそらく手遅れだ。今の平等の声は割と周囲に響いていたのだろう。近くの席の奴らがチラチラと横目で見てきているので間違いない。これは非常にまずい。せめて口裏を合わせておけるだけの時間が欲しかった。くそ、携帯、買うか。三笠と充斉と店長に連絡をとる手段として。いいや、それだとアドレス帳に地球外生命体ばかりになるし、三笠がピンで入っていたら余計に怪しいじゃないか。ああ、でもリラシュさんとなら電話するのも悪くない。あ、いや、今はそんなことを考えている場合でなくてだな。
「とにかく誤解だ。この間のは、三笠に会ったのはたまたまで、俺は杜若センセに用があっただけだ。」
「カキツバタ?誰やん。」
あのオジイチャン先生だよ、というと平等もようやくああ、と気づいた。
「そんな名前やったっけ。で、なんでオジイチャンに用事?あやしげ!」
「この間の小テスト無記名で出したから色々話しに言ってたんだよ。単位がそろそろやべぇの。」
「休日に?わざわざ?嘘や~ん。ジョーシンそんな姑息なキャラちゃうやんか。」
「留年できないんだよ、お前と違って。」
平等は納得がいかない、という顔でブーたれている。三笠のくだりはしょうがないとして、嘘は言っていない。…本当のことも大分端折ってあるが。しかし危ない、せめて充斉が一緒だったことを認識されていなかっただけマシだろうか。それにしてもウザいくらい噂の収集能力高いなコイツ。
「ちょっとホンマに詳しく訊かせてもらわなアカン。口を割るまで訊くからな今日は。」
「勘弁してくれ…。」
大学では平等、家に帰るとヒーロー。
俺の時間、どこに消えた?
昼休みのチャイムが鳴った。
2限は別の講義だったので何とか巻いたが、いつもの学生会館裏手の場所でカップ麺をすすっていると、案の定平等が走ってきた。
「ジョーシン!おら!毎度こんなとこで辛気臭い飯の食い方しくさってからにホンマ!」
ああ、デジャヴ。新はあからさまにゲンナリして見せているのだが、一向に容赦してくれない。
「さ、正直に語ってもらおうか!」
「だぁかぁらぁ、お前の勘違いなんだって。」
「かたくな!も~、そんなんやからジョーシンは…」
「あの…」
「…!…は、…?」
完全にヒートアップしていた蛍光色の平等に阻まれて、すぐ近くまで来ていた綿棒に気が付いていなかった。
「ごめんね、お話し中のところだったのに。」
白いワンピースの上に肌が透けて見える茶色のボレロを羽織って現れたのは、綿棒こと沖紫夜だった。相変わらず15cm位のブーツを履いているせいで、背が平等とほとんど変わらない。身長は大きいが声は小さい。杜若教授といい勝負だ。
「紫夜…。」
「は!?」
思わずポツリと言ってしまってから気が付いた。というか平等がものすごい勢いで新の方を振り返ったので気が付いた。
「あ、ゴメン。沖さん。」
平等の彼女を下の名前で呼び捨てにするものではない。そういえば記憶操作をするとか何とか充斉が言っていたっけ。あれから会っていなかったので結局確認できていなかったのだが、無事なんだろうか。目の前に居る以上、見た目は何事もなかった様子だ。
「ううん、紫夜でいいよ。…あの、ありがとうこの間。」
「えっと…あの後無事に帰れた…?」
「なに?何の話二人でっ!?」
珍しく話題に乗り遅れた平等が、新と紫夜を交互に見て首をブンブン振り回している。
「いや、特に何も。」
まさかここでヌリエラ率いる重機に紫夜が攫われかけたのをヒーローが助けてくれました、などと言うわけにはいくまい。そして紫夜の頭の中であのピザパの後の一件がどのように改竄されているのかによって、俺も態度を変えなければならない。こんなところにも口裏を合わせる必要が…。生活に支障が出てきてるんだが。どうしてくれるんだコノヤロウ。
「ううん、ううん。本当にありがとう。ジョーシン君が居なかったら、どうなってたかわからないし。」
ああ、何だろう。待って。何があったことになってるの。
「え、この間って、まさかピザパの後?俺が二人を送った後?まさか何かあったんちゃうやろな?」
「何ということは、その、無かったような。」
綿棒が小さく頭を振る。長い髪と頭の両端についたレースのリボンが一緒に揺れる。
「車のお兄さん達に声をかけられたの。すごくしつこかったんだけど。」
「まさか!?ジョーシンが何かしてくれちゃったワケ!?そのシチュを!?」
「うん。」
「何してくれちゃってんのジョーシン!!」
何したことになっちゃってんの俺!?待って待って。充斉サーン!相変わらず説明が足りないから!俺ほんといつも困ってるから!
「な、何かしたっけ俺。」
恐る恐る聞いてみた。
「うん。パッと出てきて声かけてくれたじゃない。それでお兄さん達も諦めてくれて。」
「この不愛想なジョーシンが!?」
「最初はお兄さん達も不機嫌そうにしてたんだけど、サラッと話してくれて。」
「…俺、何かそんな大層なこと言ったっけ…。」
記憶にないんだよ。冗談じゃなく本当に記憶にないんだよ。キメ台詞はキメそびれたんだよ。
「うん。中身はナイショにしておくから安心して。…ちょっとカッコよかったよ。」
恐る恐る平等の方を見た。
…得も言われぬ表情だった。
「ジョーシン…お前、ちょっと、裏まで来い。」
「ここが既に建物の裏だ。」
「じゃあ表に出ろ。」
「断る。」
遠くでギターの音が聞こえた。
「ちゃんとお礼言いたかったの。ありがと。それだけだから。お邪魔しました。」
紫夜は律儀にも小さく頭を下げると、顔を上げないままそそくさと会館の角の向こうへ逃げて行ってしまった。最後は小走りだった。あの厚底で転んだりしないのがすごいと思う。普段物静かな紫夜が、まさか俺のような人間のところまで話しかけに来るなんて、どれだけの勇気だったんだろうか。まさかそれが改竄された記憶によるもののためだとは、思いもよるまい。現実はかくも残酷だ。
「じょ、お、し、ん、く、ん!!」
ああ、平等がまだ目の前にいたんだった。…面倒くさくなってきた。
「おま、ホンマ、なんやねん!俺がどれだけ苦労してきたと…!」
「悪い、成り行きだ。安心しろよ、まさか俺も人の彼女に手出したりしないから。誤解するな。」
「はぁ!?彼女!?なん、…沖ちゃん彼氏おるん!?」
…は?
「あれ?平等、お前の彼女じゃないの?」
「アッ…アホォォ!それができやんから苦労してるんやんかッ!!」
えええええええ
「俺はてっきり、はるかとっくの昔に付き合ってたんだと。」
「残酷!ジョーシン、残酷な奴やなお前は…!まだ下の名前すら呼べやんというのに!」
「三笠とかあだ名で呼んでるくせに。」
「本命にできるわけないやんかアホぉ!」
「…奥手だったのかお前…。」
「冷たい!ナニコレ!刺さる!めっちゃ心に刺さる!」
ああ、とりあえず話題がいい感じに逸れてくれて助かった。
翻筋斗を打って暴れている平等を横目に、新は雨上がりの緑を見やった。静かな葉擦れの音だけなら、よほど気持ちよく昼寝ができそうな陽気だというのに、とひっそり思う。初夏の緑は、雨が降る度に色を吸い込んで青々と育つ。そろそろ梅雨が来る。
思い出して、そして思い立って、新は立ち上がった。
「んお?どうした、どっか行くんかジョーシン。」
「杜若センセのとこ。お世話になったお礼。」
「ふぁっ!?ホンマやったんさっきの?」
コクリと頷いて、新はさっさと歩き出した。後ろで嘘や~んと相変わらずの大声が聞こえたが置いていくことにする。弁当を取ってくれたり、あの妙な二人連れを派遣してもらったりと、本当に唐突にお世話になった。もちろん、単位の相談もこっそりしてみようと半ば本気で思っている。3限は無い日だったので、時間はこれまたタップリあった。そういえば三笠とも色々話をしなくてはならない。さしあたり、「リラシュさんは何とかなるぞ」と言ってやらねば。
新の脳裏に、中埜のひきつった笑顔が浮かんだ。
(三笠も、あんなんなってないと良いんだけどな。)
見かけはアレだが三笠は一応女の子である。一応。思いたくないけど。
そういえば1限の授業は三笠も受けているはずだが見かけなかった。あれだけ目立つ人影を、まさか見落としたということもあるまい。
(まずいな。休んでたのか。)
「ああ、くそっ。」
思わず声に出ていた。大学に出てきてもらえなければ、今の新には連絡手段がない。ゴミ箱にカップ容器と割り箸を投げ込むと、学生が行き交うメインストリートを抜けて芝生広場を右折する。やがてたどり着いた文科棟の廊下は平日でもやはり閑散としていた。ゼミ室の周りというものは常時こういうものなのかもしれない。新は細長い建物の二階を目指して、殺風景な廊下をそっと進んだ。
中身はヴァルルカンとはいえ、先生は先生だ。ついでに色々相談しよう。事情を知っている「まっとうな」人物がいるというだけで、なんと心強いことだろう。
理不尽な現実は、しかしいつでも悲しいくらい、「現実」なのだ。




