高校生と内緒話
新城新は落とした5円玉を探して棚の隙間を睨んでいた。
小銭を落とすのは今日だけで4回目だった。
いつもこんなにそそっかしいわけでは無い。そして棚の隙間をこんなにじっと見つめる必要もない。
しかし今日はそうしないとどうにもやっていられないのだった。
充斉が帰ったあと、新は今日がバイトの日だったことを唐突に思い出した。夕勤から準夜勤シフトの日だった。
正直にいうと体は恐ろしく休みたがっていたのだが、携帯が無いので休むとしたら無断欠勤になる。当然マイナス査定で下手をしたら減給である。町柳店長のことを考えると一度くらいなら大目に見てくれるような気もしないでもない。しかし最近ようやくちょっぴり上がった安い時給が、万が一にも再び下がるのは勘弁だった。仕方なしに出かける準備をし、いつもより大分早めの時間に安普請のドアを開けたところで、事件は起きた。
「新くん!」
ドアを開けたままの姿勢で新は固まった。ドアの前に人が立っていたからだった。しかも見知った顔だ。
「な、な、」
「今日一緒に行こ。シフト久しぶりに一緒やから。」
「な、なんで俺の家知ってんだ。」
そして何でドアの前で待っている。待ってたんだろうか。いつから?ちょっと怖いんだけど。
ドアの前の人物はニコッと笑うとスッと左手を引いた。
…来るッ。
「かたいこと気にしやんといてよ、もー!」
バシンッッ!!!
「痛ってぇ!」
思い切り右腕を叩かれた。朝方死に物狂いで走り回ったせいか、緊張状態で乗り物にずっと乗っていたせいか、若干筋肉痛気味の肩に酷く響く一撃。張り手とはいえ、毎度なぜそんなに力を込める必要があるのか。
「さっ、行こうに!遅れたらアカンやんか~。」
ウルフカットが風に揺れると、ちょっとだけシャンプーの匂いがした。スキップするような足取りでくるりと階段目指して進んでいく背中に、新はふいに何かを思い出しそうになった。何だろう、この感じ。どこかで見たような。
「何しとん、先行っちゃうよ~。」
「あ、待て中埜。」
慌てて後を追いかけた。
中埜は高校一年生で、この春に新の働くスマート・キス・マート悠木神社店にやってきた。春から働き始めたのは新も同じだったが、春休みにバイトを始めた新の方が約1か月先輩に当たる。
「ママは無事だったのか?」
歩きながら、新がようやく絞り出した言葉がそれだった。心の中では常に色々考えてはいるが、元来無口な方だ。気の置けない相手とはいえ、闖入者といきなりべらべら喋れるようなスキルの持ち合わせは無い。シフトが一緒の時は一方的に喋り散らす中埜が今日は妙におとなしい。わざわざ家の前に来るくらいなので何か話があるのだろうと思っていたのに、5分ばかり無言だったのだ。
「ほえ?ママ?うちの?会ったことないやんな?あれ?」
「手、怪我したんじゃなかったのか。」
「店長に聞いたん?なんや~、気にしてくれてたんや。ちょっぴり嬉しいやんか~。」
「いや、そういうわけでは。」
「軽く嘘やけど。」
「嘘かよ!」
住宅街で思わず大きな声を上げてしまった。
「そろそろネタ切れなんさな~。何かええネタない?!」
欠勤理由でそこまで堂々と嘘が言えるのは大したものだと妙な感心をしてしまう。今日何度目かわからないため息を落とした。
「お前、そんなにきついならコンビニ以外にしたらいいんじゃないか。俺と違って生活費ってわけでもなさそうだし、もっと楽なバイトあるだろうに。」
中埜が急に立ち止まった。つられて新も立ち止まる。
「うん…。」
俯いた中埜は言葉を探しているようだ。
「な、なんだ。どうした。」
なんだか今日は調子が狂う。いつもだったら即座にええ~、寂しいこといわんといて~、とでも言いながらバシバシ殴ってくるところだ。俺でもさすがに気づくくらい、今日は元気がないように見える。
「あの、新くん。」
ぱっ、と中埜が顔を上げた。いつになく真面目な表情だ。
「バイト、終わったら、さ。」
「えっ、」
突然、右手をつかまれた。手首でも腕でもなく、手、である。
右肩が先程とは違う衝撃にビシリと傷んだ。
これは、緊張のせい。
「話、聞いてほしいんだ。ちょっとだけでいいから。」
夕日に沈む閑静な住宅街は、そっと気温が落ちていく時間だというのに。右手からは今にも嫌な汗が出てくる気配がする。
待て、握られているうちは、まずい。いや、そうじゃなくて。
いやいやいや。
「今日はじゅ、準夜勤までなんで、1時回るぞ。お前、夕勤だけだろ。」
「普段休みすぎだから準夜勤入ります!って店長に言ってあんねやんか。喜んでOKくれたから大丈夫や。納品多いし、人数多い方がええやろ。ね、せやからちょっとだけ。…アカン?」
「…わ、わかった。」
ようやくそれだけ答えると、中埜はあからさまにほっとした表情に変わった。そして握った時と同じくらい唐突に手を放すと、何事もなかったかのように再び歩き始める。
新は今起きたことと、今日これから起こるであろうことを想像して、突っ立ったまま目をパチクリさせていた。
ナニ?今のはナニが起こったの?俺、何かしただろうか。
夕方のラッシュを終えて。店内に客の影が見えなくなる度に、新はそそくさとレジを抜けるとさりげなくモップをかけたり、ドリンクのチェックを必要以上にしてみたり、とにかく忙しなく動き回っていた。いつもならこんなことをしない。店長のいない日はむしろ客が居なければどこまでもまったりと、ぼんやり過ごすタイプだ。そして4度目に小銭を落とした新は、代わりの5円玉を客に渡して自動ドアの向こうに送り出した後、棚の隙間と見つめ合っていた。
(なんで、何も喋らない。)
新は目で何度も棚の隙間の同じところを確認してはうーん、と唸っていた。いつもなら客がはけるとどうでもいい世間話をそれこそ捲し立てるように喋る奴なのだ。それが今日に限ってだんまりをきめこんでいる。あ、5円玉見っけ。冷蔵ケースの脇に黄銅色のコインを見つけて拾い上げた。シフト表によると中埜が準夜勤に入ったために、店長は遅めに夜勤に入るようだ。確かに店長こそはたまには休んだらいいと思っていたが、今日に限ってはどうにも恨めしい。いつまでもこう、黙ったままではやり辛過ぎる。まだ時間はたっぷりあるのだ。
レジに戻った新は、意を決して話しかけた。
「学校で、何かあったのか?」
中埜はゆるゆると視線を手元の紙束から上げる。視線がぶつかったところで、はじめて新が居ることに気づいたかのようなポカッとした顔になると、フルフルと勢い良く頭を振った。
「何も無いよ、無い無い。学校とかメッチャ眠いけどいつも通りやし。なーにー、新くんそんな気遣いできるタイプやったん?!」
「どういう意味だ。」
「そのまんまやし。髪の毛切ったとか、絶対気ぃつかんタイプやろ。」
何だろう、ここは怒るべきところだろうか。
「そんだけ態度が違えば流石に気になるんだが。」
「えぇ〜、ボクそんな変な顔してたんかな。嫌やわいっつも変顔練習してた成果がついに出てたんかな?」
「なんで変顔練習してんだよ、顔じゃねぇよ。」
「中身が大切って言ってくれとる!?アカン、結婚しよ新くん!」
「アホか!そんな話はして無いだろうがっ。」
話し始めるといつも通りの中埜だった。俺の杞憂というやつなのかもしれない。
「んも〜、イケズやん。相変わらず。目つき怖いし。キュンキュンするやん。」
「俺にそのケは無いといつも言ってるだろうが。」
「ひど〜い!乙女心を蔑ろにしくさって!」
「前は保戸田さんに告るって息巻いてただろうが。」
保戸田さんは昼勤務の社員のお姉さんだ。コンビニ店員にしておくには惜しい。ユニフォームが素っ気ないからだ。つまり、なにがいいたいかというと、割かし巨乳で何というかこう、色気があるタイプでだな。
「ああん?ホトちゃんは別や。アレは皆のもんやろ。大人の色気に1度くらいは溺れて見たいっ、それがロマンてやつや!でもな、新くんなら穴場も穴場の競争率1倍、はやいもん勝ち、売り切れ御免で売れたら大切にしてくれそうやんか。結婚するならコッチかなって。」
「お前の頭の中はどうなってるんだ。」
「ああん、堪らんわ。詰るも嬲るもあなた次第やにっ。」
「ドMかっ。人聞きが悪い上に鳥肌立つからヤメろ。こっち来るなよそれ以上。」
ケタケタおかしそうに笑う中埜を見て、ほんの少しほっとしている自分に気がついた。
「ああ、ようやくちゃんと笑ったな。」
目尻に涙を浮かべながらまだ笑っている。
「これだから、やめられやんのさな〜。」
笑うと何処と無くあどけない。化粧気のない健康的な肌色の頬に、笑い過ぎてほんのり赤味がさしている。ニキビのせいだけではないと思う。そんなに可笑しかったのだろうかと思う程、いつもよく笑う。平等といい中埜といい、何故頼んでもいないのにこうもドカドカと分け入ってくるのだろう。
「ごめんごめん、シャンとせなアカンな。よし、残りは頑張るから新くんまったりしといてええよ。この間も急に休んでゴメンね。これからは、もうあんまり休んだりしやんから。」
ごめん、で済んだら何とやらだが、謝るなら俺じゃなくて店長にだろう。そう言ったら中埜はまたひとしきり笑ったあと、思い出したように色々話し始めた。
しばらく話せてなかったやんか〜、あの後な、色々あってん、ほんまありえやんやん!?あー、はいはい、好きに話してどうぞ。
帰る頃には小雨が降っていた。
久しぶりの事ですっかり油断していた新は、もちろん傘など気の利くものは持ち合わせがない。
「ボク傘持ってるよ?入る?相合傘する?」
「いや、丁重にお断りする。」
「傘買ってけば?」
「そんな金があったらこの廃棄弁当をおろしハンバーグ弁当にする。」
コンビニ表のほど狭い庇の下で、空を見上げた。この程度なら、走るまでもない。
「ええと、」
今度は新が言葉を探した。
「で、だな。」
こういう時に拾うべき言葉はどこに落ちているんだろう。空から降ってきたりもしないのは百も承知だ。
「アカンかったら無理言わんけど、」
幸いなことに中埜の方から口火を切ってくれた。言いながら一歩前に出ると、ビニル傘独特のパラパラという小さな音が響く。
「新くんの家行ってもいい?あ、ほら、この時間にあいてるようなお店この辺に無いし。」
「まぁ…。」
俺の部屋か。選択肢としてはそのくらいしかないのは確かで、中埜の言うとおり、最寄りのコーヒーショップやファミレスとなると、最低でも国道を下って2キロは歩かないといけない。
「歩きながらちょっとずつ話す。外で出来る話題については、やけど。」
「外でできない話があるのか。」
歩き出すと、思ったよりも小雨が顔にまとわりついた。街灯が少ない神社脇の住宅街で、近くを歩く人影は無い。
「うーん、何から話したらええんやろなぁ。」
中埜がポツリと呟く様子を見て、新はまた妙な感覚に襲われた。どこかで、見たような。小声で話す中埜をあまり見慣れないからかも知れない。
神社を通り過ぎて十字路に来た時、唐突にその感覚の理由に行き当たって、新は思わず歩みを止めた。
少し前で、中埜も立ち止まり振り返る。
俺は、こいつを知っている。
右に折れると、それは海岸沿いの堤防への道だった。
「海沿いは、やめておいた方がいい?だよな。」
新の一言に、中埜は目だけで笑ってみせた。透明のビニル傘で、その笑顔は隠れている。
「新くん、」
似合わない、か細い声だった。
「…変身できやんくなってもうた。ゴメンね、ボク、約束守れやんで。」
ビニルのマスク越しに、ヒーローの声がした。
そういえば。
「全力で殴る時、いつも左手だったな。」
ほんの少し強くなった5月の雨は、まだ春を引きずって冷たく頬を流れた。




