HEROとカキツバタ6
主を失った扉だらけの部屋。アズとリラシュはティーセットを囲んで待つことにした。
「そういえば、ここが第4象限だとするとさっきのゼミ室で私たちは倒れているんですよね。」
マスクの口元だけ開けた状態でアズが紅茶を一口含む。
「そこはみーちゃんに任せてあるでな。大丈夫やろ。」
「助かりました。正直、キヴァトの言う通り私とキヴァトの能力は相性が悪いので。」
ああ、と器用にシールドの隙間からマカロンを口に運んでリラシュがほほ笑んだ。リラシュがこの空間をこじ開けなかったら、ガラス片の隙間からまんまと逃げられていたに違いない。新という人質を連れたままの状態で。
「その分、第6象限以上ではアンタに勝てるやつもそうそうおらんでな。ちょっとくらい苦手があってええんやないの。」
言われてアズは、そうでしょうか、と頬を掻く。
「謙遜しなさんな。一週間で中日本の拠点ほぼ制圧できるのなんかアンタくらいやで。」
「おかげで宿題を二度ほど忘れました。」
「大丈夫や。充斉はそもそも宿題あんまやらん子やったでな。」
宿題をやらないのは全く大丈夫ではないのだが、そこはそれである。リラシュが知る限りではアズは間違いなく飛び抜けた強さだった。幾年にも及んだ均衡状態が、もしかしたら間もなく終わりを告げるのではないか。
(皮肉なもんやな。あんなに嫌がってたのに。)
リラシュは心の中で、そっと充斉の面影に感謝した。
早く、終わらせなければならない。こんな馬鹿げた遊びなど。
カップを置いたアズが、思い出したように口を開く。
「ところでキヴァトの赤いノートって、」
ピコンッっという甲高い電子音が響いた。咄嗟にアズが腰の黒いケースから下敷き状のデバイスを取り出す。緑色の光で模様が流れていくのを確認して、二人は顔を見合わせた。
へっくしゅん
充斉がくしゃみをした。Tシャツだと寒いのかもしれない。新は一応長袖を着ている。
「これがこのまま使えるといいんだけどな。」
新は手に持った痛デバの画面に流れる模様を眺めていた。もしもこれが夢では無く現実であるとすれば、このデバイスの操作によって充斉…もとい中身の液体たるアズが来てくれるかも知れない。ただし昨晩のことを考えるとそれには時間もかかりそうだ。
「よし、とりあえずあの扉の向こうも覗いてみるぞ。」
「ええ~っ、嫌だよ。僕、だからまだ帰りたくないって。」
「諦めてさっさと怒られてこい。それでこれ以上心配かけるんじゃない。1週間位は帰ってないんだろお前。」
誰かに説教をできる立場でないことは重々承知しているが、この甘ったれはとりあえず家に帰してやらねばならないと思う。充斉に助けられた分、せめて充斉に何かしてやらねば。こいつの両親はさぞかし戸惑っている事だろう。いきなりあんな不遜な態度になったら反抗期にしてもひどすぎる。
しかし言われた充斉本人は不思議そうな顔をして首を傾げていた。
「僕そんなにここにいないよ。まだ遊び始めてどんなに長くても3時間くらいじゃないかな。」
は?
「そんなわけないだろう。」
「そんなわけなくないよ。今日は午前授業だったから学校の帰りにお兄さんとここの河原に寄っただけで、まだ日も暮れてないし。」
「ちょっと待て、お前それは本気で言ってるのか。」
充斉はキョトンとしている。
「今日は何日だと思ってるんだ。」
今朝までカレンダーの確認を怠っていた新が言えることではない。しかし日付を告げると充斉の目がまん丸くなった。えええ?と激しく動揺し始める。
「え、え、どういうこと??浦島太郎なことになってるの??」
その時、背後の扉が勢いよく開いた。
驚いて振り返ると濃紫色のツナギを着た変な少年がゼーゼー言いながら立っていた。彼はなぜかボロボロの格好をしており満身創痍な様子である。見る間にその場に少年が倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
思わず新が声をかけてしまう位どう見ても大丈夫ではなさそうである。
「くそう、あの女、せめて罠は解除しておけよ!くそっ!くそっ!」
駆け寄っては見たものの、ゼーゼー言いながら悪態をついている様子を見るとなんだろう、最近よく見る話を聞かない人々と同じニオいを感じる。アカン、多分アカン人だこれ。
「あーっ!お兄さん!この人、この人だよ、ここ来るとき一緒だったの!」
充斉がゴーグルツナギの少年を見てはしゃぎ出した。
「こんな不審な恰好の人に着いていっちゃだめだと思うよ?」
「不審とか言うなっ!機能的と言えッ!」
あ、少年が叫んだ。思いのほか元気だったようだ。つい口が滑ってほんとのことを。
充斉がキラキラした目をしてツナギ少年を眺めている。純粋なこどもの視線は何故か心に刺さる。俺がこのくらいの歳の時にはどんな現実を生きていたっけ。思い出せないな。充斉がツナギ少年の袖を引っ張ってブンブン振り回す。
「いっぱい変なとこ通ってここまで来たんだよ、ね。面白い部屋がいっぱいだったよね。」
ん、ということは。
「あ、もしかしてここから出る方法とか…ご存じでしょうか。」
新が恐る恐る尋ねるとツナギの少年は息を何とか整えてコクコク頷いた。
「だ、出してやる。だからよく言っとけ。ここまでエゲつないモン仕掛ける奴は初めて見たってな。」
誰の事を言っているのだろう。しかし脱出方法を心得ているとあれば非常に貴重な存在である。
「最後に場所の指示だけ来たのは褒めてやる。だがそもそも、ルートの改変を直してから派遣しろってのもな。」
新はとりあえずその少年に肩を貸してやることにした。
「す、済まないな。膝がどうにも…。」
「いえ、あ、段差有るのでそこ気を付けて。」
「…お前、いいやつだなぁ。」
渋る充斉に扉を開けさせ、三人で連れ立って草原を後にする。
扉の先には始めの部屋こそ無かったが、同じような真っ白い廊下がずっと先まで伸びていた。
「いいか、このままずっと行けば、出られるはずだ。」
脚を引きずりながらゴーグル少年が説明してくれる。
「はず?」
「変な罠が無ければな。」
「罠があるの!?」
充斉が目を輝かせている。なんでそこで喜ぶんだ。あぶねぇだろ。
「戻った最初はちょっと記憶が曖昧になるだろうが…れの…」
話す内に段々と視界と音声が白くけぶり始める。
「いいか…だぞ…」
え、今なんて言ったんだ。聞こえなかった。もう一度言ってくれ。
「…な…」
目を覚ますと、灰色の天井が見えた。
直管型の蛍光灯が見える。頭がぼんやりしている様子からすると、どうやら大分長い事眠っていたようだ。ここはどこだろう。
薄暗い部屋の中でゆっくりと上体を起こす。段々と視力が戻り初め、そこが杜若教授のゼミ室であることを思い出した。あの狭い応接セットのソファで座り込んで寝ていたらしい。何してたんだっけ。あれ、今何時だっけ。
ハッと思い出して立ち上がる。時計は五時を指している。夕方のようだ。午前中の早い時間に大学について、部屋の中を物色していたはずなのだ。いつから寝ていた。新の周りには誰もいない。ひっそりとした休日の大学である。
廊下の外で足音がして、部屋の蛍光灯がゆっくりと点灯した。
ガチャリと扉が開くと、杜若教授と三笠が連れ立って部屋に入ってきた。
「あ、起きたんや。おはよう。」
「な…な…?」
何がどうなったのか聞きたかったが目の前に鼠男が一緒に居る。普通の教授なのか、それとも鉄格子で襲ってきた教授なのか。いや、あれは夢だったのか?
二人が応接セットにビニル袋を置いた。
「先生が弁当とってくれたんやで。食べてこーに。」
「まあ遠慮しなくていい。」
小柄な老人は相変わらず声も小さい。ギョロリとした目は離れすぎてどこを見ているのかよく分からない。しかし出された食事に罪は無い。新は遠慮なくいただくことにした。とてもありがたいのだ。朝からほとんど何も食べていなかった。
「第四象限では済まないことをしたね。」
もぐもぐと咀嚼していた新は教授のその一言で危うく気管に米を誤飲するところだった。
「だ、ゴホッ…だいよん…えっと…?」
鼠顔の老人は禿頭をペチリとひとなでするとニンマリと笑った。
「彼方では想いの力が世界を作るんだ。面白いだろう?私のような老人も闊達に動き回れるし、ケガをすることもない。まさかうちの学生にも同じような体験をしている者がいるとは想像もしていなかったがね。」
掠れた声でもごもごと喋るのは相変わらずだが、授業の時とは違って声に喜色が見て取れた。
「キヴァトのペアらしいで。先生、よくあんな奴のペアで承諾しましたね。」
三笠が言うのを聞いて教授が笑った。
「いや、面白い事言うな、と思ってね。夢で最初に会った時はゲーテのファウストを真っ先に思い浮かべたんだが、何より最初は信じていなかった。だから諾と答えたんだがね。悪魔にしては日常生活に何か影響が出るわけでも無いし。良かったんじゃないかな。」
新はようやく米の塊を飲み込むとお茶で流し込んだ。あれ、「キヴァト」ってヴァルルカンの一人だよな。フレンドリィだよな何か今。ザスロとかいう宝物を奪い合って殴り合っている間柄には見えないんだが。
「えっと…先生もその…変身したり戦ったりしてるんですか?」
妙な質問になった。でも他にどう聞いていいか分からない。
「変身?ああ、フェチケの方は変身して見えるな。身なりが変わったりはしないよ。第五象限にずれ込むだけだ。ずれ込んだ後はキヴァトが代わりに動いてくれるね。」
新の頭にクエスチョンマークが沢山並んだ。助けを求めて三笠の方を眺めると弁当を食べ終えるところだった。
はやっ。
食べるのはやっ。
「充斉君の事は知らなかったとは言え、やってしまった私にも責任があるからね。後でキヴァトにはよく説教しておくよ。」
教授はほとんど弁当には手をつけず、淡々と話を続ける。もしかしたらずっと誰かにこの事を話したかったのかも知れない。
「とりあえず、明日は6時に集合やでな。バイトとかあったら今のうちに連絡しときぃさ。」
「え?何の話だ?」
「何のって。決まっとるやんか。」
三笠がペットボトルのお茶を一口飲んだ。キャップをしめながら事もなげに告げる。
「真珠島、行くやろジョーシンも。」
…。
「行かねぇよ。」




