HEROとカキツバタ5
「業沸くわーホンマ。こんだけ舐められるんも久々やし。でも、」
台詞に反して気抜けするような軽い声音でリラシュが呟く。堪え切れず、といった様子で小さな笑い声が漏れた。噛み殺していたのは可笑しさだったらしい。
「やっぱりヒヨッコやんな。」
ポカンとするアズの横で解体が始まった。
良くみると左手首から伸びたケーブルは目の前の空間に接続されている。前腕部に装備された小型のディスプレイ上に赤い光が走る。パズルのように画面上のブロックが躍りながら組み変わっていき、やがて画面全体がピッチリと隙間なく埋まったと思うとウェーブしながら全ブロックが反転していった。表示が緑の淡い光に塗り替わる。
ガシャン
「はい。チェックメイトや。」
周囲の空間にメッシュが切られたと思うと、各ブロックが画面上の表示さながら反転していく。組み替えられた世界はゼミ室から真っ白な部屋へと転移し、青ざめた表情のキヴァトが広間の前方に現れた。
「な、何をしたお前。」
杜若教授の姿では無く、今目の前にいるキヴァトはパイロットのような恰好をした少年だった。濃紫色のツナギの上に袖なしの厚手のジャケットを重ねており、胸の前でクロス状にベルトが巻かれ、頭にはゴーグルまで装備されている。足元が白っぽいミリタリーブーツなので色合いを除けばサバゲーでもしていそうな様子だが、そこはかとなく妙な恰好であるのは否めない。
「野暮ったいこと、今更聞かんといて~。解析済みやって言うたやんか。」
キヴァトの台詞をそのままパクってリラシュがほほ笑む。笑みの奥で獲物を狙うように意地悪い光が閃いた。
「くっそ!聞いてねぇぞこんな不正なハッカーが居るとかよぉ!」
白い空間をチラリと見やってリラシュが言う。
「アンタ第6象限じゃすばしっこいけど、見た感じやとこの状況は不利なんと違う?」
「…そうだな。確かに俺は肉弾戦は専門外ってやつだ。」
言われたキヴァトは小さく舌打ちした。
「ただ、」
不敵な笑みがこぼれる。
「ここにはここの戦い方ってヤツが…ある。」
ガシャシャシャンンンッッ!!!
「!?」
瞬間、キヴァトの前に扉が現れたと思うと中から無数の光が飛び出した。光は刃渡り50cmほどの鋭利な刃物。それらが容赦なく二人へ向かっていく。視界が埋まるほどの刃の雨。
あ!と思う間もなく激しい金属音を立てて、無数の刃が一斉に突き立った。
鋼色の塊が二つできあがる。
「ココだと手加減できないのが玉に瑕だけどなぁ。」
キヴァトのクツクツとした笑い声が白い世界に響き渡った。
「わざわざよぉ、相手のホームに入ってくるバカがあるかよ!」
引き攣った笑いがやがて大笑いに変わると共に塊になった刃がガラガラと崩れ落ちていく。一本一本が落ちる度に徐々にその無残な様子が露わになっていった。
おかしくてたまらない。
ゲラゲラゲラゲラ!
バラバラに千切られた欠片と、脈打つ度に赤く染まる床と。
「ハハハハハッハハハッ…っははは…」
ドロリとした粘度の高い液体は、ぐちゃぐちゃの欠片を飲み込んで異様な水溜りを形成していく。
「ははは…。」
あまりの光景にキヴァトも思わず真顔に戻った。
「はぁ?」
光の中に、アズが立っていた。
アズに触れた刃は貫通するどころか銀糸にかすり傷すらつけられ無かったようだった。彼に衝突した刃物たちは紙飛行機の様にあるいはぐちゃりと潰れ、あるいはバラバラの金属片と化し、辺りに残骸が散乱している。
「…ばッ、なんだよソレ…。」
そして、熔けている。
空気が揺らぐ。
刃が真っ赤な液状に熔けてマグマの様な水溜りを形成していた。落ちた欠片を飲み込んで、それらはユラユラと景色を揺らす。糸遊の向こうで赤紫がほくそ笑んでいた。
「なるほど。ココならではの戦い方が確かにあるみたいやな。」
リラシュに触れる前に刃物は残らず液体へ変わってしまったようだった。床の水溜りならぬ鉄溜りは彼女の周囲を避けて集まり、ゆっくりと色を失っていく。凝固するのかと思いきや、端から砂の様にサラサラと崩けて白い空間に消えていった。
「くっそ!」
今度はもう一枚扉が現れ、中から腕の太さ程もある鉄の鎖が幾筋も飛び出し、猛スピードで伸びた。しかしアズが一歩前に躍り出ると、事もなげに鎖を素手で往なし始める。手足が鎖を捉えるたびに鈍い音を響かせて鎖の破片があたりに散らばった。一つの破片が飛ぶ毎にキヴァトの顔から血の気が引いていく。人の形をした生き物の動作としては異常な光景だった。鎖の輪が外れるというより、触れた端から木端微塵に砕けていっている。
「ば…ばけ…」
やがて残骸と化した最後の一本も動きを止め、その場に堕ちた。
最後の鎖が床で跳ねる。
それがキヴァトの戦意がそげる音だった。
静かな空間に再び扉が現れる。蒼白な少年はそのまま扉に滑り込んで姿を隠した。追いかけようとするアズをリラシュがそっと制す。人差し指を口元に充てて静かに頭を振った。不思議に思っている内、しばらくすると今度はやや離れた場所に扉が現れてそこからキヴァトが顔を出した。ポカンとするアズと目が合う。蛇足だがマスクをしているので実際に合っているわけでは無い。キヴァトは瞬時固まった後、先ほどと同じ場所に出たことを認識して慌てて扉の中に頭を引っ込めた。
赤紫がニヤニヤしながらその様を眺めている。アズは内心ヒヤリとしたものを感じつつ扉とリラシュを交互に見た。
「な、何をしたんですか。」
キヴァトと同じ質問をアズが繰り返す。思わず敬語に戻った。間の抜けた声でリラシュが答える。
「ちょっと弄くっただけやにー。いやー、あんまり反応がかわええもんでさー。」
何十回目かの扉の往復を終えてキヴァトはやがてその場に崩れ落ちた。真っ白な広間の中で無数の扉が至る所に並んでいる。
「…。」
肩ががっくり落ちている。余程この状況が堪えたらしい。いや、服が一部煤けて見えるところからすると、扉の向こうで何かあったのかもしれない。アズは内心キヴァトに深く同情した。
「で、私等のお願い、聞いてくれる気になった?」
リラシュが優しい声で尋ねる。彼女はいつの間にかティーセットを前にして麗らかなお茶の時間を楽しんでいた。くつろぎ過ぎである。
「い、いやだ。」
気丈にもキヴァトは首を横に振る。コイツえらいな、とアズはちょっぴり彼を見直した。
「そうか。残念や。」
カチャリとカップを置くとリラシュは左手から一本ケーブルを伸ばした。慌ててキヴァトは避けようとするが、ホーミング機能が付いているのか後をついてケーブルは伸びていく。やがてキヴァトのうなじのあたりにサックリとケーブルが接続されると、キヴァトは直立不動の姿勢から動かなくなった。
「本当は嫌なんやけどねー。」
「まさか直接本人から…」
「そうそう、口がごねたら情報は身体に訊かんとアカンやんか。あ、でも勘違いせんでな。核心の情報はこうやって取らんから。私の参加時の条件やで、そこは破らんよ。飽く迄今あさってるのはキヴァトの個人情報。」
キヴァトの持つ情報を直接ハックしているらしい。アズは「個人情報」ってどういうことなんだろうとちょっと思ったがあまり突っ込んで聞かない事にした。多分あんなことや、こんなこと、いっぱいあるんだろう。
やがてケーブルがスコンと抜けるとキヴァトの瞳に色が戻った。しばらくぼんやりしていたがハッと気付くとうなじを抑えて後ずさる。リラシュを前にした表情にはもはや怯えが浮かんでいた。
「な、ななな、何を…ッ!?」
「キヴァト=ラーヴィガタ。」
リラシュに呼ばれたキヴァトがビクリ、と震える。
「好きな食べ物はショートケーキ。嫌いなものはズイムシ。幼少時の経験から軽度ながら暗所恐怖症。」
「ひっ…!?何でそんなことをっ…。」
「第4象限と第6象限を行き来できる扉の能力に長ける。「魂を奪う」やり方がようやくわかったわ。第4象限に監禁しておくわけやな。」
「かッ、監禁じゃない。人聞きが悪いな。本人たちが自分の意思で留まるんだ。強制などしていない。」
「第4象限は心地エエやろなぁ。特に現実逃避を希求している民間人には。」
「俺は指令書通りにヤるだけだ。お、俺の意思じゃない。」
「ふぅん。じゃあジョーシン君…新もそうか。」
キヴァトが冷や汗を垂らした。そういえばこの場には新の姿は無い。アネモネとパイロットとヒーローだけである。
「よ、用が済んだら、帰す気だったさ…。いや、ホントに。」
キヴァトが愛想笑いを浮かべる。口の端が引き攣っているのが遠目にも分かる。
「アンタの中にちょっとウィルス入れといたでな。」
ウィルス、と聞いてキヴァトの表情が愛想笑いのまま凍り付いた。リラシュがスモークシールドの向こうでにっこりとほほ笑む。
「安心してな。私が何もせんかったら何もおこらんし。」
彼女が何をしたら何が起こるんだろう。ただでさえ引いたキヴァトの血の気がもう少しだけ引いた。
「あと、アンタが大事にしてる…もとい、こっそり隠してる例の赤いノート、」
ツナギの少年の肩が、再び小さく跳ねた。
「ちょっと拝見させて貰たわ。」
「な…なんの事か…全然…」
「これからもよろしく頼むで。アンタを失格させるんも色んな意味で再起不能にさせるんも簡単やけど、私等アンタの上司に用があんねん。手伝ってくれたりすると嬉しいな。…わかった?」
ぎこちない動作でキヴァトが頷く。電池の切れかけた人形のようだ。
「わかったら先ずはさっさとあの子ら起こして来ぃさ。5分以内に起こさへんかったら1分超過毎に1ページずつ全世界に配信したってもええんやに。」
キヴァトは弾かれた様に走り出すとそのまま手近な扉に駆け込んだ。




