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HEROとカキツバタ4

「…誰かと思えば…。」


 (かす)れた声が開いた扉から聞こえてくる。

 立っていたのは草臥(くたび)れた鼠色(ねずみいろ)のスーツ。


(あらた)に、何をした?」

 その人物と対峙した銀のマスクが静かに尋ねる。隣に立つ赤紫の髪の少女は、ぐったりと倒れ込んだ新の身体を支えていた。

 杜若(かきつばた)教授のゼミ室の中、倒れた新を除く2人と1人が向き合っている。扉に手をかけてすぐ、突然糸の切れた人形のように新はその場に崩れ落ちたのだ。充斉(みつなり)が銀糸のスーツに変身するのと同時に、グレーの扉から入室してきた人物こそは、この部屋の主である杜若教授だった。

 いや、「姿は」杜若教授のようである、というべきか。

「アズ=ウトルシュ。本当に参加していたんだな。困った噂だったが事実だったとは。なおさら困る。」

 鼠のような相貌(そうぼう)禿頭(とくとう)の老人は、しかしハキハキと語り出す。およそ見た目に似つかわしくない若々しい声音を聞いて、充斉(アズ)は内心舌打ちをした。

「もう一度聞く。キヴァト(・・・・)、新に何をしたんだ?」

 ギョロリとした目玉を薄っすら細め、杜若(キヴァト)はクツクツと笑いをこぼした。

「前にも一度見てるだろ?野暮(やぼ)ったいこと、今更聞くなって。」

「隠しても無駄。解析(ジャカニョザシュ)済みやよ。」

 赤紫の声を聞いて、笑い声がピタリと止んだ。ギョロリと睨んだ先、アネモネのような少女は半眼のままほくそ笑む。

「現在地は第4象限やな。(およ)その場所が分かればあとは追うのも容易(たやす)いでな。」

「…だ、そうだ。」

 肩を(すく)める動作をして、アズは再びキヴァトに向き直った。

「てめぇ、三笠にツいてる(・・・・)奴だな。誰だ。」

 苦々し気に言うキヴァトの前で、大輪の花がふわりとほほ笑んだ。その笑みはスモークシールドに隠れて外からは(うかが)うことができなかったが。

 赤紫の燃えるような髪は緩いカーブを描きながら腰まで伸びて美しい。ピタリとした細身のスーツは紫がかった銀糸で編まれ、中性的な痩身(そうしん)の少女を包んでいた。頭部は充斉のようなヒーロー然としたマスクではなくジェットヘルのような形状をしており、顔にあたる部分はスモークシールドで覆われ、背中側から豊かな髪が流れている。そのジェットヘルからは幾筋ものケーブルが伸びており、左上半身に装備された装甲機材へとつながれていた。

「リラシュ=ピロシュやに。覚えときぃ、ヒヨッコ(・・・・)。ここまで来たら私ももう潜る(・・)必要は無くなったでな。」

「何で(なま)ってんだお前。」

 キヴァトの容赦(ようしゃ)のないツッコミが入る。スーツの赤味がリラシュの頬に移った。

「地方暮しが長いもんでな…みーちゃん(・・・・・)のが移ってもたわ。」


 


 (あらた)はひとり、鉄格子の中で体育座りをしていた。


 俺なんか捕まえてどうするつもりだ。

 鼠男(カキツバタ教授)は新が抵抗しないのを確認すると現れたときと同じように扉をくぐって消えてしまった。抵抗云々(うんぬん)以前に網目状の板金がグキグキひしゃげて扉に戻るサマはそれはそれは圧巻で、それをなすすべもなく眺めていただけなのだが。

 黒い格子に囲まれたまま、とりあえず座って待つことにした。だってどうしようもねぇじゃん。出られないし。することないし。誰もいないし!

 鼠男はまだしも充斉(みつなり)たちまで居ないというのが切ない。

 数メートル先には扉がある。鍵はかけていなさそうだった。この檻さえなければまだ脱出の余地はありそうだというのに。

 くそう、出られないにしてもせめてこの檻にも錠前と扉くらいつけとけよ。なんで開閉できない形になってるんだよ。そもそもどうやって地面から()えてんだこの格子は。


 ニョキ


 と、音がしたわけではないが、目の前の格子の一部がひしゃげたと思うと、扉になった。

 新は目をしばたたかせる。

 どうしよう、あれ。変形した?変形したよね今この檻。

 目を(こす)ったが(かゆ)くなってすぐにやめた。相変わらず先程までなかったはずの格子扉がそこにある。よくよく見ると大きな南京錠までついている。

 どういう、ことだ。

 新はしばらく考え込んだ。

「開けゴマ。なんつって。」

 あは、他の人が居なくて良かった。今のはちょっと恥ずかしい。


 ガシャン


「…まじか。」

 新は今度ばかりは己のテキトーな行動に感謝した。音を立てて南京錠が砕け落ち、格子扉が半開きになっている。恐る恐る格子扉をくぐって白い空間に歩み出た。

 どう考えたらいいのかなこれは。俺がおかしくなったのか、そもそもこの白い空間がおかしいのか。

「ま、いいか。」

 今度は目の前のグレーの扉のノブを(ひね)った。少しは警戒した方がいいと思うのだが新はそのあたりもテキトーだった。

 扉の向こうの景色がゆっくりと広がっていく。幸いなことにその先の空間には杜若教授の姿は見えなかった。かわりにむせ返るような原っぱの匂いが(あふ)れてくる。

 新は広い土手の上に出た。青々と茂る草花が斜面を埋めて風に揺れている。雲一つない快晴の空から柔らかな日差しが世界を包んでいる。見渡す限り建物などの人工物は見当たらない。しかし遠くの景色は白くけぶって良く見えなかった。視界に映るのはさほど大きくも無い川と、斜面を覆う背の低い草原と、たまに揺れている名前も分からない花と。

 新はしばしぼーっとその場に突っ立っていた。何とも言えない幸福感が沸き上がり、妙に心地よかった。

 これは、夢だ。この感覚は、二度寝したときのあの感じによく似ている。

 ふと、斜面の下の少し離れたところに草で編んだドームが見えた。大きなものでは無く、子供の背丈ほどの高さの草のテッペンを編み合せただけの簡素なものだったが、草原だけの世界にあってそこだけが動物の気配を漂わせている。新はなんとは無しに斜面をくだり、そのドームの前まで歩いた。

「なんだろう、見たことあるなこれ。」

 ポツリと独り言をつぶやいた。

「入ったらいいのに。」

「うん、そうする。」

 新は背の高い草の間を()き分けて、ドームの中へ入った。

「なんでお前、こんなところに居るんだ。」

 大学生の新にとって広いとはいいがたい草のドームである。(ほとん)どしゃがむような格好で進んだ先で、新は見知った顔と出会った。

「誰?」

 対した人物は、しかし新の顔を見て不思議そうな表情をした。その態度を見て、新は混乱する。しばらく考えた後、やがて違和感の正体に思い当たった。

「…お前、「充斉(・・)」か。」

 目の前の少年はTシャツにハーフパンツというラフな出で立ちではあるが、確かに充斉(みつなり)だった。違和感はその「表情」。新はこんな人間らしい顔をした充斉を見たことが無かった。

「あれ、何で僕の事知ってるの。お兄さん誰?」

 ずいぶんとしおらしい。いつもの不遜な態度はどこにも見当たらない。そうか、だからここでコイツが居ることが何かヘンだと感じたのかもしれない。充斉(アズ)と三笠が居たとしても不思議はないのだ。忘れかけていたが、ここは杜若教授のゼミ室の近くのはずだ。新は少し逡巡(しゅんじゅん)した後、言葉を選んで慎重に会話することにした。

「えっと、アズの知り合い。…って言えば分かるか?」

「…!アズの事、知ってるの!?」

 充斉(・・)の表情がパッと輝いた。どうやら選択肢は間違いでは無かったようだ。新はコクリと頷いて見せる。万が一これが杜若教授の罠だとしたら下手な情報は喋ることはできない。しかし、目の前の充斉が想像通り「奪われた」充斉そのものだとしたら、これはチャンスなのではないか。

「ここから出たい。協力してくれないか。」

 新は出来るだけ下手に出てみることにした。しかし途端に充斉の顔が曇った。駄々っ子のように首を振る。

「いやだ、僕、ここからは出ない。」

「どうして?いつからここにいるか知らないが戻りたくないのか。」

「戻りたくない。」

 ひとりでずっと原っぱにいて面白い事などとても無さそうに思う。学校や家に面白い事があるかと言われればそれはそれでよく分からなかったが、少なくともここ以上にひどく退屈することは無いのではないか。

「戻ると、怯えて暮らさないとならないから。」

 新はグイと喉元を掴まれたような気分になった。充斉が長い(まつげ)を伏せるのを黙って見ているほか無かった。まだあどけなさが残る少年が何て顔をするんだろう。

「…いじめにでも、あってたのか。」

 充斉が顔を上げた。

「違う。」

「じゃあ、何で。」

 怯えて暮らすなどということが、平穏な日常であるはずもない。

「ぼくのせいなんだ。」


 真っ直ぐな瞳とぶつかった。

 新は息を呑む。


「…ぼくが…ドーナツ食べちゃったから。」


 …は?


「パパが100円セールで買ってきたドーナツ、ぼくが食べちゃったから。ぼく咄嗟(とっさ)に「食べてないよッ」って言っちゃったんだけど、バレたらめっちゃくちゃ怒られる。」

「…それで戻りたくないって?」

「うん。パパ、超怖いんだよ。」

「そうか。」

 うん。パパが怖いんじゃ仕方ないな。

 新はすっくと草のドームの中で立ち上がった。当然頭が天井を突き破る格好になる。バサバサと音を立てて草の先端が開けて青空が顔を出した。突然の新の動作に充斉は目をぱちくりしている。

「じゃ、行くぞ充斉。」

「あっ何するのっ。ちょっと。」

 新は充斉の首根っこをつかむと草の中をかき分けて土手を上がった。充斉はまだジタバタしているが新は特に気にしないことにした。振り返ると先ほど通ってきたグレーの扉がぽつりと土手の上に立っている。明らかにそこだけ(いびつ)な景色である。

「お前どっから入ってきた。」

「離して、離して!痛い!痛いから!!もげる!何かもげる!」

「いいけど、逃げるなよ。」

 ドサリと音を立てて大きな荷物を下ろす。

「ごほっ…ひどい。パパより乱暴だ。」

「そいつは良かった。少なくとも乱暴じゃないんだな「パパ」は。で、どっから入ってきたんだ。」

 涙目になりながら小柄な少年はフルフルと頭を振った。

「入るときは知らないお兄さんと一緒だった。出たかったらドアから出たらいいんじゃないの。」

「あのドアは別の部屋に繋がってんだよ。俺あそこから入ったから。あの先は行き止まり。」

「行きたいって思ったらつながると思うよ。」

 あん?何だって?

 うんと、と考えながら充斉が説明する。

「思いついたことがそのままホントになるの。だから、天気の方がいいなって思ってるから今日は晴れてるの。ね、だから出たければあのドアから出られると思うよ。」

 新は必死で考えた。充斉はたぶん必死で説明してくれているのだと思うが、なんというか話し方をもうちょっと何とかした方がいい。

「思ったことが本当になるっていうのは…」

「こういうこと。」

 パッと充斉の手にドーナツが現れた。新はぎょっとする。どう見ても本物のオールドファッションだし、いい香りもする。しかしいつの間にどこから取り出したのか分からない。充斉はそのままドーナツにかじりついた。

「もふ、食べたいなって、もぐ、思えばね、もふ、いつでも食べれるんだよ、ごくん。」

「喋りながら食べるんじゃない。」

「こういうこともできる。」

 ニョキ

 今度こそ音がしたかと思った。新の目の前に仕立てのいいスーツを着た青年が現れたのだ。いや、正確にいうと現れたのではない。充斉が急に大人になった(・・・・・・)のだ。どういうことだ。おい。

「お、おれにもできるのかソレは。」

「できると思うんだけど。やってみなよ。」

「はあ。」

 中身は充斉のままだと思うのだが、大人から言われると何だか気を使ってしまうのは(サガ)というやつだろう。新は何をしようか少し迷って、何か見慣れたものを出してみようと思った。何がいいだろう。パッと思いつくようなもの。

「あ、アズのウーラだ。」

 いつの間にか充斉は元のTシャツの少年に戻っていた。

 そしていつの間にか新の手には例の(ブツ)が握られていた。

 何でよりによってこれを出したかな、俺。

 そう、痛デバである。



「止めとけ。お前の才能は認めるけど、俺との相性は悪いだろう?それにここは俺のホームだ。知っての通りザスロは上司(フーヌゥク)のところだからな。やりあう意味も無いだろ?」

 歪んだ顔で杜若(キヴァト)が笑った。対峙(たいじ)した充斉(アズ)の拳は既に(にぶ)い光を帯びている。隣に立つ三笠(リラシュ)は左小指の先端をキヴァトの額に向けていた。可視光ではないため目には映らないがレーザーポインタが眉間の中央を照らしている。

「新を元に戻せ。」

「立場が分かってねぇな?」

「2対1やよ。」

「俺の撤退(エルヴァロスタシュ)の速さは分かってるだろ?良いのかよ。また(・・)ソイツもそのまま棄てて行くぜ。空っぽ(・・・)のままで。」

 ニヤニヤと鼠男が目を細めた。

「今度は誰が入るんだ?なぁ、おい、そのままの状態で何日生きてられるんだろうな。うちの学生の事だからじっくり見といてやるよ。」

「…ッ!」

 キヴァトがさらに口を開こうとした瞬間、その眉間に向けて一本の針が飛んだ。しかし眉間に刺さろうかという手前3㎝ばかりのところでビシリと針の動きが止まる。キヴァトの眼前にガラスのひび割れた様な模様が広がった。薄氷のように空間が一枚、止まった針と共に地面に(くずお)れる。剥がれた空間の先には誰も立っていない。目の前に立っていたはずの杜若教授の姿は粉々になった空間の破片の中で不気味な笑みを(たた)えている。

「危ない危ない!イキナリ手を出すなんてイケないな!そんなに気に障ったのかよ!」

 ゲラゲラと嘲笑が部屋を包んだ。

「だめだ、リラ。」

 アズが破片を見詰めたまま片手でリラシュを制した。左腕を伸ばした姿勢のままリラシュはじっと己の感情を噛み殺そうと堪える。左手首から先は掌ではなく25本のケーブルが花弁のようにキヴァトを睨んでいた。

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