HEROとカキツバタ3
新と充斉、そして三笠は三人で連れ立って杜若教授のゼミ室の前に立っていた。文科棟の細長い建物は中央が吹き抜けになっており、壁際にゼミ室のドアが並んでいる。休日の廊下は人気もほとんど無く、宿泊の院生らしき人が洗面器を持って出て行ったのを見たきり、すれ違う人も無かった。吹き抜けの角に当たる二階の廊下の片隅で、「Ph.D.Kakitsubata」のネームプレートを確認すると黙ったまま顔を見合わせ頷き合う。ひとつ深呼吸をしてから新はそのグレーの扉をノックした。ゴンゴンと鈍い音が静かな廊下に響く。
「…。」
「出ないな。」
「不在、か。」
新は内心とても安心した。もしも先程聞いた話の通り、ここがヴァルルカンの拠点であるとすれば、そこに乗り込む危険は計り知れない。念のためもう一度ノックをしたがやはり反応はなかった。
「よし、」
確認して新は二人を振り返る。充斉と三笠が同時に口を開いた。
「好都合だな。」
「ラッキーやな。」
帰ろうぜ、というつもりだった新は一人ずっこけた。教授に会いに来たのじゃないのか。充斉が1歩前に出る。
「人が来る前に忍び込むぞ。」
「ゼミ生でもないし鍵、借りれないと思うんだが。」
「うん。」
ガチャ
「だから忍び込むんだよ。」
充斉が言いながらノブを捻ると事も無げに扉が開いた。あれ?鍵、開いてたのかな。
「コピーめっちゃ早いやん。私も練習しよかな…。」
扉をくぐりながら三笠がため息を漏らす。
「3年くらいやればできるようになるよ。」
最後に充斉が入室し、鍵を掛けた。新が疑問を口にする。
「コピー?」
「鍵のね。」
想像するに恐ろしい会話をしていたようだ。おそらく今のドアノブを捻る動作のうちに、何らかの技術だか能力だかにより合鍵を作って解錠していたという事らしい。鍵の概念はあったが不法侵入の概念がなかったようだ。…通りで俺の部屋にもいきなり入ってくるわけだ。
杜若教授の部屋は簡素なものだった。12畳ほどの長方形の部屋である。扉は長方形の短辺の真ん中にあり、反対側は窓でブラインドがかけられている。幅広のデスクが窓際と左の壁にL字に配置されており角には小型のレーザプリンタが置かれていた。部屋の中央には応接セットがこじんまりと置かれ、残りのスペースはホワイトボードと本棚で埋まっている。特に珍しいものも無い。新はゼミ室に入ったのは初めてだったが、所謂手狭なオフィスという以上の感想が出なかった。壁にかけられたコルクボードやカレンダーにも特にめぼしい情報は無さそうだ。
新が所在無げにしている間にも、先に入った三笠はトートバッグからスマホを取り出し操作している。何かを検索でもしているのだろうか。窓側の視界が三笠の広い背中で埋まっているので手狭な部屋が余計に狭く感じる。
「何をしたらいいんだ。」
とりあえず後ろの充斉に訊ねる。
「座ってていいよ。」
そう言われても…。応接セットを避けて充斉もデスクの方へと向かっていってしまった。仕方無しに一番近くの本棚を眺める。専門書と論文集がシリーズ毎にまとめて収めてあるが、どのタイトルも新の興味を引くものではなさそうだった。そろそろ欠伸が出そう。
ふと、見覚えのある茶封筒が書棚の端から少し飛び出しているのが目についた。封筒の山から飛び出した一部を引き出してみる。綴じヒモを弛め、中を覗くと予想通りのものが出てきた。
「おい、これ。」
応接セットのローテーブルに取り出した用紙をのせると、残りの二人がのぞきこむ。
「ヌリエラの指令書に添付されていたメモだね。」
そう言う充斉は昨晩このメモを見ている。
「ああなるほどなぁ、これで私の家まで兵隊が来たんやな。」
「え?三笠の名前は書いてないだろ。紫夜は間違われたみたいだけど…。」
新が取り出したのは件のテスト用紙だった。問題となる箇所は「ミ(中・液)」の所しかないだろう。三笠のミだけでメモと繋がるとは思えない。えっとね、と豊満な腕を組んで三笠が呟く。
「名前というより所在地というか…。」
「むしろどうしてこれが私の事になるのか気になるんだが。」
充斉が無表情のまま首をかしげている。それぞれ「ミツナリ」、「中学生」、「液体」の頭文字だと教えてやるとええっ!という驚きの声が返ってきた。声だけで、顔は無表情なままだ。
「どう見ても括弧に見えないし「液」の字にも見えない。」
「そこかよッ!」
純地球人かつ純日本人として宇宙生命体に言われるとちょっと傷つきます。悪かったな。字が汚くて…。
「うーん、そのままなんや。深読みされたんやなぁ。」
「どゆこと?」
「うちの住所がなぁ「中天寺」の「夜富」ってとこなん。そやもんでこの「中」と「夜」を読んで…もしかしたら間の「・」を「テン」として「チュウテンシ」…ちゃうかなぁ。」
「…大分無理が無いかそれは。」
「暗号ぽくてかえってええやんか。」
名簿や住所録なら大学教授の立場であれば入手は可能だろう。住所と頭文字から学生を絞り込むことは出来なくはない。
「テスト用紙やったし、受講者は限られとるやんか。紫夜のところにヌリエラが行ったんやからそっちが本命で、私んちの方は万が一の可能性を狙ってというとこちゃうんか。」
三笠に言われて新は改めてため息をはいた。応接セットの一人がけソファに腰をおろす。
「わざわざ自分の情報さらす奴は居ないと思って、テスト用紙に書かれてた時点で怪しんでほしかったな。」
「向こうとしては、このメモがヴァルルカンに渡ると思ってなかったフェチケ側が間抜けしたんだと思ったんちゃう?」
俺が間抜けでしたすみません。どピンクとか銀緑とか書いてあっても普通は落書きだと思うだろうしまぁいいや、と思い込んでいた俺が間抜けでしたすみません。そしてよりによって万が一で疑われた三笠の家が敵方の探していた拠点だったとかすみません。
「このメモがここに仕舞ってあったと言うことは、少なくとも教授とヌリエラは繋がってると考えていいんだよな?」
訊きながら新は立ったままの二人の様子をうかがう。しかし充斉は頭を小さく横に振った。
「分からない。第三者がメモの情報を盗んだ可能性もまだ棄てられない。」
その後30分ばかり室内の探索をしたが目ぼしい「証拠」は見出だせなかった。最後まで三笠はスマホで何やら操作を続けていたが、やがて三人ともがお手上げの姿勢を余儀なくされた。無言のまましばらく休憩の姿勢をとる。やがて無表情なブレザーが帰るか、と漏らした。一言を受けて新は早速立ち上がる。ぶっちゃけ30分ヒマしていたのだ。よくぞこの狭苦しい部屋でこれだけの時間過ごしたものだ。しかもいつ誰がやってくるとも分からない謎の緊張感の中。さっさと帰りたいのが正直な気持ちというやつ。
「しかし、この後どうするんだ。メモを付き出して教授に詰め寄るのか?」
ガチャ
ノブを捻ってから鍵をかけていたことを思い出した。手を離そうとしたところで、しかし扉がスルリと開く。新がポカンとしている間に目の前の空間が拡がっていく。
「その必要も、無さそうだな。」
充斉の声と共に背中から風が一陣吹き寄せた。振り向いていないが恐らく銀糸のマスクがそこにいるに違いない。
新は振り返ることができなかった。
眼前の光景から目が離せない。文字通り「空間が拡がっていく」様を呆気にとられて眺めていた。
うん、そろそろ妙な光景を見慣れないとイケない自覚はあるんだ。
扉の向こうは文科棟の殺風景な廊下ではなく、真っ白な四畳ばかりの小部屋だった。窓も照明もない小部屋は、しかしほのかに明るく口を開けている。見る間にも小部屋は膨張をつづけ、やがて広間のような白い空間が現れた。気付けば目の前のドア枠を残してゼミ室は消失している。壁も、天井も、本棚も、デスクも、応接セットも、何もない。ただ白い空間の真ん中に、ドア枠がポツリと取り残されているばかりだ。
突然、パタリと目の前のドアが閉まった。新は慌てて後ずさる。ガチャリ、と音を立ててノブが回った。扉が億劫そうに軋みながら開いていく。
「…誰かと思えば…。」
掠れた声が開いた扉から聞こえてくる。
立っていたのは草臥れた鼠色のスーツ。
「先日の講義内容について質問に来たのかね。」
質問に来たわけでは無いことなど、分かっているだろうに。
現れた禿頭の人物は、果たして杜若教授だった。
小柄な老人は相変わらず声も小さい。落ち窪んだ両の目はギョロリと辺りをうかがっており、やや大きめの前歯と合わせて鼠のような印象を与える。鼠男は後ろ手で扉を閉めると講義の時と同じく淡々とした口調で話し続けた。
「先般の小試験において未提出が13名、無記名回答は2名。後天場海岸の近隣にてオグ=ズールドが目撃されたのは17日前からだ。そのうちヌリエラの派遣は2回。」
教授は扉の前に佇んでいる。しかし、新はじわじわと追いつめられる感覚を覚えていた。
「接触の可能性を一つずつ潰していくと、」
杜若教授はそこで一旦言葉を切ると、新の顔を睨め回した。肌が粟立つ。
「後は君だけだ。新城君。」
バキン!
教授の後ろから甲高い音が響いた。先程まで扉を形成していたはずの捻れた板金が、蜘蛛の巣のように網の目を作り視界一杯伸びていく。
これは、ヤバイ。
確実に今、人生で一番の修羅場に居る。いや、正確にはこれから修羅場になるであろう場所にいる。
新は咄嗟に横に向かって駆け出した。生き物の持つ本能。
最初の衝撃は背中のやや後方から響いてきた。隕石だかミサイルだかが落ちたのかというほどの恐ろしい轟き。全力で駆ける今、振り返る余裕など無い。しかし震動と爆音が、途轍もない力の働いたことを嫌でも伝えてくる。
二回目の衝撃は、全方向から新を包んだ。真っ白な空間の中、視界が黒い網目で埋まる。駆けだした勢いのまま、新は目の前に降りた鉄格子に突っ込んだ。ぶつかった拍子に両手で押しても引いても格子はびくともしない。肩で息をしながら周囲を見渡すと足元を除いたぐるりをダイヤ格子に組まれた黒い鉄の棒に囲まれていた。猛獣でもここまで頑丈な檻には入れないだろう。檻の外を見てゾッとする。最初の位置から動いていないはずなのに。あれだけ走ったにも関わらずフェンスの向こう2米くらいのところに杜若教授は佇んでいた。身体はこちらに向いているのに、ギョロリとした目は明後日の方向を向いている。新は眩暈を覚えた。
振り返って気が付いたのだ。
何で俺、一人なの。




