表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殿下、いつでも婚約破棄してくださって大丈夫です!  作者: krm


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/16

7話 殿下、どうしてこうなったんですか?

扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。

殿下はゆっくりと歩み寄ってくる。寝間着姿の僕は、布団の上で身を固くしたまま、声をかけるタイミングを見失っていた。

「……具合はどうだ」

「へ?ええっと、元気です……少し、酔ってますけど」

「顔が赤い」

「お、お風呂のせいも……あるかも」

殿下は小さく息を吐いた。怒っているわけでは無さそうだけれど、相変わらず感情は読めない。

次の瞬間、殿下は卓の方へ向かい、何かを手に取った。戻ってきたその手には、冷たい水で絞ったらしいタオルがある。

「……少し、冷やせ」

そう言って、ためらいもなく、そのタオルを僕の額にそっと乗せた。

「ひゃっ……!」

思わず声が漏れる。ひんやりとした感触が心地よくて、じんわり熱が引いていくのが分かった。

「少し、楽になるだろう」

「あ、ありがとうございます……」

戸惑いながらお礼を言う。タオルを置く殿下の手つきは、思っていたよりもずっと丁寧で――優しかった。

……近い。さっきよりも、ずっと。

ほんの少し距離が縮まっただけで、胸がきゅっと締めつけられる。心臓の音がうるさくて、タオルの冷たさよりそっちの方が気になってしまう。

「お前のことを、少し誤解していたかもしれん」

ぽつりと落とされた言葉に、思わず顔を上げた。

「え?」

殿下の青い瞳が、静かに、まっすぐこちらを見ている。

「昼のことだ。……逃げるような態度を取らせたのは、俺の言い方が悪かった」

「そ、そんな!僕の方こそ――」

慌てて否定しかけた瞬間、殿下の指が唇の前に伸びた。

「……もういい。謝るのは俺の方だ」

低い声が、やわらかく空気を震わせる。その声を聞くだけで、なんだか体の奥がくすぐったくなった。やっぱり、まだ酔ってるのかもしれない。

少しの沈黙。

けれど次の瞬間――殿下の瞳が、鋭く光った。

「……だが、ひとつだけ。勘違いするな」

「……え?」

目が合った瞬間、息が止まった。

静かな炎のような熱を帯びた視線。

「俺は――婚約を破棄するつもりなどない」

「……え?」

「お前を手放す気はない。どんな理由を並べられても、誰が何を言おうとも、だ」

まるで宣言のように言い切られ、心臓が跳ね上がった。

「で、でも、だって僕なんか……!」

「なんか、などと言うな」

殿下の声が一段低くなり、ベッドがわずかに軋む。

気づけば、殿下の両手が僕の肩を押さえていた。

「……どうしても、婚約を破棄したいと言うなら」

「……っ?」

「既成事実でも作ってやろうか」

至近距離で、熱を押し殺すような声が落ちる。

「えええっ!?」

心臓がどくんと跳ねた。なんだかよく分からないけど、とんでもなく大変なことを言われた気がする。

逃げようとしたけれど、殿下の腕が強くて動けない。近すぎる距離に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。

「で、殿下っ……!落ち着いてください!お、お身体、熱いですよっ!?」

「……同じ酒を飲んだからな」

「えっ、それって……まさか変な成分でも……!?」

「入っていない」

「じゃあ、なんでこんなに心臓がドキドキ――」

「……それは、別の原因だろう」

殿下の気配が、さらに近づいた。視線を上げるより早く、頬に影が落ちる。

次の瞬間、唇にやわらかな感触が触れた。

「……っ」

考える暇もなく、短く触れるだけのキス。なのに、胸の奥が一気に熱くなって、頭が追いつかない。

離れたと思ったのも束の間、殿下の手がそっと僕の背に回った。

指先が服の上から、ゆっくりと、確かめるように動く。

肩口から背中へ。張りつめた筋をなぞるみたいに、押されて、ゆるめられて。

「……っ、で、殿下……?」

何をされているのか分からない。触れられるたび、体がびくりと反応してしまって、余計に恥ずかしい。

「力が入っているな」

低い声が、すぐ耳元で落ちる。肩に置かれた手に、少しだけ力が込められた。

じん、と鈍い痺れが浮かび上がるような、不思議な感覚。近すぎる距離と、意味が分からない触れ方に、胸がいっぱいになる。

「……っ、ま、待って……」

声が震えた瞬間、視界が滲んだ。ぽろり、と一粒、頬を伝って落ちる。

その途端、殿下の動きが止まった。背中にあった手が、はっとしたように離れる。

「……すまない」

低く、噛みしめるような声だった。殿下は少し距離を取り、拳を握りしめて視線を伏せる。

「……行き過ぎた。怖がらせるつもりはなかった」

さっきまでの熱が嘘のように、空気が静まった。僕は慌てて袖で目元を拭き、首をぶんぶん振る。

「ち、違っ……その……っ」

言葉がうまく出てこない。ただ、心臓だけが、まだ速く鳴っている。

「もういい。今日は……何もしない」

そう言って、殿下はゆっくりと体を離した。そのまま僕の隣へ横になり、そっと胸元へ引き寄せる。

鼓動が近い。殿下の心音が、自分のものと重なって、少しずつ落ち着いていく。

「……ん、殿下、温かい」

「お前が火照っているだけだ」

「ふふ……そうかも」

そのやり取りのあと、言葉はもう続かなかった。ただ、腕の中の温もりだけが確かで、安心できた。

まぶたがとろんと重くなる。眠りに落ちる直前、殿下の指が髪をなでる感触がした。

――怖いことはしない。

その言葉のとおりに、殿下の腕は優しく、ほどけないまま僕を包んでいた。



ふわふわして、あったかい。

(……ん……?)

夢の続きみたいな心地よさに包まれて、しばらくそのまま目を閉じていた。柔らかくて、ぬくもりがあって、なんだか安心する。

(気持ちいい……なんだろう、このあったかさ……)

夢と現実の境目みたいな場所で、意識がゆっくり浮かび上がってきた。ぼんやりと目を開けて――すぐに固まる。

――目の前に、殿下の顔。

「……っ!?」

心臓が跳ね上がった。驚きすぎて変な声が出そうになり、慌てて口を押さえる。

(ちょっ……待って。これは……え?ええと……)

静かな寝息が耳に届いた。どうやら殿下はまだ眠っているらしい。

そろそろと布団から抜け出そうとして――気づく。

殿下の腕が、僕の腰に回っていた。

(~~~~っ!?)

声にならない悲鳴を上げながら、慎重に身を引こうとすると、殿下の腕がぐっと力を増す。

「……動くな」

寝起き特有の少しかすれた声が、耳のすぐそばで響いた。

「で、殿下っ!?あの、もう朝です!離してっ……!」

必死に訴えると、殿下は小さく息を吐く。

「……ああ、朝か」

殿下はまだ眠たげな目のまま、至近距離で僕を見つめてきた。いつもより無防備なその表情に、なぜか息が詰まる。

「……よく眠れたか」

「そ、それは……まあ、はい……」

「ならよかった」

そう言って、額を僕のこめかみに軽く寄せてきた。

(いや、近い近い近い!)

もう限界、と声を上げそうになった、その時。

「失礼いたしますよ」

扉の向こうから、聞き慣れた声。

「――っ!?」

反射的に、殿下の胸へ顔を埋めてしまった。

「……あらあらまあまあ」

ばあやさんの楽しそうな声に、余計に顔を上げられなくなる。

「よくお休みになられましたね」

「い、いやっ……!これはその……!」

慌てている僕をよそに、ばあやさんは淡々と続けた。

「さあ、朝食の準備が整っておりますよ」

「……朝食?」

その言葉を聞いた瞬間、僕はぴくっと反応し、顔を上げる。胸のどきどきも、頭の中のもやもやも、全部その一語に持っていかれた。

(そうだ、今は……今は朝ごはんのことだけ考えよう)

「――わーい、朝ごはん!」

わざとらしいほど、明るく大きな声を出す。

殿下の腕がどうとか、距離が近いとか、なんか妙に心臓がうるさいとか。そういうのは、全部いったん後回しだ。

すると、殿下が小さく息を吐き、ゆっくりと腕を離した。

「……切り替えが早いな」

「えへへ……だって、朝ごはんですよ!」

何を言っているのか自分でもよく分からないけれど、言い切ってしまう。

ばあやさんが、くすっと上品に笑った。

「ふふ。よろしゅうございますね。さあ、お着替えをなさって。すぐにご案内いたしますよ」

「はいっ!」

返事だけはやたら元気にして、僕はベッドから飛び降りた。

背中に殿下の視線を感じた気がしたけれど――考えない。

(朝ごはん。朝ごはん。朝ごはん……)

心の中で唱えながら、ささっと身支度を整える。昨日もすごかったし、今日もきっとすごいはずだ。

扉の前で一度だけ振り返ると、殿下はすでにいつもの落ち着いた表情に戻っていた。さっきまで一緒に寝ていたなんて、嘘みたいに。

「……行くぞ」

「はい!今行きます!」

元気よく答えて、僕は食堂へ向かう。

さっきまでの出来事を思い出さないように、意識は完全に朝食モード。

(今日は何が出るんだろう……パンに、スープに、それから……)

そうしているうちに、自然と足取りも軽くなっていた。

――やっぱり、朝ごはんは最強だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ